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比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

東京ぶらり散歩・・・隅田川から・・・東京スカイツリーが見える

2014-01-07 | 道をゆく 東京散歩
1月4日、川崎大師をお詣りしてから浅草に来ました。吾妻橋の袂から隅田公園のリバーサイドをしばし散歩です。

東武鉄道の鉄橋の下を進む東京都観光汽船の水上バス・・・隅田川ライン・・・浅草→浜離宮→日の出桟橋。

東京水辺ラインの水上バス・・・二天門船着場から・・・この船はチョイ乗り、チョイ降りもできます。

浅草~日の出桟橋のクルーズは何回か乗ったことがあります。こんど来たときは水辺ラインのチョイ乗りをしてみよう。

隅田公園のリバーサイドにいた・・・ユリカモメ。嘴と下肢が赤ければユリカモメとしています。

1月5日の川崎大師から始まったぶらり散歩はこれにて終了。撮影カメラはすべてポケットデジカメLUMIX TZ40。

東京都観光汽船のオフィシャルサイトは→クリック
水上バス・・・水辺ラインの情報は東京都公園協会オフィシャルサイト→クリック

東京ぶらり散歩・・・浅草界隈・・・チョッとマニアックなお店

2014-01-06 | 道をゆく 東京散歩
1月4日、川崎大師のお詣りのあとは、いささか人の波に疲れて、ふたたび京急川崎駅に出て地下鉄でどこに行こうかと考えてとりあえず京浜急行泉岳寺駅に、そこから地下鉄で浅草駅に。
観音様は雷門からは人人人・・・そこで二天門側から何となくブラブラ。本堂の近くまで行ったがとても近づける状態ではないので、パスすることに。

何となく浅草の風景・・・琺瑯びきの昔の看板がいっぱい飾ってある店、手ぬぐいのふじ屋、祭りの中屋ライカの店・・・意味もないのに歩いてしまった。こういう趣味にはまっているわけではないのだが見るだけで楽しい。伝通院通りに行くと踊りの衣装、縞の合羽に三度笠、竹光の道中差しなどの店がある。


人人人は…雷門から仲見世、本堂まで笛で誘導して歩いたり止まったりしている。日本人ってこういうときおとなしく誘導に従っている。平和だなあ。

東京ぶらりぶらり散歩・・・月島から佃島へ

2013-12-16 | 道をゆく 東京散歩
11月29日、東京谷根千(やねせん)散歩・・・谷中銀座からへび道散歩・・・根津神社・・・夏目漱石旧居跡・・・森鴎外記念館・・・など。
それから・・・御徒町アメ横へ。それから・・・どうしよう・・月島・佃島へ。

月島もんじゃストリートです。さっき昼飯したばかりなので町中を歩くだけ。

月島から佃島。町続きです。佃住吉神社にお詣り・・・ちなみに住吉とは隅ノ江、澄ノ江の変化語らしい。住吉神社のことはここでは割愛。

  

佃島・・・1590年、川家康の江戸入りとともに摂津国佃村(現大阪市西淀川区佃‥・兵庫県尼崎のそばの神崎川の中の島)の漁師33人と住吉神社神官が江戸入りしたといいます。
多分このあたりで漁業を営んでいたと思われますが1645年、この地に100間四方の築地(人口島)を築き佃嶋と名づけ居住の地に。

地続きの月島は1892年(明治年代)、東京湾の浚渫埋立てによってできた人口島です。

さて佃煮です・・・佃嶋に住む漁民が小魚を煮て常備食、保存食として売り出し広めたことからといわれます。ほかに諸説あるようですがパス。
イラスト・写真は佃に今も残る老舗の佃煮屋さんです。


佃大橋の上から隅田川の強い川風を感じながら中央大橋、東京スカイツリーの風景を見て、今回の東京ぶらりぶらり散歩は終了。

さて家に帰ります。少し遠いのですが地下鉄新富町駅まで歩きます。

東京散歩・・・谷根千(やねせん)からアメ横へ

2013-12-12 | 道をゆく 東京散歩
11月29日、東京谷根千(やねせん)散歩・・・谷中銀座からへび道散歩・・・根津神社・・・夏目漱石旧居跡・・・森鴎外記念館・・・など。
それから・・・どうしよう・・・ハラが減った・・・地下鉄で湯島天神下・・・そこから歩いて御徒町アメ横へ。
湯島天神下でふと目にしたお寿司屋さんへ。チェーン店です。店名は省力。ランチ値段、腹いっぱいになった。

