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比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

2021年秋・・・草津街道・・・志賀高原・・・白樺黄葉真っ盛り・・・

2021-11-10 | 信濃の国は 北信濃・善光寺平
信州上田の・・・六文銭の写真帳

北信濃10月・・・志賀高原・・・にプチドライブ・・・
志賀高原麓の山の内温泉郷から国道292号線を渋峠方面に向けて紅葉黄葉観光。
ループ橋を過ぎ志賀高原に向かって高度を上げ志賀高原湖沼群、さらに高度を上げて横手山方向に。
 
長野県下高井郡山ノ内町平穏平床・・・海抜1650m・・・
紅葉・黄葉がはじまってます・・・







※撮影日は10月14日。


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2021年秋・・・志賀高原湖沼群めぐり・・・田ノ原湿原・・・

2021-11-09 | 信濃の国は 北信濃・善光寺平
信州上田の・・・六文銭の写真帳

北信濃10月・・・志賀高原・・・にプチドライブ・・・
志賀高原麓の山の内温泉郷から国道292号線を渋峠方面に向けて紅葉観光。
ループ橋を過ぎ志賀高原に向かって高度を上げ志賀高原湖沼群に入ってきました。
 
志賀高原湖沼群めぐりの最高地点は・・・海抜1610~1620m・・・田ノ原高層湿原・・・です。
太古のむかし、志賀山の噴火により角間川が堰き止められ大小の湖沼ができ、このあたりにが高層湿原が形成・・・








※撮影日は10月14日。


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2021年秋・・・志賀高原湖沼群めぐり・・・木戸池・・・水面に映る白樺の黄葉

2021-11-09 | 信濃の国は 北信濃・善光寺平
信州上田の・・・六文銭の写真帳

北信濃10月・・・志賀高原・・・にプチドライブ・・・
志賀高原麓の山の内温泉郷から国道292号線を渋峠方面に向けて紅葉観光。
ループ橋を過ぎ志賀高原に向かって高度を上げ志賀高原湖沼群に入ってきました。

志賀高原湖沼群めぐりの最高地点は・・・海抜1670m・・・木戸池・・・




※撮影日は10月14日。


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2021年秋・・・志賀高原湖沼群めぐり・・・蓮池・・・蓮ではなくスイレン・・・未草(ヒツジグサ)色づく蓮池

2021-11-08 | 信濃の国は 北信濃・善光寺平
信州上田の・・・六文銭の写真帳

北信濃10月・・・志賀高原・・・にプチドライブ・・・
志賀高原麓の山の内温泉郷から国道292号線を渋峠方面に向けて紅葉観光。
ループ橋を過ぎ志賀高原に向かって高度を上げ志賀高原湖沼群に入ってきました。

海抜1489m・・・蓮池・・・

蓮池といいますが、ハスではなくスイレンだそうです。
日本で自生するスイレンの未草(ヒツジグサ)です。
他のスイレンは移入、交配種。


※撮影日は10月14日。


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2021年秋の草津道・・・志賀高原・・・歴史記念館・・・かつての志賀高原ホテル

2021-11-06 | 信濃の国は 北信濃・善光寺平
信州上田の・・・六文銭の写真帳

北信濃10月・・・志賀高原・・・にプチドライブ・・・
志賀高原麓の山の内温泉郷から国道292号線を渋峠方面に向けて紅葉観光。
ループ橋を過ぎ志賀高原に向かって高度を上げ志賀高原湖沼群に入ってきました。

海抜1450m・・・丸池と国道を挟んで北側・・・志賀高原歴史記念館・・
志賀高原を国際的な観光地に育て上げたむかしの志賀高原ホテル・・・のエントランス棟をそのまま残した歴史記念館です。
※撮影日は10月14日。
志賀高原歴史記念館・・・1930年ごろから政府は日本の各地に国際観光地を育てようという政策を立て支援、長野県では上高地、野尻湖、志賀高原に国際観光ホテルが建設されました。志賀高原ホテルが開業したのは1937年、日中戦争、太平洋戦争で、その計画はとん挫、戦後、米軍進駐軍に接収され、接収解除されたのが1957年、1970年からはスキーの大衆化で一大観光地に。ブームが去って1999年廃業。エントランス棟のみ残して解体。2002年から歴史記念館に(所有、管理、運営は財団法人和合会)。山小屋風の丸太壁、石壁、左右対称シンメトリーの中央玄関からエントランスホールに入ると白い壁に大きな梁、石造りの大きな暖炉、赤い絨毯、ステンドグラスの空間は見事です。2Fには1956年コルチナ・ダンペッツオ冬季オリンピックのアルペンスキー回転競技の銀メダリスト猪谷千春(山ノ内町名誉町民)さんの記念コーナーがあります。
入館無料。この道を通るとき、ぜひ寄ってみては。

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2021年秋の草津道・・・志賀高原湖沼群めぐり・・・丸池

2021-11-05 | 信濃の国は 北信濃・善光寺平
信州上田の・・・六文銭の写真帳

北信濃10月・・・志賀高原・・・にプチドライブ・・・
志賀高原麓の山の内温泉郷から国道292号線を渋峠方面に向けて紅葉観光。
ループ橋を過ぎ志賀高原に向かって高度を上げ志賀高原湖沼群に入ってきました。

海抜1420m・・・丸池・・・




※撮影日は10月14日。


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2021年秋の草津道・・・志賀高原湖沼群めぐり・・・琵琶池

2021-11-04 | 信濃の国は 北信濃・善光寺平
信州上田の・・・六文銭の写真帳

北信濃10月・・・志賀高原・・・にプチドライブ・・・
志賀高原麓の山の内温泉郷から国道292号線を渋峠方面に向けて紅葉観光。
ループ橋を過ぎ志賀高原に向かって高度を上げ志賀高原湖沼群に入ってきました。

