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比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

リニューアルした・・・東京駅を・・・お上りさんして歩いた

2012-10-17 | 道をゆく 東京散歩
10月14日、友人と新宿で待ち合わせ。その前に2012年10月1日、リニューアルなった東京駅を見にお登りさんしました。

東京駅中央口に向って正面、通称「行幸通り」から眺めた図です。
この写真ですとどう改装したかわかりません。カメラのワイドいっぱいにしても両側にはみ出た南口ドーム・北口ドームが1945年の空襲で損傷を受け八角ドームだったのを急場しのぎに六角の寄せ棟にして急ぎ修復、67年(修復した人はエライ)たったいま、原型に戻したというわけだそうです。



写真は正面に真っ直ぐなあたりから撮りました。乗降客の正面入り口は正面の向かってやや左サイト。正面はやんごとなきお方がお乗りになる場合を除いて開かずの玄関です。

1825年、英国で蒸気機関車が実用化され、1853年、日本に蒸気機関車の模型のようなものが入ってきたそうです。それから20年後の1872年、横浜・新橋間に鉄道が開通します。17年後の1889年に新橋、神戸間が開通。東京駅が開通したのは1914年です。
先進国とか後進国とかいってもやればあっという間に追いつけるものですね。駅舎の上の東京ステーションホテルは1915年開業。
駅舎の設計は辰野金吾・葛西萬司設計事務所、このコンビで明治時代の幾多の名建築を手がけ代表的なものは日本銀行本店。辰野金吾は日本の近代建築設計家の先駆者として位置づけられている人です。渋沢栄一が創業した深谷市の日本煉瓦(株)の赤レンガを使った鉄筋・レンガ壁構造、鉄筋にしたことで関東大地震でも被害がなかったそうです。
改装にあたり表面の一部をイメージ化して残し高層建築にする案もあったようです・・・駅の前の丸ビル、中央郵便局がそういうイメージで新築されています。

美しい建築デザインの旧来のもを復元化するのがよかったのか、丸ビル、中央郵便局のように昔のイメージを一部残して都市空間を有効に利用するのがよかったか・・・みなさんはどう思いますか。

数十年かぶりの丸の内界隈です。高層ビルの立ち並ぶ街になっていました。息が詰まりそうです。東京駅が低く見えます。ホッとします。

日曜日、駅の周りは携帯電話のカメラ、ポケットデジカメ、高級カメラで撮影する人たちでいっぱいです。お絵描きのグループもいます。ステーションホテルのドームの回廊に上がる人が行列していました(有料です)。
お登りさんですからあっちこっち歩きました。その話しは次回に。

真夏の葛西臨海公園で・・・散歩した

2012-09-03 | 道をゆく 東京散歩
9月1日、東京で高校の同級会(何のかんのと理由をつけての飲み会ですが)があり、会合は6時から、その前にしばらく逢わなかった旧友に逢おうと葛西臨海公園で落ち合わせしました。友だちは江東区深川の住まい、ウォーキングの好きな人なので広い海辺の公園で散歩でも楽しもうというわけです。

JR京葉線「葛西臨海公園駅」、江戸川を越えた隣の駅が東京ディズニーランドの「舞浜駅」です。

葛西臨海公園駅・・・葛西臨海公園のための駅です。ほかに何もありません。
葛西臨海公園・・・海まで南北500m弱、海辺の長さ2km弱、約8㌶。1970年の計画が始まり1989年開場。近接の新木場、若洲、浦安と同じく埋め立て工事により造成された人工的な陸地、人口渚、天然干潟です。公園の樹木はすべて植えたもの。

真夏のことで開花していたのフヨウぐらい。

駅から渚に真っすぐ・・・クリスタルビューというが総ガラス張りの展望台。
 

この日は晴れでしたがときどきスコールの襲来。あまり歩かずに公園内のホテルのラウンジでお茶して雨宿り。



東京新名所・・・東京ゲートブリッジ・・・ウォーキング

2012-02-29 | 道をゆく 東京散歩
2月27日、友だち夫婦3組で東京ゲートブリッジを散歩した。

朝10時、新木場駅で江東区に住むYさん、さいたま市に住むKさん、そして私たち・・・集合。
新木場駅・・・地下鉄有楽町線終点、JR京葉線、JR武蔵野線、東京臨海高速鉄道りんかい線・・・などが乗り入れている大きな駅です。東京ゲートブリッジまでバスに乗って30分くらいかな。終点は若洲公園、ここからエレベーターで8Fまで昇り(階段でも可)橋の歩道に出ます。