アメ横・・・この街は買う予定のものはないがぶらぶら歩くだけで楽しい。
右側の店はよくテレビに出るお魚屋さん・・・正札の半額が普通・・・それから交渉するのがアメ横の流儀らしい。

煮込みと焼き鳥の店・・・ウイークデイの昼どきだというのにもう座る席がない。寄ってみたいのだがツレがいるのでダメだ。

アメ横の中の鮮魚屋さん・・・太刀魚6本1000円、スズキ3本500円、アジ10本500円・・・買って帰りたい。

アメ横の名前の由来・・・諸説あるが省略?この街の画像、興味あるものばかりで撮れば数10枚になってしまう。私のブログは理想的には1テーマ1ブログ1画像としているが、そうはいかないのがいつも。食い物とかに関しての店だけであとは省略した。アメ横はこの3枚だけでなく面白い街です。ファッション、靴、袋物、宝飾品、輸入雑貨、食品雑貨、ファーストフードなどなど、jR鉄道下のスレ違いのヤットヤットな小路に入るともっと面白い。

さて、もう1ヶ所散歩してから帰ろう。どこに行こうか。

東京・・・やねせん散歩・・・坂の町、文学の道・・・漱石の猫の家の影

2013-12-08 | 道をゆく 東京散歩
11月29日、東京谷根千(やねせん)散歩・・・谷中銀座からへび道散歩・・・根津神社・・・
それから・・・どうしよう。
上野台地日暮里から谷中、千駄木の谷へ、本郷台地にまた登る。このあたり、坂の多い町です。
無縁坂・・・森鴎外の小説「雁」の舞台になった坂。
弥生坂・・・本郷弥生町、弥生式土器の遺跡の地。
本郷菊坂・・・樋口一葉の終焉の地、田宮虎彦の小説「菊坂」の地。
団子坂(汐見坂)・・・森鴎外の旧宅「観潮楼」跡地(現森鴎外記念館)。

いろいろ尋ねたいところがありますが今日は明治の文豪、夏目漱石、森鴎外の旧宅あたりを・・・ブラブラ歩きます。

明治時代の文豪夏目漱石の旧居跡、現在は「橘桜会館」(日本医科大学同窓会館)。塀の上に「」のブロンズが。

夏目漱石の旧居跡はこのプレート(平成7年)と昭和46年のプレートと「猫」があるだけです。

この屋敷は東大同期生の斉藤家の家作。漱石が棲む13年前に森鴎外もこの屋敷を借りて住んでいたという。奇しくもこの家から明治時代を代表する小説家が生まれました。建物は現在、愛知県犬山市の「明治村」に移築、保存。
地籍は文京区向ヶ丘・・・本郷、駒込の5つの町が合併して向ヶ丘という町名が生まれた。上野の台地の向き合う台地ということでつけられた町名でしょうか。旧制一高の寮歌「嗚呼玉杯」(1902年)に「向ヶ岡に・・・」という一節が出てきます。

森鴎外の記念館はコンクリートの建物・・・今回は割愛。

ハラが減った・・・どこかで飯にしよう。

東京・・・やねせん散歩・・・根津神社

2013-12-06 | 道をゆく 東京散歩
11月29日、東京谷根千(やねせん)散歩・・・
谷中銀座からへび道散歩・・・根津神社にやってきました。ツツジの名所です。

