比企の丘

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渡良瀬遊水地の野焼きが・・・立松和平を偲ぶ

2010-02-16 | 惜別
3月に渡良瀬遊水地の野焼きが行われます。渡良瀬遊水地・・・日本の公害の原点です。
2月8日に亡くなられた立松和平の小説のことが目に浮かびました。

毒 風聞・田中正造」(東京書籍・1997年刊)足尾銅山の鉱毒を糾弾した田中正造を中心にした小説。

いまから100年以上前に日本の公害1号というべき足尾銅山鉱毒事件が起こります。渡良瀬川最上流の足尾銅山から流れ出た鉱毒が裏日光一円の山を荒らし、渡良瀬川を汚し、関東平野に出て利根川流域も汚していく事件です。
政府は足尾銅山から80km下流の渡良瀬川が利根川に合流する手前あたりに鉱毒沈殿池を作ることにします。とうぜん土地を接収される百姓は反対します。渡良瀬川、利根川流域全体を鉱毒から守るにはとうぜん犠牲になるところが出るわけです。遊水地が鉱毒を防ぐベストの選択肢であったかはわたしにはわかりません。

栃木県下都賀郡谷中村・・・この村の全域が沈殿地になります。
広大な谷中遊水地、この中に消えた谷中村、村神様の「雷電神社」、村のお寺様「延命院」、共同墓地の跡地がポツンと残っています。遊水地ですから増水時には冠水するでしょう。
クリックすると塔婆が見えます。

立松和平(1947~2010年)本名横松和夫。栃木県生まれ。

さまざまな職業を経て小説家に、北海道の端から沖縄の端までさらに外国まで旅に歩き山に登り川を渉り、その考え方は地に足ついた真面目さでした。小説は驚くばかり多く童話も。ほとんど読んでいません。読み手が悪いのかも。
立松和平の母方の曾祖父は兵庫県生野銀山(現朝来市)から栃木県足尾に移住、飯場を束ねる組頭級の鉱夫だったそうです。労働者とはいえ毒を流すほうの側の人です。祖父は体が弱く家業を妹夫婦に譲り宇都宮に移住。幼い日の立松は大叔母の子(母の従兄弟)のいる足尾にはよく訪れたそうです。

そういう意味で公害、環境、自然保護の問題はライフワークのテーマだったのかも。

足尾の山に緑を戻そう。植樹活動が毎年行われているそうです。立松さんも参加していたそうです。
印象に残ってるのは・・・標準語で語る栃木イントネーション・・・詩の朗読のような美しさがありました。


《参考》
渡良瀬遊水地・・・野焼き2009(2009.3.21ブログ)


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