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比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

東京ぶらりぶらり2013・・・浅草界隈・・・六区から新仲見世・・・雷門へ

2013-07-02 | 道をゆく 東京散歩
5月31日、上野界隈をぶらりぶらりしましたが、6月6日、急に用事ができてふたたび東京の町に。用事をすませてから、今度は浅草界隈の散歩。

合羽橋から国際通りに、国際通りを横切って浅草ロックへ、さらに新仲見世、ここは創業何年とか・・・老舗(シニセです・・・ロウホではありません)。
伝通院という古いお寺さんもあります。入ったことはありません。

小説家池波正太郎の随筆「散歩のときなにか食べたくなって」に書かれている天麩羅の店です。明治3年(1870年)開業とか。建物はいつのものでしょうか。
いかにも老舗らしい佇まいですが、ちょっと敷居が高いムード・・・入ったことはありません。
というわけで・・・浅草松屋の前の回転すしでランチ。


この寿司屋さんが良かった。無口な板前さんが、こちらが「美味しいねえ」とつぶやいたら「ありがとうございます」と頭を下げてくれた。
店を出るとき「いってらっしゃい。どうぞ楽しん歩いて来てください」といった。

東京ぶらりぶらり2013・・・浅草界隈・・・合羽橋あたり

2013-06-22 | 道をゆく 東京散歩
5月31日、上野界隈をぶらりぶらりしましたが、6月6日、急に用事ができてふたたび東京の町に。用事をすませてから、今度は浅草界隈の散歩。

合羽橋です・・・河童橋ではありません。それでも河童の看板や河童の金の像があります。
なぜかこの町は歩くだけで面白いのです。

合羽橋から浅草国際通りのほうに歩いていきます。この通りの正面に東京スカイツリーが見えてきます。
そうだ東京スカイツリーに行こう。

どぜうの飯田屋」・・・合羽橋から国際通りに行く途中にある。どぜうといえば「駒形のどぜう」ですがこの店もまた明治35年(1902年)創業というシニセです。たかがドジョウ・・・高級料理ではありませんから普通のどじょう鍋屋さんです。
店構えの雰囲気ががいいですね。大正、昭和の香りがします。
小説家永井荷風の愛した店だったそうです。

《合羽橋》19世紀初めの文化年間、江戸時代後期、合羽屋喜八という人が私財を投じて湿地だったこのあたりの掘割の整備をしたそうです。それでこのあたりが合羽橋と呼ばれ、1912年、数軒の店が料理道具の問屋を開業。以来いまのような料理道具屋街に発展した。料理の道具、食器、食品サンプル、刃物、厨房設備・・・料理人の使うものなら何でもあり、一般個人にも販売、いまや外国人のプロの料理人、観光客も訪れる日本一の道具街です。

こういう町をぶらぶらするのが好きな変な私です。

5月の末・・・入梅・・・上野公園界隈を歩く

2013-05-31 | 道をゆく 東京散歩
5月30日、ある人に上野公園で逢うため久しぶりの東京。あいにくの雨です。

上野駅不忍池口から上野公園に。公園に上がる階段の横・・・レストラン聚楽台でおなじみの西郷会館(1952年建設)が老朽化のためリニューアルされてUENO3153ビル(西郷さん)に生まれ変わっていました(2012年建設)。むかしの人は寂しいですがまた新しい景色が誕生します。広小路が見えます。広小路という平凡な地名は明暦の大火(1657年)のあと火除け(延焼防火線)として区割されて名づけられたといいます。



上野といえば西郷隆盛の像です。なぜ上野の森にあるか・・・わかりません。
上野の森は明治維新(1868年)・・・無血開城した江戸幕府の旧臣たちがはかない抵抗をつづけ新政府軍の前に壊滅したところです。
その新政府軍の総大将の西郷隆盛・・・彼もまた新政府と袂を分かち・・・逆賊となって命を落とす・・・そして復権・・・歴史はめまぐるましい。



その西郷さんの新政府軍と闘った旧幕府の彰義隊の墓がすぐそばにあります。最初は天皇家に恭順の意を表した徳川慶喜の護衛、江戸市中の治安維持という名目で旧幕臣が組織したもの。次第に不穏なもの成長していきます。新政府軍と上野の山で一戦を交えますが半日で鎮圧されます。多勢に無勢、新兵器と旧兵器、お話になりません。戦は勝たなければだめです。
旧幕臣の有志の手で手厚く葬られました。


正岡子規記念球場(正式名は上野恩賜公園野球場)。東京都の管理する草野球場です。1890年(明治23年)、帝国大学在学中の子規がこのあたりの原っぱで草野球を楽しんだという。ちなみに「野球、打者、走者、直球・・・」など数々のベースボール用語を和訳したことで知られている。そんな子規の野球界への貢献を讃えて2006年にこの球場に正岡子規記念球場の愛称が贈られた。

