比企の丘

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青春18きっぷの旅・・・飯田線の南部の要衝・・・かつての佐久間ダムの建設基地・・・中部天竜駅

2020-08-13 | 鉄道と駅 東海・北陸編
・・・彩風人の写真帳・・・
青春18きっぷ・・・乗り鉄、駅鉄の旅です。
青春18きっぷ・・・JR全国各社がが売り出している特別企画乗車券。JRの各駅列車、快速列車に1日乗り放題、5回使用可、12050円。
今回はJR東海道線からJR飯田線、JR中央線を・・・コロナ禍戒厳令の出る前の三日間の急ぎ旅・・・
今日で3日目、最終日、豊橋から飯田線で195㎞の辰野駅まで、辰野駅から中央本線で209.8㎞の新宿まで、合計500㎞に及ぶロングトラベル。

飯田線の始発駅「豊橋」から61㎞「中部天竜駅」(浜松市天竜区佐久間町半場)です。西の浦川方面から流れる大千瀬川を北から流れる天竜川が合流して北に大きく迂回するあたりに位置しています。

島式1面2線ホーム、構内には旧中部天竜機関区の施設と留置線があります。
特急の停車駅。豊橋駅から当駅止まり、飯田方面に当駅発、乗務員の交代・・・などあり、要衝の駅です。


1934年「佐久間駅」として開業、1935年「中部天竜(なかっぺてんりゅう)」に改称。「なかっぺ」とは駅の西側、天竜川左岸の旧中部村(なかっぺ)から。1942年「中部天竜(ちゅうぶてんりゅう」に改称。駅舎は開業当時のもの。駅長配置の有人駅。国鉄二俣線が天竜川沿いに開通する予定駅であった。1日の乗客数126人。

電車の停車時間が20分以上あったので・・・駅を出て天竜川を見に行く。桜が咲きはじめのころ。左の道は国道473号線

中部大橋(なかっぺおおはし)・・・いまは県道291号線。塗装工事中。
かつては佐久間ダム佐久間周波数変換所建設のための1950年代に架けられた資材輸送用専用線の橋でした。
周波数変換とは・・・東日本50Hz、西日本60Hz・・・佐久間ダムで発電された電力を、それぞれの周波に返還して変換して送電する設備。

中部大橋の上流に見える人道橋「中部(なかっぺ)」・・・鉄製のトラス構ですが吊り橋です。
※撮影日は3月27日。

佐久間町・・・1889年半場村、佐久間村、中部村が合併して佐久間村に。1956年佐久間村、浦川町、山香村、城西村が合併して佐久間町に。2005年浜松市に合併して「天竜区佐久間町に。合併時の人口5000人。
佐久間ダム・・・1953年着工、1956年竣工、工期3年。戦後の初の大型ダム。堰堤の高さ155m、当時日本一、現在は9位。工事の資材は中部天竜駅が基地になり、人も近づけない断崖絶壁の天竜川の右岸、左岸に道路を掘削、天竜川の水を堰止めて別ルートで流すトンネルを掘削。もっこ、小型クレーン、トロッコを使う工法から、米国製の大型重機・・・パワーシャベル、ブルトーザー、ダンプ、コンクリートミキサー、ジャンボドリルなどを使った最初の建設工事であり。日本の建設工法、技術を大きく変え建設機械の国産化をも進めた。日本の土木建設を大きく変えた画期的な事業。上流の天竜村の堰堤高さ62mの平岡ダムは朝鮮人労働者、連合軍捕虜、中国軍捕虜など約4000人が就労、1938~1951年まで工期13年間を要しています。
佐久間ダムへは公共交通機関はない。静岡県道1号線が通じていて長野県道1号線となり天竜村に至る。

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