比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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5月の末・・・入梅・・・上野公園界隈を歩く

2013-05-31 | 道をゆく 東京散歩
5月30日、ある人に上野公園で逢うため久しぶりの東京。あいにくの雨です。

上野駅不忍池口から上野公園に。公園に上がる階段の横・・・レストラン聚楽台でおなじみの西郷会館(1952年建設)が老朽化のためリニューアルされてUENO3153ビル(西郷さん)に生まれ変わっていました(2012年建設)。むかしの人は寂しいですがまた新しい景色が誕生します。広小路が見えます。広小路という平凡な地名は明暦の大火(1657年)のあと火除け(延焼防火線)として区割されて名づけられたといいます。



上野といえば西郷隆盛の像です。なぜ上野の森にあるか・・・わかりません。
上野の森は明治維新(1868年)・・・無血開城した江戸幕府の旧臣たちがはかない抵抗をつづけ新政府軍の前に壊滅したところです。
その新政府軍の総大将の西郷隆盛・・・彼もまた新政府と袂を分かち・・・逆賊となって命を落とす・・・そして復権・・・歴史はめまぐるましい。



その西郷さんの新政府軍と闘った旧幕府の彰義隊の墓がすぐそばにあります。最初は天皇家に恭順の意を表した徳川慶喜の護衛、江戸市中の治安維持という名目で旧幕臣が組織したもの。次第に不穏なもの成長していきます。新政府軍と上野の山で一戦を交えますが半日で鎮圧されます。多勢に無勢、新兵器と旧兵器、お話になりません。戦は勝たなければだめです。
旧幕臣の有志の手で手厚く葬られました。


正岡子規記念球場(正式名は上野恩賜公園野球場)。東京都の管理する草野球場です。1890年(明治23年)、帝国大学在学中の子規がこのあたりの原っぱで草野球を楽しんだという。ちなみに「野球、打者、走者、直球・・・」など数々のベースボール用語を和訳したことで知られている。そんな子規の野球界への貢献を讃えて2006年にこの球場に正岡子規記念球場の愛称が贈られた。

・・・「春風や まりを投げたき 草の原・・・子規

時忘れじの塔」…上野公園に来たら、この前を通らずにいられない。落語家初代林家三平の夫人海老名香葉子さんや有志らが建立した太平洋戦争末期の東京大空襲で亡くなった方々への鎮魂の思いをこめたモニュメントです。モデルは1945年3月10日の東京大空襲で亡くなった香葉子さんのお母さん、妹、弟でしょうか。


時忘れじの塔」については2010年4月10日のブログを→クリック「上野の森で・・・悲しい時を忘れないために・ 時忘れじの塔」

ある人との待ち合わせ場所・・・国立西洋美術館に向います。


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