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比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

東京ぶらりぶらり・・・押上駅から・・・スカイツリーを見上げた

2013-10-24 | 道をゆく 東京散歩
10月17日、久しぶりの東京に行こうか・・・ということになり・・・いぜん訪れたことのある砂町銀座に・・・出没アド街ック天国
それから錦糸町に戻り、地下鉄で一駅の「押上駅」に。
スカイツリーの駅前です。
左の写真は押上駅前、「ソラミ坂」から見上げたスカイツリー。
右の写真は「ソラマチ広場」から。

首が痛い。

有名なフォトスポットの十間橋から写真を撮ろうと歩いて行った。

西十間橋からの写真です。28㎜の焦点距離でタテに構えてもこれだけしか入らない。全然面白くない。
この北の十間橋まで歩いていけば定番の写真が撮れるのだが・・・

昼の酒が効いてきて・・・かったるくなった・・・でスカイツリーのフォト散歩はオシマイ・・・そうだ浅草に行こう。


※いま見てる川は北十間川、万永年間(1660年前後)に開削。旧中川から隅田川まで3.24㎞、幅十間(18m)で十間川。川幕府の書院番、徳山重政、山崎重政がこのあたりの溝渠(運河)の構築を行い本所奉行を務めたといいます。書院番とは徳川幕府の職制、将軍の近辺を守る親衛隊。両名は旗本身分であろうと思いますが禄高は不明。
※パリの中でいちばんの風景は・・・エッフェル塔の上だそうだ・・・エッフェル塔が見えないからだ・・・
エッフェル塔が作られたころそういわれたそうだ・・・いまはエッフェル塔もクラシックな雰囲気になってパリの街並みにマッチしてると思う。
東京タワーもできたころは古くから東京に住む人にとって違和感があったと思う。いまはどうだろう。
東京スカイツリー・・・わたしの中にはなぜか違和感がある。でも大勢の人はもう親しむ存在になっているようだ。
※東京スカイツリーに登りたいと思いますか・・・登らないでしょうね。はじめて東京タワーに登ったのはできてから20年後くらいでした。
※スカイツリーの写真はパッと来て撮るには無理がある。この近くにいいて何気ない視点からフォトスポットを見つけていくのがいいのだろうな。

東京ぶらりぶらり・・・訪れてみたい商店街・・・砂町銀座

2013-10-22 | 道をゆく 東京散歩
10月17日、久しぶりの東京に行こうか・・・ということになり・・・いぜん訪れたことのある砂町銀座に・・・出没アド街ック天国
JR錦糸町から都バスに乗り北砂2丁目に。

バスを降りると砂町銀座商店街の入り口・・・ここから東に約600m余、通りが続く。

日本経済新聞・2005年2月5日号で「訪れてみたい商店街」の3位に選ばれている。

上段左から・・・天麩羅の店、アサリ専門のおばちゃんの店、テレビによく出るスーパー魚○、ヤキトリの店。
中断左から・・・トマト専門の店、おでんの店、テレビによく出るスーパー魚○の乾物、野菜の店。
下段左から・・・商店街の風景、ハブ酒ではなくコプラ酒、鮮魚店、八百屋(ここでトマトを購入)

おでんの店・・・近所のおばさんが鍋を持って買いにくるような店・・・100円以下のネタが多い・・・
ここでダイコン(105円だったが100円にしてくれた)を買って食べ歩き。

ヤキトリの店・・・ここでカシラ、鳥皮を買って・・・その場で食べる。1串100円、大きい。

昭和の東京の面影が残っている商店街。スーパーにもコンビニにもない香りが漂っている。
東京とか大阪とか名古屋とか福岡にしかない商店街、私の生れた田舎にはむかしも今もこういう商店街はあるはずがない。地方の中堅都市は郊外の量販店に、大都市だからこそこういう商店街があるのだろうなと思う。

東京ぶらりぶらり・・・久しぶりの下町・・・小名木川

2013-10-21 | 道をゆく 東京散歩
10月17日、久しぶりの東京に行こうか・・・ということになり・・・いぜん訪れたことのある砂町銀座に・・・出没アド街ック天国
JR錦糸町から都バスに乗り北砂2丁目に。

