北武蔵の比企丘陵、大平山から嵐山渓谷に歩いてきました。
現在地の地点にいます。広場があって見晴台、ベンチ、トイレがあります。
武蔵の国にあって京都の嵐山(アラシヤマ)と同じ地名。モドキ・マガイとかいいますが、ここに一つのエピソードがあってこの地名が生まれたようです。
昭和3年(1928年)この地を訪れた本多静六博士(近代造林学、造園学の父、日比谷公園、大沼、卯辰山、羊山、大壕公園などを手がけた)が渓谷の美を絶賛して「武蔵の国の嵐山なり」と叫んだことからとか。
案内図にしたがって、川に挟まれた丘陵地を散歩します。
塩沢冠水橋の方向に歩いてゆきます。
現在地の地点にいます。広場があって見晴台、ベンチ、トイレがあります。
武蔵の国にあって京都の嵐山(アラシヤマ)と同じ地名。モドキ・マガイとかいいますが、ここに一つのエピソードがあってこの地名が生まれたようです。
昭和3年(1928年)この地を訪れた本多静六博士(近代造林学、造園学の父、日比谷公園、大沼、卯辰山、羊山、大壕公園などを手がけた)が渓谷の美を絶賛して「武蔵の国の嵐山なり」と叫んだことからとか。
案内図にしたがって、川に挟まれた丘陵地を散歩します。
モミジだけが紅葉しています。川の流れは木々の間から覗けるだけです。
与謝野晶子の歌碑。昭和14年(19339年)にこの地を訪れて詠んだもののようです。
サザンカが崖の途中に咲いています。
塩沢冠水橋の方向に歩いてゆきます。
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