大鳥居です。

神楽殿です。

拝殿、幣殿、本殿が1つにまとめられた権現造りという社殿。国指定重要文化財。

根津神社・・・1900年前、日本武尊が創設したといわれます。信じていいのか信じるに値しないか?日本武尊って実在したのかな?
1705年、甲府藩主川綱豊が川六代将軍(家宣)を継ぐ際、現在のこの地(甲府藩邸)を川家が神社として献納したという。六代将軍家宣生誕の地であり産土の神の地です。
主祭神は須佐男命ほか・・・こういう神々はたぶんに政治的なもので祀られるから説明省略。
神社と並んで向かって左側にお稲荷さんが祀られている・・・赤い鳥居が連続していて見事です。

※イラストは大鳥居から入って社殿との間の楼門・・・2002年12月写。

東京・・・谷根千散歩・・・へび道から根津へ

2013-12-04 | 道をゆく 東京散歩
11月29日、東京谷根千(やねせん)散歩・・・谷中銀座・・・突き当たると左右への道、南の方向に歩き出します。
よみせ通り」から「へび道」という通りに。道路が台東区谷中と文京区千駄木の区界になっています。かつてこの道路は染井霊園(豊島区駒込)から流れる藍染川という川の川道だったそうです。昭和初期に暗渠になって生活道路に。戦災も受けなかったのでしょうか、区画整理もされず蛇のようにクネクネした狭い道は藍染川の名残りとして残っているようです・・・戦前の昭和の東京の面影の残る散策路です。

戦前の東京の雰囲気を残す建物です。

根津神社あたりの建物です。2階の雨戸はすべてしまっていて現在はお住いになっているかは不明です。

不忍通り、地下鉄根津駅あたりにある建物です。大正6年の建造とか。文化庁指定有形文化財。
もとは江戸時代から続く爪皮屋(つまかわ、下駄の鼻緒のカバーみたいなの)だったそうです。
戦後になって今のオーナーが買い取って食事処「はん亭」を営みながら大切に保存しているそうです。
※逆光です。東京散歩は全部ポケットカメラで撮っているので逆光のとき画像に光が入ってしまいます。
谷根千」・・・上野台地と本郷台地に挟まれた藍染川の流路、なぜか昭和初期の面影の残る町です。

藍染川(谷田川)・・・もとは小平市花小金井の湧水を源流として練馬、板橋、北区から豊島区西ヶ原、染井、そして千駄木の谷を流れて不忍池に流入する石神井川であった。石神井川はいつの世にか遮断されて北区から隅田川に。現在の藍染川は豊島区の染井霊園の湧水を源流としていくつかの湧水が合流して、ほとんどが暗渠化して不忍池に。藍染川の名前はかつてこの地で藍染が盛んであったからであろう。石神井川の流路変遷・・・いつの世に流路が変わり北区から隅田川に流れ出るようになったかは記録がなく諸説あり、興味は尽きない。

東京・・・谷根千散歩・・日暮らしの里・・・谷中銀座

2013-12-03 | 道をゆく 東京散歩
11月29日、東京谷根千(やねせん)散歩・・・谷中銀座です。石段を下ります。車は通れません。階段の上から見た夕焼けは最高 だったといいます。ここは荒川区西日暮里3丁目、商店街の途中から台東区谷中3丁目となります。日暮らしの里 とはよく言ったものです(実際は新堀=ニイホリだったのでしょう)。


谷中銀座の入り口の階段・・・夕焼けだんだん・・・といいいます。谷中名物の地域猫は今日は1匹しか見ませんでした。

200mばかりの商店街です。よくテレビに出る下町の商店街です。こういう生活のニオイのする商店街は好きです。
トルコ料理の店のザクロ、メンチカツの有名店、草鞋や草履の店、日本木箸、江戸切子の店、芋菓子の店、貝専門店など・・・

2007年、桜のころに訪れたときのイラストです。あのころと少し様子が変わっているようですが記憶が定かではありません。
階段の下から見た夕焼けは最高・・・だったでしょうね。

ここを抜けると千駄木、根津・・・武蔵野台地の下です。その向こうが本郷の丘です。寺町とか東大キャンパスとかは空襲の標的から外していたのでしょうか。よく知りませんが昔の東京の匂いがします。

谷中、千駄木、根津、あわせて「やねせん」というのだそうです。森まゆみさん(作家、タウン誌「谷根千」の編集者)が名付けたのかな。下町だそうです。わたしはいまだに下町と山の手の違いがわかりません。