都バスの車窓ごしに明治通り、新開橋の上から見た小名木川の風景。
小名木川・・・いまから423年前、川家康が江戸入府(1590年)と同時に開削した約5㎞の運河。


いまから423年前か・・・スゴイなあ~・・・家康の都市計画は・・・と素直に思うわたくしです。

とうじの江戸は低湿地、江戸城の周りは100戸ばかりの寒村であったといいます。おそらく入府前に事前調査をしていたのでしょう。街道の整備、河川の整備を真っ先に行ったようです。大名領の新都市開発、インフラ整備です。
小名木川の開削請は小名木四郎兵衛といいますが身分はよくわかりません。その土地の有力者の請負工事(百姓請)でしょうか。小名木川の名前はその人の苗字からというのが定説のようです。ウナギ()川がオナギ川になったという説もあります。
開削の目的は中川(元荒川系、古利根川系)から隅田川への水運の近道です。常総方面からの水運も隅田川河口からではなくこの運河からのほうが安全だったようです。

東京ぶらりぶらり・・・霞ヶ関ビルからの大パノラマ夜景

2013-09-09 | 道をゆく 東京散歩
今回は旅所々さんの写真公開です。

8月29日、旧い旧い友人たちが集まる会合(といっても田舎の高等学校出身者で主都圏に住む同期生会・・・つまり納涼会と称する飲み会ですが)で霞ヶ関ビル35階の展望ルームに行きました。
PM6:00から・・・地上147mの霞ヶ関ビルの最上階近くから大パノラマの夜景を眺めながら大宴会・・・すっかりいい気分になりガラス越しに大俯瞰写真を撮りましたがアルコールのせいか大失敗(腕が悪いのだ)。そこでかねがね私のブログにコメントを寄せていただいている旅所々さんの写真をお借りしての公開です。

虎ノ門交差点から西新橋(むかしのの田村町)新橋方面への外堀通り。
この道路は新橋駅西北口(日比谷口)の右を通って東海道線、山手線、京浜東北線などのJR高架線路のガードを潜り銀座方面に向かいます。
※カメラはOLYMPUS E-M5 ZUIKO12~35㎜ F2.8 撮影はISO800 絞りF2.8 S.S1/10秒。
霞ヶ関ビルから東京タワー(高さ333m)を俯瞰する・・・といっても向こうから俯瞰されていますが。
このあたりむかしは西久保○○町とか神谷町とかいいましたがいまでは虎ノ門に住所統一されています。
※カメラはOLYMPUS E-M5 ZUIKO12~35㎜ F2.8 撮影はISO800 絞りF2.8 S.S1/4秒。
素晴らしい夜景撮影のテクニックです。撮影データを教えていただいたので参考になればと記しました。

納涼会風景です。
PM6:00~8:00 最後に校歌を歌って、一本〆して再会を約束して散会。
いい納涼会でした。

これにて東京ぶらりぶらり2013・08はオシマイです。

東京ぶらりぶらり・・・虎ノ門・・・霞ヶ関

2013-09-08 | 道をゆく 東京散歩
8月29日、ある会合で東京に出かけました。場所は虎ノ門の霞ヶ関ビル、いつものことですが会場につく前にブラリ東京散歩をします。

地下鉄有楽町線永田町で下車、国会議事堂裏を通って山王坂を下り、赤坂山王下、溜池と歩いて、ようやく虎ノ門。

地下鉄虎ノ門駅虎の門交差点。虎ノ門とはむかし江戸城の南端の出入り口(虎ノ門)があったから。虎ノ門とは城郭の最も重要な門をいいます(虎口)。
国道1号線(桜田通り)と外堀通りが交差しています。



←霞ヶ関ビルの前にこんな煉瓦造りのモニュメントがありました。
工部大学校址
東京大学工学部の前身です。1871年(明治4年)明治政府の工部省は工部技術者養成所を開校します。1877年工部大学校に、1885年東京帝国大学工学部に、1888年本郷に移転。跡地は帝室博物館、東京女学館が使用。1923年の関東大震災で建物は倒壊。同校出身者が瓦礫の煉瓦を集めてこの址碑を建立。
東京駅、日本銀行の設計家として名高い辰野金吾は第一期仁末席で入学、主席で卒業したそうです。
「日本の夜明け」を見るようです。

