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比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

2022年・・・新年の塩田平巡り・・・別所温泉・・・信州の学海の中枢「常楽寺」

2022-02-08 | 信濃の国は 上田・佐久・東信濃
信州上田の・・・六文銭の写真帳

厳しい寒さが続いています。小正月も終わった15日、塩田平の寺社巡りです。
上田市前山、独鈷山の麓に並ぶ古刹、神社、城址を巡り・・・別所温泉にやってきました。
別所温泉・・・古代、日本武尊の東征の折に開湯と伝えられますが・・・???。
「七久里の里」と呼ばれる温泉場に、天平年間の9世紀、三楽寺と呼ばれる常楽寺、安楽寺、長楽寺が創建され、中世鎌倉時代には塩田流北条氏の庇護を受け、別所(禅宗系の研修道場)が開かれ全国から学僧が集まり、信州の学海、信州の鎌倉と呼ばれ大いに栄えました。戦国時代から江戸時代は湯治場として、明治時代には30軒を超える湯宿があったそうです。現在、共同浴場3、温泉旅館13.。

別所温泉街のはずれの山懐・・・別所三楽寺の中核を担った天台宗別格本山の金勝山常楽寺です・・・

雪を被った茅葺き屋根の常楽寺本堂・・・間口10間、唐破風の向拝、1730年代の建築。
庭園に「御船の松」が・・・陸舟(りくしゅう₎造り。樹齢350年、高さ6.2m、枝最長18.2m。

常楽寺石造多宝塔(国の重要文化財)1262年の銘あり。常楽寺石造多層塔(上田市指定有形文化財




※撮影日は1月15日。
別所温泉といえば温泉街の中心にある善光寺に正対しているという北向観音ですが、北向観音は三楽寺の一つ長楽寺の伽藍の一つ、長楽寺が江戸時代に廃寺になったため常楽寺の伽藍に・・・

今回の塩田平寺社巡りはおしまいです。塩田平は上田盆地の西方に東西約10㎞、南北約6㎞、浦野川、産川の二つの川が開いた沖積盆地の河岸段丘、小さな丘が続くほとんど平らな田園地帯。上田藩の石高のほぼ半分を産出した穀倉地帯。山麓には鎌倉時代に「信州の学海」と謳われた古刹が並びます。尋ねてみてください。

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2022年・・・新年の塩田平巡り・・・別所温泉の・・・安楽寺の国宝「八角三重塔」

2022-02-07 | 信濃の国は 上田・佐久・東信濃
信州上田の・・・六文銭の写真帳

厳しい寒さが続いています。小正月も終わった15日、塩田平の寺社巡りです。
上田市前山、独鈷山の麓に並ぶ古刹、神社、城址を巡り・・・別所温泉にやってきました。
別所温泉・・・古代、日本武尊の東征の折に開湯と伝えられますが・・・???。
「七久里の里」と呼ばれる温泉場に天平年間の9世紀、三楽寺と呼ばれる常楽寺、安楽寺、長楽寺が創建され、中世鎌倉時代には塩田流北条氏の庇護を受け、別所(禅宗系の研修道場)が開かれ全国から学僧が集まり、信州の学海、信州の鎌倉と呼ばれ大いに栄えました。戦国時代から江戸時代は湯治場として、明治時代には30軒を超える湯宿があったそうです。現在、共同浴場3、温泉旅館13.。

国宝八角三重塔のある曹洞宗宗福山安楽寺を尋ねました・・・開山は729~749年とも824~834年ともいわれますが定かではありません。歴史的には13世紀半ば臨済宗樵谷惟山の開山。鎌倉幕府塩田流北条氏の庇護を受け、鎌倉幕府滅亡後は衰え室町時代に曹洞宗の寺院として再興。



国宝八角三重塔・・・本堂からツヅラ折れの坂道を登った山林の中に突然姿を現します。1290年代の建立と推定。近世以前に建造されたもので現存する唯一の八角塔。四重に見えるがいちばん下の屋根は庇。


扇状にひろがる垂木、軒を支える斗(ます)と肘木(ひじき)の組木が微妙に美しい。

全国に13ある国宝三重塔の一つです。
※撮影日は1月15日。


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2022年・・・新年の塩田平巡り・・・山田の・・・満願寺を尋ねる

