・・・彩風人の写真帳・・・
コロナ禍で蟄居中・・・運動不足解消ための外に出てウォーキング…近くの近郊鉄道の駅と駅の間、片道は電車に乗って。今日は秩父鉄道行田市駅から羽生駅まで。ついでに駅鉄撮り。
t秩父鉄道「行田市駅」・・・1921年北武鉄道の羽生駅~行田駅が開業。1922年行田駅~熊谷駅が開通、秩父鉄道と合併。1966年国鉄高崎線行田駅が開業、秩父鉄道行田駅は「行田市駅」に改称。1980年橋上駅に改築。
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橋上の駅事務所、出札口、ベンチ、改札口・・・熊谷駅管理の業務委託駅。秩父鉄道の他の駅と同様にPASMO・Suica等のIC乗車券を使うことはできません。
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1日の乗客数840人、かつては日本屈指の足袋の産地、1965年当時の乗客数は1日3600人。
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島式ホーム1面2線・・・開業当時のままのホームの待合室。ホームの上屋の柱はレールです。
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秩父鉄道7500系(旧東急電鉄8090系)・・・ラッピング「彩色兼備号」・・・
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※撮影日は3月26日。
★行田市・・・人口50000人、埼玉県北部の市。利根川、荒川に挟まれた沖積地、標高の最高がさきたま古墳群の墳丘の36m、平均標高20mの平地。埼玉県の県名発祥の地。万葉集に「さきたまの津」、風土記に「武蔵国さきたまごおり」の記述が、「多摩の先にある国」の意味であろう。市中心部より南に約1㎞に5世紀から7世紀のものと推定される9基の古墳の「さきたま古墳公園」が。1968年出土された稲荷山金錯銘鉄剣は国宝指定。江戸後期より武士の内職として足袋の生産が、近代に入り機械化されて日本屈指の生産地に、最盛期の1938年は8500万足(全国シェア80%)。1950年代のころから洋装文化になって足袋生産は衰えたが繊維工業、精密工業などに発展。江戸時代から中山道の脇街道の宿場町、忍城の城下町、物流の集散地として栄えた市場町、1889年、成田町、行田町、佐間村が合併して忍町に。1949年。忍市成立→行田市改称。1922年北武電鉄行田駅開業、1966年国鉄行田駅開業。1973年行田の古代ハス開花、1400年~3000年前と推定。
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