さて霞ヶ関ビルの会合・・・PM6:00・・・35階の展望パーティー会場・・・間に合いました。

霞ヶ関ビル35階展望ルームからの俯瞰です。
虎ノ門から新橋へ・・・芝公園の東京タワー・・・トワイライトタイムです。


夜景が綺麗なんですが・・・それは次回に・・・乞うご期待。

※東京ぶらりぶらりの散歩・・・永田町から虎ノ門まで・・・約1時間、6000歩・・・撮影カメラはすべてLUMIX DMC TZ27(ポケットコンデジ)。


東京ぶらりぶらり・・・赤坂から溜池へ

2013-09-05 | 道をゆく 東京散歩
8月29日、ある会合で東京に出かけました。場所は虎の門の霞ヶ関ビル、いつものことですが会場につく前にブラリ東京散歩をします。
地下鉄有楽町線永田町で下車、国会議事堂裏を通って山王坂を下り、赤坂山王下、溜池、虎の門と歩きます。予備知識はありません。

溜池交差点・・・むかしは港区溜池町、いまは赤坂1丁目。外堀通りに渋谷方面から六本木通りが交差します。
溜池・・・江戸時代ここに自然湧水の溜池があった・・・のだそうです。詳しくは↓の写真の石碑で。


溜池交差点にこんな石碑がありました。クリックすると大きくして見られます。
江戸時代初期、自然湧水を溜池にして上水に利用。不忍池に匹敵する名勝地であったそうな。神田上水、玉川上水が整備されたあとは上水としての役目を終え、江戸中期より埋立が始まり、明治に入り本格的な埋立に着手、明治44年完工。
いまは町名は消滅しましたが町会名は「赤坂溜池町会」としていまに至り、溜池交差点、都バス溜池停留所、地下鉄山王溜池駅と由緒ある地名の名残りを残し往時が偲ばれます。

アメリカ大使館は元の溜池町の霊南坂にあり「霊南坂」といえばアメリカ大使館のセカンドネームでした(いまもいうのかな)。

外堀通り・・・新橋から有楽町、八重洲口、大手町、神田から、外堀に出て、神田川左岸、飯田橋、市ヶ谷、四谷、赤坂、虎の門,新橋と環状になった道路。
六本木通り・・・渋谷から高樹町、麻布、六本木、箪笥町、溜池とつながる道路。この線も高樹町、霞町、箪笥町などむかしをしのぶ町名が消滅していきました。

東京ぶらりぶらり・・・赤坂・・・かつての夜の町は

2013-09-04 | 道をゆく 東京散歩
8月29日、ある会合で東京に出かけました。場所は虎の門の霞ヶ関ビル、いつものことですが会場につく前にブラリ東京散歩をします。
地下鉄有楽町線永田町で下車、国会議事堂裏を通って山王坂を下り、赤坂山王下、溜池、虎の門と歩きます。予備知識はありません。

山王様(日枝神社)から稲荷参道(赤鳥居のトンネルの階段)を下りて外堀通りに出ます。
山王様の山型の大鳥居があります。

外堀通りから赤坂見附が見える。
東西に三宅坂から青山方面に国道246号(青山通り、玉川通り、厚木街道、大山道)が。
外堀通りは斜め北に向かうと四谷見附。まっすぐに弁慶橋を渡ると紀尾井町。
 
※赤坂の地名は関東ローム層(富士、箱根、浅間、春名、赤城の火山灰の堆積層)の赤土が露頭していたところからであろう。
※見附とは城郭の出口の番所のこと。「見つけたぞ~」と叫んだから? 東京には四谷見附、市谷見附などの地名が残る。
※紀尾井町・・・紀州徳川家(赤坂プリンス)、尾張徳川家(上智大学)、彦根井伊家(ホテルオオタニ)の屋敷があったことから。

山王下から外堀通りを挟んで赤坂TBS通り
akasaka Sacas・・・ローマ字を逆に読むと・・・咲かす赤坂・・・Sacas広場、TBS放送センター、赤坂Bizタワーなどの複合施設があります。
 
戦後、昭和30年代から50年代まで赤坂は夜の国会議事堂と呼ばれる高級料亭。商社の夜の会議室としての高級ナイトクラブ。表通りは外国企業の出先、輸入自動車の代理店など・・・夜の社交場であり国際的なビジネスの町・・・活気ある町でした。いまは普通のビジネス街に変貌しているようです。