2022-02-05 | 信濃の国は 上田・佐久・東信濃
信州上田の・・・六文銭の写真帳

厳しい寒さが続いています。小正月も終わった15日、塩田平の寺社巡りです。
上田市前山の前山寺、塩田城址、龍光院、塩野神社、中禅寺を巡り満願寺にやってきました。

上田市山田・・・真言宗智山派満願寺・・・別所温泉にほど近い小さな集落山田の村の中にあります。
詳しい由緒については定かでありません。室町時代から戦国時代のころ前山寺の末寺として創建されたようです。

本堂です。

十王仏です。


十王仏の説明板です。
昇高学校跡という木柱があります。明治6年から明治7年まで、通学区の8ヶ村が記されています。
日本の近代学校制度のはじまり明治5年(1872年)太政官発令の教育法令に従って満願寺の本堂を使って学校を開設。1年後に校舎を移したものと思われます。明治政府の教育法令の1年後に作られた義務教育の学校・・・村人の教育熱が伝わってきます。

※撮影日は1月15日。


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2022年・・・新年の塩田平巡り・・・冬模様の独鈷山を仰ぎ見る・・・

2022-02-05 | 信濃の国は 上田・佐久・東信濃
信州上田の・・・六文銭の写真帳

厳しい寒さが続いています。小正月も終わった15日、塩田平の寺社巡りです。
上田市前山の前山寺、塩田城址、龍光院、塩野神社、中禅寺ト独鈷山の北麓を巡っています。

独鈷山の北麓の寺社巡り・・・西前山地区から手塚地区への道・・・独鈷山を仰ぎ見ます。
※撮影日は1月15日。


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2022年・・・新年の塩田平巡り・・・信州最古の茅葺き木造の・・・中禅寺の薬師堂

2022-02-04 | 信濃の国は 上田・佐久・東信濃
信州上田の・・・六文銭の写真帳

厳しい寒さが続いています。小正月も終わった15日、塩田平の寺社巡りです。
上田市前山の前山寺、塩田城址、龍光院、塩野神社を巡り中禅寺にやってきました。

真言宗智山派龍王山中禅寺・・・国指定重要文化財の茅葺木造薬師堂
中禅寺・・・伝承によれば天長年間(824~834年)空海が雨乞い祈祷した場所という。塩田流北条氏の庇護を受け栄えた。室町時代から江戸時代にかけて度重なる火災に遭い薬師堂、仁王門を残して諸堂を焼失、1734年祐精法印が中興、本堂を造営。

※撮影日は1月15日。
中禅寺薬師堂・・・国指定重要文化財の木造薬師如来像木造神将立像が安置されています。
東西南北どこから見ても柱が4本で間が3面・・・約5.5m四方の正方形・・・「方三間」という建築方式。屋根のテッペンに宝珠。上から見ると真四角な屋根・・・「宝形造」ともいわれます。
建築様式から平安時代末期の建造といわれますが定かではありません。

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2022年・・・新年の塩田平巡り・・・独鈷山を水源とする「水の神」・・・塩野神社

2022-02-03 | 信濃の国は 上田・佐久・東信濃
信州上田の・・・六文銭の写真帳

厳しい寒さが続いています。小正月も終わった15日、塩田平の寺社巡りです。
上田市前山の前山寺、塩田城址、龍光院を巡り塩野神社にやってきました。

見上げれば塩田平の象徴・・・水墨画のような独鈷山の山なみ・・・

独鈷山を水源とする塩野川が境内を流れる・・・塩野神社・・・杉並木の参道・・・

参道から大鳥居・・・鳥居をくぐると太鼓橋、その向こうに拝殿が。

鳥居と拝殿の間・・・境内を流れる独鈷山を水源とする塩野川を渡る太鼓橋・・・塩野神社は「水の神」です。

楼門造り(楼閣作り)の拝殿の正面・・・棟札のよると1743年建造。

拝殿の後は一間社流造り(いっけんしゃながれづくり)の本殿・・・棟札のよると1750年建造。
一間社・・・間口が1間の社殿。★流造り・・・寄棟平入、屋根が流れるように反った曲線を描いている社殿。


※撮影日は1月15日。
塩野神社・・・創建は不明。社伝によれば白鳳元年(7世紀中ごろと推定?)に出雲大社より素戔嗚尊を祭神として勧請。奥社は独鈷山、水の神様を祭神としていたとも考えられます。平安時代の律令制諸規則集「延喜式」(967年)に載る式内社、塩田北条氏、武田氏、真田氏など時の支配者に庇護をうける。楼門造りの拝殿は長野県では諏訪大社とここだけに見られるのだそうです。