若洲公園側からみた東京ゲートブリッジ・・・別名「恐竜橋」

跨いでいる海は東京湾第三航路。

上下合わせて四車線、歩道が上流側に1本。大勢の人が歩き出します。上空に飛行機。
対岸は中央防波堤埋立処分場(埋立地造成中)。

通り抜けできませんでした。みんなUターンして帰ってきます。
今日は凄い風です。手摺りが高いのですが怖いくらいです。上空にユリカモメ。

東京港、レインボーブリッジ、お台場公園など見えてるはずです新しい東京は不案内でわかりません。

片道1.6km(往復3.2km)。散歩としては物足りない距離ですが新名所としてウォーキングの名所になるかも。橋の袂にある若洲ゴルフリンクスの周りもウォーキングできるようです。

ほとんどのかたが寒さと強風に備えてキルティングのウインドブレーカー。
この日のランチは若洲公園のベンチでコンビ二おにぎりと水筒のお茶。
新木場駅で解散・・・・お疲れさん。

《薀蓄》東京臨海大橋→東京ゲートブリッジ(恐竜橋)。2012年2月12日竣工。長さ2.6km、海面から高さ87.8m、海面から橋桁まで54.6m、水路の広さ300m。高さについては航空法に定める航路の最低航路の高さ98mより低いこと、橋桁までの高さは水路を通る船の高さ制限より高いことを計算して。水路の幅300mの橋桁を支えるには吊橋がよかったが高さ制限をクリアできなかったので、トラス構造にしたとテレビのドキュメンタリーで聞いた。 トラス構造とは三角形による組み立て構造です。このトラス構造体を耐震のため橋桁に固定せずに乗っけているだけという凄い技術だ。
京浜工業地帯から京葉工業地帯へ国道357号線湾岸道路と首都高速道湾岸線が走っているが、東京ゲートブリッジはそのバイパスとして大きな経済効果を期待されているようだ。

歩道が通り抜けできないのは対岸が埋め立て工事進行中であり人道も一般車道もないから。最終的には海浜公園になり東京湾のオアシスになりそうな雰囲気です。自転車通行禁止。夜間歩行はできません。

師走の東京の街を探検・・・日暮里せんい街

2012-01-21 | 道をゆく 東京散歩
昨年の12月26日、東京にお上りさんしました。師走恒例の行事です。目的地はいつも行き当たりばったり。
まず最初は東武東上線の大山駅のそば大山銀座商店街・大山銀座美観街あらためハッピーロード大山、それから江東区の葛西臨海公園を散歩して、最後にアド街っく天国・・・日暮里・・・です。

JR山手線日暮里駅南口。駅舎の上になにやら尖がった塔がありますが何を意味するかわかりません。常夜灯をイメージしてデザインしたものでしょうか・・・どうでもいいことです。
山手線の内側には谷中墓地、夕焼けダンダンの谷中銀座がありますが今日は山手線の外側の日暮里の繊維街を散歩します。

ちなみに日暮里(にっぽり)とは新堀(にいぼり)をかっこいい漢字に直したものでしょうね。

日暮里駅南口は跨線橋の上。跨線橋から東側に降りると日暮里中央通り。日暮里せんい街です。
[布の街」「布の道」という響きがいい。

ここはハギレ、裁落とし品、見切り品、余剰反物、洋品小物、レザークラフトの材料などを扱う日暮里繊維卸協同組合員65社がそれぞれ店を出している町です。


《薀蓄》江戸時代から庶民は反物を洗い張り、縫い直し、パッチワーク、刺し子とリフォーム・リサイクルしていました。江戸の町にはそういうもの中古衣料を扱う店があり、在所から古着を仕入れに来る商人もいて神田岩本町、馬喰町、浅草寿町などは古繊維商の店が大いに栄え、大正時代の始めごろそういう業者が日暮里、三河島に集団移動したといいます。新しい卸商業団地の開発です。日中戦争から太平洋戦争の時代、そういった商品も統制品になり商いは途絶えますが、終戦後、旧日本軍の放出物資、進駐軍の払い下げ品、アメリカの古衣料などが出回りだしてふたたび活気を取り戻し現在に至ります。