溜池方面に歩いていきます。

東京ぶらりぶらり・・・永田町から山王坂を下れば日枝神社

2013-09-02 | 道をゆく 東京散歩
8月29日、ある会合で東京に出かけました。場所は虎の門の霞ヶ関ビル、いつものことですが会場につく前にブラリ東京散歩をします。
地下鉄有楽町線永田町で下車、国会議事堂裏を通って山王坂を下り、赤坂山王下、溜池、虎の門と歩きます。予備知識はありません。

山王坂を下ると日枝神社・・・大鳥居・・・山王様ですから鳥居の上が山型です。


「菊の御紋」が見える日枝神社の随神門。


日枝神社の拝殿。


山王稲荷神社の稲荷参道・・・この坂を下ると外堀通り・・・赤坂見附と溜池の間のあたり。

日枝神社・・・創建年は不詳。中世、太田道灌が江戸城を築城の際、川越の日枝神社から勧請したとか。江戸期に入り1604年、川秀忠が麹町隼町に移し(遷座)、1657年の明暦の大火で焼失して現在の地に。川家の氏神。1945年空襲で焼失、1958年再建。
祭神は大山咋神(オオヤマクヒノカミ)、本家は比叡山(日枝山)の麓、滋賀県大津市坂本の日吉神社、分家(フランチャイズ)は日吉神社、日枝神社を合わせて3800社に上る。
大山咋神はいつの間にか比叡山延暦寺と組んで天台宗の山王神道の山の神様になったらしい。それで日吉神社チェーンは山王様と呼ばれる。
勧請・・・クヮンジョウ(梵語)で仏の分霊のこと・・・いつの間にか神道にも取り入れられて神様を本家から分祀することをいうらしい。
※境内の末社に猿田彦神社、八坂神社、山王稲荷神社があるが・・・ここでは省略。


赤坂見付から溜池へ、むかしは裏通りは政財界御用達の高級クラブの町、高級料亭の町,表通りは横文字の看板が目立つ輸入代理店の町・・・であったがいまはわからない。ゆっくり歩いて見ていこう。

東京ぶらりぶらり・・・永田町から星ヶ岡へ

2013-08-31 | 道をゆく 東京散歩
8月29日、ある会合で東京に出かけました。場所は虎の門の霞ヶ関ビル、いつものことですが会場につく前にブラリ東京散歩をします。
地下鉄有楽町線永田町で下車、国会議事堂裏を通って山王坂を下り、赤坂山王下、溜池、虎の門と歩きます。予備知識はありません。

永田町、参議院議員会館前の座り込み、辺野古新基地反対のグループのようです。

デモの名所・・・政治的主張を幟や拡声器を持っていろんな団体が行っているのが議事堂周辺の特徴。こうした静かなご婦人たちのデモもあれば、大きな装甲車みたいな街宣カーの大きなボリュームのスピーカーで何やら主張をして団体もある。大きな事件にならぬよう警察のかたたちも警備。
いまから53年前・・・60年安保・・・日米安保条約改定をめぐり国会周辺で大がかりなデモが行われ国会の周りはデモ隊で埋め尽くされた。デモは一般市民も参加する大衆型であったが、そのごのデモは過激な暴力闘争に変わり次第に一般大衆の支持を失っていった。


国会議事堂の裏通りに沿って大きな城壁のようなビルが3棟並んでいます。参議院議員会館、衆議院第一・第二議員会館です。

※議院会館・・・いまから数十年前、議院会館は木造モルタル2階建てのバラックみたいな建物でした。それが老朽化して1963年議院会館が作られ、さらに2010年現在の新議員会館が竣工した。12階、建坪12000㎡、お城のようなビルが3棟。議員事務所の面積100㎡。旧議員会館の議員事務所は40㎡。木造バラックの時代の議員事務所は15㎡(5坪)くらい(ここでアルバイトしていたから詳しい)。

国会議事堂を裏から見ました。


第一議員会館と第二議員会館の間を赤坂方面に降りていきます。山王坂といいます。

山王坂・・・国会議事堂の裏から赤坂見付、溜池の外堀通りの間の窪地は江戸時代は山王様(日枝神社)の社領地。坂を下りきった正面に社の森が見える。山王坂はまたの名を鹿島坂・・・江戸時代は上方のお酒(下り酒)を扱う豪商の屋敷があったからだという。