東京・・・谷根千散歩・・・日暮里駅あたり

2013-12-02 | 道をゆく 東京散歩
11月29日、東京ブラブラ散歩。
日暮里駅に降ります。快晴です。緑色のトンガリ帽子の屋根が日暮里駅です。スカイツリーが間近に見えます。

日暮里・・・にっぽり・・・変な地名です。もとは新堀でしょうね。このあたり山手線の西側は武蔵台地。鉄道は河岸段丘の崖線に沿って走っています。

さて東京ブラブラ散歩は谷根千散歩です。谷根千とは谷中、根津、千駄木の三つの町名を合わせた略語です。ジャーナリスト森まゆみさん(1954年~)が地域の主婦たちと1985年から始めた地域雑誌「谷根千」からその名前が広まったといわれています。

日暮里の駅の崖線の上、御殿坂・・・数10m。むかしは鉄道の下まであったそうです。このあたりに御殿はなかったようで、上野輪王寺の隠居寺がこの下にあり、いつの間にか御隠坂の名前が・・・そしていつの間にか御殿坂に・・・とネットで調べたら書いてありました。

東京は坂の多い街です。多摩川と荒川・隅田川に挟まれた武蔵台地、小さな川が削った谷も多いです。
このあたりには富士見坂という坂もありますがいまは富士も見えないでしょうからパスします。

御殿坂を進むと夕焼けだんだん・・・谷中銀座です。
その前に朝倉文雄彫塑館を見ていきます。

朝倉彫塑館・・・屋根の上のブロンズ。

朝倉彫塑館・・・今日は金曜日・・・休館日。

朝倉文雄(1883~1964年)・・・大分県出身、彫刻家、東京美術学校卒、東京美術学校教授、高村光太郎と並んで明治~昭和期の彫刻界の重鎮。
朝倉彫塑館・・・朝倉文夫の住居兼アトリエ。1907年からこの地に住んで増築を重ねて現在の形に。先の大戦の大空襲からも免れ現在にいたっている。庶民の家よりは美学校(現東京芸大)の先生の家ですから立派です。1986年から台東区の管理に。
美術館とまた違い、昭和期の上流の一般住宅を覗き見るような感じがして不思議に落ちつく空間です。
アトリエには朝倉文雄が好きだったという猫の彫刻がいっぱいあります。

谷中を散歩したら寄ってみたい場所です。

東京ぶらりぶらり・・・浅草をブラブラしてから・・・帰る

2013-10-25 | 道をゆく 東京散歩
10月17日、久しぶりの東京に行こうか・・・ということになり・・・いぜん訪れたことのある砂町銀座に・・・出没アド街ック天国
それから錦糸町に戻り、地下鉄で一駅の「押上駅」に。スカイツリーを仰いでから浅草に。

雷門の前にある浅草観光センター2Fから雷門を見ています。8Fには展望テラスがあるのですがこの日はメンテナンス中。
8Fの展望テラスからは雷門から仲見世の風景.東京スカイツリーの風景が見えるのですが残念

雷門は50年ぶりのお化粧中(塗装工事)、ここから見える提灯は布に印刷したものです(工事期間8月19日~11月19日)。

仲見世の風景。

浅草寺の本堂前・・・いろいろの外国語が聞こえるね。
わたしがこの街を好きなのだから外国人が好きなのはわかるような気がする。

ツレが靴を買いたいというから花川戸あたりを歩く。大正大震災後にこのあたりに履物問屋街が集中したという。

花川戸公園で見た「履物問屋街発祥碑」平成2年(1990年)建立。

浅草近辺には問屋街が集中している。合羽橋の料理道具問屋街、蔵前の人形・玩具問屋街、花川戸の履物問屋街‥・花川戸の履物問屋は戦前は下駄・草履ヶ中心だったそうだが、戦後はサンダル・靴中心になったという。

砂町で飲んだ昼の酒が効いてきて、家に帰りたくなった。
家に帰ろう。
これで10月17日の「東京ぶらりぶらり」はオシマイ。