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2022年・・・新年の塩田平巡り・・・塩田流北条氏の菩提寺「龍光院」

2022-02-02 | 信濃の国は 上田・佐久・東信濃
信州上田の・・・六文銭の写真帳

寒さが続いています。正月も終わった15日、塩田平のお寺巡りです。
上田市前山の前山寺・・・から西へ300m・・・塩田流北条氏の菩提寺「龍光院」です。

龍光院の前から塩田平を・・・

上田市前山・・・曹洞宗宝珠山龍光院・・・1282年、鎌倉時代に塩田北条氏2代の北条国時が初代義政の菩提寺として創建、当初の寺号は仙乗寺。北条氏滅亡のあと衰退、長く鎌倉の建長寺の末寺であったが信州更科の萬照寺の末寺となって1601年中興、龍光院と改称。伽藍は1732年焼失、1735年再建。

黒門といわれる古い山門、山門禁葷酒の石碑、右のケヤキは樹高26m、幹回り7.02m。



1972年建立の塩田流北条義政公の追善供養塔(五輪塔の卒塔婆)・・・


※撮影日は1月15日。
・★塩田流北条氏・・ここ塩田平は中世鎌倉幕府の執権を務めた北条氏の庄地。北条氏三代泰時の弟の子義政(北条時宗のときの連署)が突然の出家してこの地に定住。出家のわけは不明。義政、その子国時、その子藤時、俊時と三代50年この地を治め、塩田平に鎌倉文化を広めた。1333年鎌倉幕府滅亡時に宗家に殉じ、国時とその子息藤時・俊時が一門と共に自害。
北条氏に縁の深い塩田平・・・北条氏をテーマにした大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で注目を浴びるでしょうか。

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2022年・・・新年の塩田平の寺巡りは・・・前山寺の三重塔から

2022-02-01 | 信濃の国は 上田・佐久・東信濃
信州上田の・・・六文銭の写真帳

寒さが続いています。正月も終わった15日、塩田平のお寺巡りです。
独鈷山の麓、真言宗智山派獨股山前山寺・・・

国の重要文化財・・・前山寺の三重塔・・・高さ19.5m、
「未完の完成の三重塔」・・・窓も扉も欄干もなくノッペラボウです
室町時代の建立といわれますが確かなところは不明。国重要文化財。

前山寺の後方に聳える独鈷山・・・
※撮影日は1月15日。

NHKテレビ総合の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」・・・中世鎌倉幕府の執権を務めた北条一族の話しですが・・・ここ塩田平は北条氏の庄地。鎌倉時代執権北条氏三代泰時の弟の子義政(八代執権時宗のときの執権補佐役の連署)が突然の出家して1278年この地に遁世。義政、その子国時、その子藤時、俊時と三代50年この地を治め、1333年鎌倉幕府滅亡時に宗家に殉じ、国時とその子息藤時・俊時が一門と共に自害。
北条氏に縁の深い塩田平・・・北条氏をテーマにした大河ドラマで注目を浴びるでしょうか。

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冬の信州・・・上田市街地から・・・菅平高原・湯の丸高原を見る・・・山は雪

2022-01-19 | 信濃の国は 上田・佐久・東信濃
信州上田の・・・六文銭の写真帳

信州上田・・・正月2日の朝、上田市郊外・・・小牧の高台から烏帽子、浅間火山帯の山々・・・
昨晩の雪ですっかり山は雪化粧・・・

菅平高原・・・四阿山(2354m)、根子岳(2207m)が見えます。

湯の丸高原・・・烏帽子岳(2066m)・・・湯の丸山(2101m)・・・

足を延ばして塩田平、東塩田前山の前山寺へ墓参り・・・国宝三重塔の周りは雪化粧。
※撮影日は1月2日。

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冬の信州・・・上田城跡公園・・・南隅櫓・西隅櫓・・・山は雪

2022-01-18 | 信濃の国は 上田・佐久・東信濃
信州上田の・・・六文銭の写真帳

信州上田・・・1月1日元旦の朝上田城跡公園真田神社お詣り。
昨晩の雪ですっかり山は雪化粧・・・

芝生広場から見た南隅櫓の・・・風景です。

西隅櫓・・・

※撮影日は1月1日。

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