こういう店は地方にはなかなか見当たりしません。私の住む村の近くにも○ンカ堂という店がありましたが撤退しました。個人で洋裁業をやっている方があるグループにユニフォームなど受注したとき材料はこういうところで買い求めるのだそうです。
地方からわざわざ来た方、どこで情報をいれたか?外人さんの姿も見えます。

別に買うものがあるわけではありません。オバサンはこういう街をブラブラするのが好きなようです。

師走の東京の街歩きはこれでお終いです。上野で友だちと会って少しおしゃべりして、それから池袋で軽くいっぱい飲らないで帰りました。

師走の東京の街・・・探検・・・大山銀座ではなくハッピーロード大山

2012-01-19 | 道をゆく 東京散歩
昨年の12月26日、東京にお上りさんしました。師走恒例の行事です。目的地はいつも行き当たりばったり。
まず最初は大山銀座商店街・大山銀座美観街あらためハッピーロード大山

アド街っく天国・・・大山・・・東武東上線池袋より3駅川越より。
板橋区大山町。商店街は駅のそばの踏切から東西に。普通の東京の商店街です。

ここでは同行のおばさんが1足150円の靴下2足とレッグウォーマー1足250円お買い上げ。
大規模な量販店などないようですが物価が安い暮らしやすい庶民の街のよう。朝早いので食品店などは開店前でした。

青春のころ、池袋より1駅目の北池袋の安アパートに住んでいました。先のことがまったく読めない時代でした。あれからもう何年経っただろうか。

さて次はどこにしよう。

葛西臨海公園から・・・ディズニーランドを見た

2011-09-08 | 道をゆく 東京散歩
葛西臨海公園の東の端、旧江戸川の河口です。
江戸川・・・古くは渡良瀬川の下流部、江戸時代の利根川東遷事業により利根川と合流、千葉県関宿で分流されて東京湾に。総延長59kmの大河。

舞浜大橋・・・JR京葉線、首都高速湾岸線が走っています。橋を渡るとそこはもう千葉県浦安市、舞浜駅、西洋の城郭のように見えるのは東京ディズニーランドホテル。
浦安は古くはほとんどが干潟の地、1965年千葉県の海面埋め立て事業により現在のような海浜都市になりました。舞浜とはアメリカ・フロリダ州のリゾート地マイアミにちなんだものとか。パクリですがまあヨシとしましょう。

少しカメラ位置を右に振ると東京ディズニーランドのシンデレラ城が見えてきます(行ったことがありませんのでわかりませんがたぶんソウだと思います)。
手前は浚渫土によって造られた東なぎさと葛西臨海公園との間の水路です。見てのとおり干潮時なのか遠浅です。


葛西臨海公園・・・千葉県の海面埋め立て事業に続いて1970年葛西沖開発事業が始められ同時に海上公園構想も進められ1989年開場しました。公園の前の海は三枚洲と呼ばれ、自然干潟、人口干潟も含めて総面積64ヘクタール。

水鳥が多く見られました。餌になる生命体が豊富だということです。渡り鳥も寄港地として寄っていきます。オオルリ、キビタキなどの小鳥もやってきます。猛禽類も獲物を狙っています。
水鳥の来る池の整備(葦刈り、草抜き)などはボランティアの方がやってるようです。

海鳥がいない海、人が貝を拾えない海、それは死の海です。
ここでは海鳥や人が渚で活き活きと遊んでいます。
貴重な動物の棲みか・・・また尋ねてみたいです。


東京湾を望む・・・野鳥の聖園・・・葛西臨海公園

2011-08-31 | 道をゆく 東京散歩
8月27日、東京で高校の同級会(何のかんのと理由をつけての飲み会ですが)があり、会合は5時から、その前に折角の上京の機会にかねてから行きたいと思っていた葛西臨海公園を覗いてみました。

JR京葉線葛西臨海公園駅。はじめて降りる駅です。
地下鉄有楽町線新木場駅から一つ目、隣の駅は東京ディズニーランドのある舞浜駅です。
駅に降りるとその前は公園、東西2km弱、南北500m弱、8.1㌶、広いです。



駅からまっすぐ進むと海。手前は葛西海浜公園(西なぎさ)、前の海は荒川が流れ込む東京湾。
向こう岸は若洲海浜公園、その向こうの化け物みたいのは建設中の東京ゲートブリッジ