海抜1396m、志賀高原で2番目に大きな湖・・・琵琶池・・・




※撮影日は10月14日。


※コメント欄閉じています。

2021年秋の草津道・・・志賀高原湖沼群めぐり・・・一沼

2021-11-04 | 信濃の国は 北信濃・善光寺平
信州上田の・・・六文銭の写真帳

北信濃10月・・・志賀高原・・・にプチドライブ・・・
志賀高原麓の山の内温泉郷から国道292号線を渋峠方面に向けて紅葉観光。

志賀高原に向かって高度を上げ、ループ橋を過ぎ、志賀高原湖沼群に入り草津街道から見える一番目の沼・・・
一沼(海抜1460m)・・・ところで池と沼と・・・どう違うのだろう?





紅葉にはチト早いようですがチラホラ紅葉が・・・
※撮影日は10月14日。


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秋の北信濃・・・栗と北斎とフルーツの町・・・小布施・・・北斎、福島正則、一茶ゆかりの岩松院

2021-10-30 | 信濃の国は 北信濃・善光寺平
信州上田の・・・六文銭の写真帳

長野県下高井郡小布施町、人口10500人、長野県一の小さな自治体・・・
江戸時代初期は高井野藩。廃藩後は幕府天領に。越後魚沼に抜ける谷街道の宿場として市場町を形成、菜種油、綿布、莨などの生産物の物流問屋を中心に大いに栄えたようです。明治以後、鉄道が千曲川左岸、長野市市街地を通るようになって園芸を中心とする静かな町に変わっていきましたが、1976年の葛飾北斎美術館の開館を機に、芸術の町、フルーツの町、栗の町として脚光を浴びるようになりました。

葛飾北斎の大天井絵「八方睨み鳳凰図」で有名な「岩松院」にやって来ました。

仁王門です・・・本堂が見えます。

曹洞宗梅洞山岩松院本堂(1472年開基)。北斎の「八方睨み鳳凰図」はこの本堂の天井に。

境内にある江戸時代初期の信濃国高井野藩主・・・福島正則公靈廟・・・を尋ねました。

信濃国高井野藩?・・・福島正則?・・・知らない人のほうが多いかもしれません。
※福島正則(1561~1624年)・・・尾張国二つ寺村(現あま市)に生まれる。加藤清正と並ぶ豊臣秀吉子飼いの武将。1600年関ヶ原の戦いで德川家康の東軍に加担して功を上げ、1601年安芸国、備後国合わせて498000石の広島藩主に、1619年台風のため広島城の石垣が損壊、幕府の修復認可が下りる前に修復工事を開始したことを咎められ信濃国高井野藩45000石(川中島20000石、越後魚沼25000石)に減封され転封。陣屋は高井郡高井野村(現高山村堀之内)。1624年死去。夏の盛りであり腐敗が進むため幕府の検死の前に火葬に付したことを咎められ改易。正則の子正利は3000石の旗本に。豊臣秀吉子飼いの武将であり、家康にとって油断ならない外様大名。計画的に倒産されたとも思える。その計画を見ぬけなかったのは愚直だったゆえか。武闘派といわれるが広島藩でも高井野藩でも検地、治山、新田開発、用水開削など、民政に尽くしたといわれる。以後、高井野藩は廃藩に、幕府領、松代藩預かり地に。

境内に小さな池があります・・・小林一茶が・・・
痩せ蛙 負けるな一茶  ここにあり
と詠んだ、池だそうです。毎年、アズマヒキガエルの蛙合戦が行われるそうです。

栗拾ひ ねんねんころり 云ながら  一茶


小布施を尋ねる機会がありましたらぜひ寄ってみてください。
※撮影日は10月8日。

※コメント欄閉じていますオープン。

秋の北信濃・・・栗と北斎とフルーツの町・・・小布施・・・北斎館・・・陣屋跡地・・・栗の菓子舗

2021-10-28 | 信濃の国は 北信濃・善光寺平
信州上田の・・・六文銭の写真帳

長野県下高井郡小布施町、人口10500人、長野県一の小さな自治体・・・
谷街道(国道403号線)を中心に、小さな静かな町です。
江戸時代初期は福島正則公の高井野藩廃藩後は幕府天領に。越後魚沼に抜ける谷街道の宿場として市場町を形成、菜種油、綿布、莨などの生産物の物流問屋を中心に大いに栄えたようです。

江戸時代の浮世絵の鬼才葛飾北斎ゆかりの小布施町・・・1976年開館の葛飾北斎の美術館「北斎館」です。
北斎は晩年の1842年、1844~48年(4年間在住)当地を訪ね、数々の作品をこの地に残しています、小布施町ではこの地に残る北斎の作品を買い上げ、または所蔵者から貸与を受け美術館を開館、観光資源のなかった小布施町を観光地に育て上げました。2019年には入館者900万人を超えたそうです。


小布施はまた「栗の町」・・・栗を素材とした栗菓子の店がシノギを削っています。
1893年創業の栗菓子舗「竹風堂」の駐車場です。かつてこのあたりに小布施町の陣屋があったそうです、

陣屋跡地・・・であったという説明板が立っています。小布施は天領の町だったのです。
蘊蓄を書きたいところですが割愛します。

竹風堂の中庭にある巨大なカブトムシのオブジェです。小布施はアートの町です。

1808年創業の桜井甘精堂・・・です。小布施は栗菓子の町です。

1923年創業の小布施堂のイタリアンレストラン傘風楼・・・です。小布施はシャレたお食事処のある町です。前の大きな木はメタセコイア・・・かな?
※撮影日は10月8日。

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