・・・「春風や まりを投げたき 草の原・・・子規

時忘れじの塔」…上野公園に来たら、この前を通らずにいられない。落語家初代林家三平の夫人海老名香葉子さんや有志らが建立した太平洋戦争末期の東京大空襲で亡くなった方々への鎮魂の思いをこめたモニュメントです。モデルは1945年3月10日の東京大空襲で亡くなった香葉子さんのお母さん、妹、弟でしょうか。


時忘れじの塔」については2010年4月10日のブログを→クリック「上野の森で・・・悲しい時を忘れないために・ 時忘れじの塔」

ある人との待ち合わせ場所・・・国立西洋美術館に向います。

師走の東京を歩く…築地場外市場

2012-12-31 | 道をゆく 東京散歩
12月28日、師走の東京散歩です。
明治神宮内苑の森を散歩してから地下鉄明治神宮前駅から表参道駅、新橋駅、と地下鉄を乗り継いで東銀座駅で下車。ここはどこだとキョロキョロしたらリニューアル中の歌舞伎座の前、もうほとんど出来上がっているようです。ここは晴海通り、松竹演舞場も見えてきました。

晴海通りを少し歩くと大橋通との交差点、この一郭が築地場外市場、大橋通に沿って牛丼屋、ラーメン屋、鉄火丼屋などが並びます。幅2mちょっとの小路に店が並んでいます。テレビによく出るサングラスのコメンテーターの実家の卵焼き屋さんの店も見えました。

大橋通から見た場外市場、市場の小路から築地本願寺が見えます。不思議な雰囲気です。

何か買うとかいう目的で来たのではありません。こういう雰囲気を見るのが好きなのかな。

腹が減った。何か食べよう。

師走の東京を歩く…原宿あたりから…竹下通り

2012-12-31 | 道をゆく 東京散歩
12月28日、久しぶりの東京散歩、神宮内苑の森の中を歩いてから築地に向かいます。明治神宮の森からJR山手線原宿駅前に戻ってきました。

1924年竣工、尖塔のある白壁のモダンな西洋風木造建築です。
毎年300万人が初詣でこの駅を利用します。
皇族専用ホームが代々木側にあることでも知られています。お召し列車の終着駅は始発駅です。

原宿駅から東に竹下通りというおよそ350mの商店街があります。
商店街化の歴史は浅く1976年商業ビル、77年クレープ店、79年竹の子族の出現、修学旅行の自由時間に行くメッカになりました
わたしなど似合わない街ですが、地下鉄の駅までの通り抜け道で怖いもの見たさで歩いてみました。

わたしと同じような気持ちでか外人のお上りさんがカメラでその光景を撮っていました。

12月28日、一足早い二年詣りに・・・明治神宮拝殿にて

2012-12-30 | 道をゆく 東京散歩
12月28日、一足早い二年詣り
明治神宮です。原宿駅前から神宮橋を渡り、大鳥居から南参道を歩いて南神門の前まで来ました。
神門の上には大きな守護矢開運的が飾られてお正月の準備が整っています。
拝殿の両サイドには東神門、西神門がありますが、なんといっても正面の南神門から入るのが正統派です。

神門を潜ると正面が拝殿です。中央に白く塀のように見えるのが初詣の巨大お賽銭箱?です。その前に緑のロープが張られています。お正月はここからお賽銭が投げ込まれ二礼二拍一礼します。

両サイドの木は樟です。





階段の下に縦10m、横30mぐらいのプールみたいな囲いが作られお賽銭箱になります。

※1920年建立された拝殿・本殿は1945年米軍の空襲により焼失、1958年新しく造営されました。
※代々木とはこの土地にむかしからあった樅の巨木。この木も空襲により焼失したそうです。
※明治神宮について…明治天皇を祭神にした神社。そのことがどういうことかここでは語りません。
※この鬱蒼とした100年の森の中を歩くと森の中にいろんな神様たちがいるんじゃないかと思うわたしです。

初詣ではなく師走のお詣りっていいのかなと思いましたが結構お参りの人がいますね。今日は午後から雨かみぞれが降りそうです。築地を覗いてから早く帰ろう。


師走の東京…明治神宮内苑・・・神宮御苑を歩く

2012-12-30 | 道をゆく 東京散歩
12月28日、一足早い二年参り、明治神宮です。原宿駅前、大鳥居から南参道を歩いています。拝殿に入る前に明治御苑に入園しました。入園料は500円です。
明治神宮は神域で公園ではありませんから入園無料ですが、ここは有料です。
江戸時代初期、肥後藩加藤家の下屋敷の庭園、加藤家改易のあと彦根藩井伊家の下屋敷庭園、維新後は宮内庁の代々木御苑として膈雲亭(茶屋)、菖蒲園、東屋、池を中心とした回遊路が整備されました。

