比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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最近こんな本を読みました・・・「沖縄の心」

2015-11-13 | 語り継ぐ責任 あの戦争
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図書館でこんな本を見て読んでいます。

内藤 凛著 戦争小説集「沖縄の心」(文芸春秋企画出版部 2015年刊)。
三つの小説が収められています。
沖縄の心
復讐
訣別

①「沖縄の心」・・・大学生二人が沖縄行きの空港で老人と知り合い摩文仁の丘へ。アメリカ在住の老人は沖縄の読谷村生まれの日本人。太平洋戦争末期の1945年、5歳の少年だった老人は8歳年上の姉と沖縄南部を戦火に追われて彷徨います。避難した洞窟の中で隊とはぐれた日本兵と同居。姉が日本兵に暴行されそうになったとき、何くれとなく姉弟をかばってくれていた大尉が日本兵を拳銃で射殺。やがてアメリカ軍に投降、大尉はアメリカ兵に射殺されます。姉は収容所で病死。少年はアメリカ兵に引きとられアメリカへ、養子になって家庭を持って養父の農業を継ぎます。沖縄に自分の原点を確かめに来た老人は・・・

「ここが……あの人が撃たれた場所です」
・・・老人は地面にキッスして、その後、口ごもりながら涙を止めどなく流していました。・・・


②「復讐」・・・太平洋戦争の戦時下の中学生の記録。東京生まれの三郎は1944年3月、小学6年生のとき東京から父の生まれ故郷の山口県に疎開、中学校に進学、そこでヨソ者へのいじめ、イヤガラセ、上級生からの説教・リンチ、同級生からのリンチ、教師からの宮城遥拝、教育勅語、軍人勅諭などの軍国教育・ピンタ、配属将校からのピンタなどを経験する。戦況は日に日に悪化して、ついに敗戦を迎える。広島の伯母のところに介護に行っていた母が原爆で亡くなったことを知ったのは敗戦後のことでした。

③「決別」・・・戦中から戦後の中学生の記録。大阪生まれの園田真一は中学2年の一学期に父の故郷の山口県に疎開、地元の中学校に転校、二学期の8月に終戦(敗戦)。戦時下の軍国教育から一瞬で思想転換した戦後の教育、予科練帰りの上級生の蛮行で荒れた校内、新制高校への移行。やがて父の失業のため新制高校を中退して就職します。


戦後70年。10年ひと昔といわれますからもう大昔の話です。
ほとんどの人が経験もしたこともなければ想像もできない世界の話しのようです。小説ですからフィクションですが実際にこのようなことはあったのです。
②③の戦時下の中学校での子どもを思考停止にしての軍国教育、理不尽な体罰、リンチ・・・定住農耕民族である日本人は争いごとを好まず、礼節のある優しい恥を知る民族でした。戦争が狂気の世界を生みました。そんな馬鹿なと誰もが思うでしょうね。公教育に軍から派遣された配属将校がいたなんて。軍事教練とは人を殺すことを訓練することです。憎しみをもたなければ引金は引けません。戦争はスポーツではありませんから・・・礼にはじまって礼に終わる・・・なんてことはありえません。平和のための軍事行動なんてありえません。
著者はこう書いています。「人間以外の動物は徒党を組んで殺しあうことはしないといいます」。
著者はこうも書いています。「経験することは重要なことですが、経験しないほうがイイことがあります。それは戦争の体験です」。
いろいろな情報を得ることができる今、判断して、選択して、吸収すること・・・次世代の人へのメッセージです。


※著者は小説家ではないようです。略歴によれば生年は記されていません。サラリーマン退職後、放送大学大学、大学院に。創作活動開始、三田文学会会員。
※刊行が文芸春秋企画出版部・・・となっています。自費出版を行う部門のようです。この本は自費出版か?


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