海岸を東に進むと旧荒川と新中川が合流して東京湾に流れ込む河口です。
東京ディズニーランドが遠くに見えます。行ったことはありません。
手前の海は三枚洲、遠浅で人々が何か採っています。アサリでしょうか。


鳥類園というゾーンがあります。淡水池と汽水池があり中は管理者だけしか入れないようです。
まったくの手つかずのビオトープ、天然の海浜の沼です。
いまは東京23区には棲息しなくなった小昆虫、両生類、蝶、トウキョウダルマガエル、ニホンアカガエルなどがが棲息するようになり、それらを食べる約170種の小鳥、水鳥、猛禽類もいるようになったそうです。
写真は汽水池(下の池)を鳥観測用の覗き窓からの見た風景です。
この窓から初見の水鳥6種を含めて9種類の水鳥を見ました。


この鳥見では地元の人にずいぶんお世話になりました。
「遠くから来たのだからいっぱい見ていきな」「あっちの鳥見場では〇〇シギが来ているよ」
とか親切に教えていただきました。

撮影した写真は初めての場所の撮影なので慣れませんしブレブレですが追ってブログアップしていきます。
なお、ここは都立公園、鳥類園も公開しているので写場はオープンにします。
葛西臨海公園のスタッフによる鳥見ブログ(非公式)もあります。

鳥見ではなくゆっくり散歩したいところです。


東京・・・アメ横でいっぱいやりたかったが・・・

2011-04-14 | 道をゆく 東京散歩
久しぶりの東京。
午後からの旧友の集まりの前に、上野の花見とシャレました。

JR鶯谷駅から「哀しみの東京大空襲ー慰霊碑」の前に佇み、国立博物館、芸大の奏楽堂、都立美術館の横を通り、桜並木をブラブラ、「時忘れじの塔」から清水観音堂。不忍池・・・そして「アメ横」の雑踏の中をブラブラ。


ここで何か軽い昼食をと思い時計を見たら12:30、会合は13:00から
上野駅に戻りJR山手線で秋葉原、総武線に乗り換えて市ヶ谷駅に・・・間に合った

そのあとの会合のことは・・・省略。
それからあと・・・親しい友人が新宿から高速バスに乗るというのでお見送りに、バスターミナル下の回転寿司で懐旧談。バスの予定を三本遅らせてしまった。

雪の東京・・・東京タワー

2011-02-14 | 道をゆく 東京散歩
2月11日、友と会って、雪の東京、新宿御苑から東京タワーにやってきました。おのぼりさんです。

雪がちらついていて霧に包まれたようになっています。近くの知らないビルばかり見えますが新宿の高層ビル群もお台場方面もスカイツリーも見えません。
真下に増上寺が見えます。

徳川家の菩提寺。15代将軍のうち6人の霊廟があります。徳川家の菩提寺はほかに江戸城の東北(鬼門の方角)天台宗の上野寛永寺。増上寺は南西・・・裏鬼門の方角にある。
元は真言宗といわれますがなぜか浄土宗にくら替え、家康入府のおり通りかかった家康が気に入って菩提寺にしたといいます(諸説あり)。
今はなぜかプリンスホテルとかが建っているし、東京タワーの敷地の一部は増上寺が寄付したものです。

赤羽橋方面らしいのですがよくわかりません。

東京タワーを上から見ました。このガラスは丈夫なのかな。

ここに上ったのは二度目です。1回目はウン十年前です。
東京スカイツリーが完成すればここはどうなるでしょう。
あんがい人気が出たりして・・・

そのあと、新宿に戻って、そのあとのことは省略。

雪の東京・・・新宿御苑

2011-02-13 | 道をゆく 東京散歩
2月11日・・・雪の新宿御苑を散策しました。寒いし雪が降ってるし、酔狂なヤツと笑われそうですが、友人と会って息抜きです。

新宿御苑正門から入ってすぐの梅園です。下草に水仙が植えられていて花盛りです。
梅の花なのか雪なのか・・・よくわかりません。

少し歩いて四谷大木戸口門のそば、日本庭園「玉藻池」です。

灯篭の向こうの池の中に鴨が・・・ハシビロガモ・・・かな?

新宿から至近の距離の貴重な都会のオアシスです。
新宿御苑についての《薀蓄》の過去ログは↓
2010.03.11「信濃国高遠藩内藤家下屋敷・・・ 新宿御苑を歩く
2010.04.24「ようやく春が・・・新宿御苑の・・・庭園を歩く