野鳥、水鳥の王国であり、近年、清正井が行列のできるパワースポットとして有名です。




菖蒲園です…菖蒲園は人口庭園ですが周りの樹木は極相林です。

静かな心癒される散策路です。ルリビタキ、カワセミ、ヤマガラが視界に飛び込んできます。

清正井です。どうしてパワースポットなのかわかりません。
一時は整理券を出して5時間待ちとかいう行列ができたそうです。日本人って不思議ですね。

加藤家の下屋敷庭園があったことは確かですが加藤清正公がここに来たかは不明、清正がこの井戸を掘ったかどうか不明です。


12月28日、一足早い二年詣りに・・・神宮の森に行って来ました

2012-12-30 | 道をゆく 東京散歩
12月28日、今年の〆として明治神宮の内苑を散歩しました。
東上線和光駅から地下鉄副都心線に乗り換えて明治神宮前で下車、JR原宿駅前を跨ぐ神宮橋を渡ると表参道です。
前に来たときはこの橋の上はストリートミュージシャンの聖地のような場所でしたが、今は禁止されているようです。

73㌶、広大な土地です。江戸時代は彦根藩井伊家の下屋敷、明治時代に天皇家の御料になり、明治天皇崩御のあと明治神宮が1920年造営されました。鬱蒼とした原生林ですが、元は代々木ッ原という原っぱだったそうで現在の森林は神社造営の際、全国からの献木と勤労奉仕で植えられた人工林です。神社にしては針葉樹主体でなく広葉落葉樹、照葉常緑樹の混交林になっていています。造園にあたっては本多静六はじめ林学、造園、農学の専門家が集まり設計されました。

さて、大鳥居を潜り、参道を拝殿に向かいます。

大晦日の夜はこの参道いっぱいに行列ができ拝殿まで3時間ぐらいかかるそうです。

手入れ、施肥が皆無で永遠の森が維持されるという極相林といわれるものです。

酒造家の寄進による酒樽です。

やがて、南神門の前に、拝殿は近い。

東京駅・・・・丸の内口・・・ドームの風景

2012-10-21 | 道をゆく 東京散歩
10月14日、新装成った東京駅にお登りさんしています。
左右330m、大正時代の初め1914年竣工、もうすぐ100年、国指定重要文化財、関東の駅百選、当時はモダンな建物だったのでしょうがいまはクラシックな感じ。

行幸通りから正面を見て。丸ビル、中央郵便局、丸の内南口と歩いていきます。

少し遠くから見た丸の内中央口です。
正面玄関は皇室、国賓、公賓、など通行するときだけ開きます。

中央口の車寄せに駅名の石碑があります。記念撮影の順番待ちです

丸の内中央口の一般改札口は開かずの扉の少し左にあります。

少し遠くから眺めた東京駅の風景です。。

丸の内南口の出口です。この奥に、上を見るとドーム天井があります。北口も同じです。

今回の改装の目玉、ドーム天井です。どのように変わったか知りません。

東京ステーションホテルの一部です。この上に上るには入場券がいるようです・

日曜日・・凄い観光客です。高級カメラに三脚の人、シャメの人、お絵描きグループ・・・いろいろです。

東京駅のおのぼりさんを終えて、新宿西口駅の前、中央高速に向かう高速バスのターミナル待合室(なぜか信州人はここで待ち合わせする)で、古い同級生に会い、ある原稿について打ち合わせのはずがそのまま○○酒楼に。あとはオボロ。

リニューアルなった・・・東京駅と・・・中央郵便局・丸ビル

2012-10-18 | 道をゆく 東京散歩
10月14日、新装成った東京駅にお登りさんして見に行きました。
左右330m、大正時代の初め1914年竣工、もうすぐ100年、国指定重要文化財、関東の駅百選、当時はモダンな建物だったのでしょうがいまはクラシックな感じ。

東京駅を遠めに眺めながら歩いています。

写真は東京駅から皇居に向って真っすぐな道「行幸通り」脇に立つ丸ビルです。
1923年竣工、高さ31m、8階建ての巨大オフィスビルでした、土台の基礎工事に松杭5443本が使われていたそうです。1997年閉館、2002年に新しい丸ビルに生まれ変わりました。地上179m、38階、外観デザインにかつての丸ビルの面影を残してあります。




東京駅丸の内南口を出ると目に入ってくるのが東京中央郵便局、高さはともかく広い面積でした。1933年開業、2008年取壊し、JPタワーとして2012年竣工。ここも丸ビル同様にかつての中央郵便局の外観をデザインに取り入れている。このデザインにいたるまでにある政治家が激しく注文をつけたというが真偽のほどはわたしにはわからない。
地上200m、38階、銀座郵便局JOタワー分室、日本郵便(株)、ゆうちょ銀行本店などのほかにオフィスビルとして活用。



 
ブラブラ散歩は続きます。