山王様(日枝神社)のそばに都立日比谷高校(旧制府立一中)

※山王坂を下って右に回り込むと都立日比谷高校、1878年創設の伝統校。創設時は本郷に、そのご麹町区西日比谷に、1929年現在の地に。1950年西日比谷にあったことに因んで校名改称。校門の前の坂道は俗称「遅刻坂」(落第坂ではない)。校門を挟んで日枝神社の山の下に「山の茶屋」がある。往年の映画スター長谷川一夫の奥様が経営されていた料亭「賀寿老」の、そのごというが確かなことを知らない。山王坂を下りきった四ツ角の平河町寄りに「三ベ坂」がある。江戸時代、岡部、阿部、渡辺家の屋敷があったことから町人たちが名づけたという・・・オシャレ。
星ヶ岡・・・山王様の左手に東急キャピタルタワーがある。江戸時代は日枝神社の境内の小高い丘の上から星がよく見えたということから星ヶ岡といわれた。明治期に日枝神社が境内の一部を東京都に寄付、1881年麹町公園に。三井銀行の三野村利助らが目をつけ財界人中心の高級料亭星岡茶寮に(一般庶民の公園を料亭の敷地として払い下げを受ける・・・よくある手だ)。大正末期に、便利堂(美術印刷業)の中村○○(社長)と北大路魯山人(顧問)が譲り受け会員制料亭に。のちに魯山人は尊大さと経営観念のなさで解雇されている。戦後は東急傘下に。1963年廃業、ホテルに変わった。


むかしむかしこのあたりでアルバイトしていました。いま歩いてみると国会議事堂以外はわかりません。山王坂も小さな道でした。山王様と日比谷公庫の間を抜けて赤坂のほうに仕事で歩いて行ったことがあります。日比谷高校と日枝神社以外は記憶の外に行った街でした。  

東京ぶらりぶらり2013・・・浅草から吾妻橋を渡って東京スカイツリーへ

2013-07-02 | 道をゆく 東京散歩
5月31日、上野界隈をぶらりぶらりしましたが、6月6日、急に用事ができてふたたび東京の町に。用事をすませてから、今度は浅草界隈の散歩。

合羽橋から国際通りに、国際通りを横切って浅草ロックへ、さらに新仲見世、仲見世、雷門、松屋の前の回転すし屋さんでランチ,それからウンチビルの見える吾妻橋を渡って、隅田川の畔を散歩して東京スカイツリーまでブラリブラリ。ひたすらにスカイツリーの周りを歩く歩く。東京スカイツリーに登る・・・おノボリさん・・・は今回はパス。最後は東武鉄道「とうきょうスカイツリー駅」(もと業平駅)から「浅草駅」に。


例によってフォトからの下手なイラスト起こし。
北十間川のフォトスポットは西十間橋、十間橋が有名ですが、ここは隅田川に落ちる水門のすぐそばの枕橋源森橋のあたり、船宿が1軒ありました 。十間橋はフォトグラファーで混んでるそうですが、ここは静か。

枕橋」・・・名前がいいですね。このあたり・・・地名がいいです・・・「業平」「曳舟」「押上」「向島」「花川戸」「言問橋」。
このあたり予備知識なしで歩いたのだが「枕橋」の由来の石碑があり、墨田公園があり、枕橋茶屋あり・・・なかなか面白いところ。

元気があれば向島の長命寺の桜餅屋さんまで歩いて、桜の葉三枚包みの桜餅を隅田川(皮)を向いて(剥いて)食おうかと思ったが疲れたのでパス。焼き鳥、酎ハイの街・・・立石にも行きたかったのですが、昼間からイッパイはできませんからパス、次回に。

東武電車で浅草に戻って、山手線巣鴨の「おばあちゃんの原宿」をブラリブラリ・・・都電「庚申塚」から「東池袋駅」まで、そこから池袋まで歩いて、東武デパートの駅地下の甘味処でひと休み。帰宅。

本日の歩行数25000歩。

北十間川・・・利根川水系旧中川と荒川水系隅田川の間を1663年開削した3.24㎞の運河。昭和の初めごろまでは舟運の要であったことは「曳舟」の地名から容易に察しられる。名前の由来は川幅10間(18m)だったから。