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比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

信州上田・・・塩田平・・・朝の無言館あたりの風景

2010-07-30 | 戦没画学生慰霊美術館 無言館
7月20日午前6時前、ここ信州の塩田平の朝はテレビも新聞もないから爽快。
塩田平というと独鈷山、その麓まで車で行って無言館のあたりを散歩。

上田市古安曾(元東塩田村)、前方の松林は戦没画学生の慰霊美術館「無言館」のある山王山。
この山の右から上田市前山(元西塩田村)、前山寺は山王山の陰に隠れているあたりです。

無言館第二展示室「傷ついた画布のドーム」の横から松林の中に入ります。
狭い谷地の中に棚田が数枚。猪よけの電流を通した鉄線が張ってありました。

丘の上、木立の間から見える塩田平。夫神岳(1250m、中央)、女神岳(926m、左)。


朝、誰もいない無言館の丘の上を歩いています。

秋の塩田平・・・独鈷山・・・無言館

2009-11-19 | 戦没画学生慰霊美術館 無言館
晩秋の塩田平です。

塩田平の象徴・・・独鈷山(1266m)・・・ピークがいっぱいありますがいちばん右のピークが独鈷山かな。そのほかのピークは国土地理院の地図では名前がついていません。

山麓のズームアップ。唐松を中心にした黄葉です。
正面の茅葺風の仏閣は龍光院・・・中世の塩田庄の塩田北条氏の菩提寺。
その手前は塩田の館・・・塩田北条氏の居館跡や弘法山のあたりから出土したものを陳列。中に蕎麦処北条庵・・・ここの蕎麦は兵庫県の出石蕎麦風の皿蕎麦・・・上田藩の千石家が出石藩に転封になったとき蕎麦打ち職人も連れて行って蕎麦の普及に努めたことから。蕎麦は飢饉のときの救荒作物。ここの「おやき」もイイ
塩田北条氏三代の夢と塩田城・・・1277年鎌倉幕府執権北条氏の一族で連署(補佐役みたいなもの)も務めた義政がこの地に居を構え,以来三代に渉って統治、1333年新田義貞が鎌倉に攻めあがり鎌倉幕府滅亡とともに滅びた。そのご坂城に本拠を構える村上氏が後方の小高い山(弘法山842m)を本丸に塩田城を構築。甲州武田氏と上田を中心に抗争を繰り返し、それが川中島の戦いに発展していく。以後この地は真田氏の支配下になり廃城。

龍光院の方角から前山寺のほうに来ました。前山寺前の「信濃デッサン館」あたり。
丘の上に無言館が見えます。



子檀嶺岳(こまゆみだけ1222m)・・・マユミ・・・ニシキギの仲間ですね。

山麓は黄葉、頂上は落葉、常緑の針葉樹が混じって、その変化が三段錦という日本独特の美しさです。


信州・・・塩田平・・・無言館・・・鎮魂の灯明

2009-08-19 | 戦没画学生慰霊美術館 無言館
☆「無言館」だけ見たいかたは・・・クリック

今日は8月16日・・・送り盆の日・・・お先祖様の霊が生きているものとしばし過ごしたあと安眠の地に帰る日です。

夕なずむ塩田平を見下ろす丘の上の無言館にやって来ました。
上田市古安曾の山王山・・・小高い松林の中、未完の三重塔で有名な前山寺の近く。

無言館・・・1997年開館した戦没画学生慰霊美術館
昨年、開館した第二展示室・・・傷ついた画布のドーム・・・の前。

第二次世界大戦・・・アジア太平洋大戦において戦死した画学生の遺された絵を今も窪島誠一郎さんは蒐集(お預かり)を続けておられるようです。既存の無言館では収まりきれなくなったのでしょうか。第二展示館が2008年9月開館しました。
傷ついた画布のドーム」の展示室、そしてオリーブの図書館(25000点の蔵書)、七つの皿(レストラン)があります。七つの皿のレストランはアットホームな食堂という感じで大きな窓の外は四季の景色がいっぱい。図書室とレストランでゆっくりとした時間をすごしたくなる。そんな感じです。

第二展示館のアプローチの前庭に立つ絵筆の記念碑(名前は?)。
むかしの言葉では筆塚

右上に赤いペンキが・・・5年くらい前でしょうか。無言館の中庭に立つ「記憶のパレット」(収蔵された絵の作者たちの名前を刻んだモニュメント)が心無い人に赤いペンキで汚されるという出来事がありました。そのことを忘れないためにこの筆塚に赤いペンキを塗ったとのことです。

傷ついた画布のドームから緩い坂道を登っていくと無言館

中庭にたつ戦没画学生たちの名前を刻んだ「記憶のパレット」。

記憶のパレットの前で・・・千本の絵筆の筆供養・・・毎年8月の14~16日。

8月の14~16日の5時から、無言館の周りを囲んで灯明が。 
若いカップルがローソクに灯を点していました。

日も暮れてきました。無言館の周りを囲んだお灯明が明るく輝いています。
・・・鎮魂・・・

一つ一つの絵の間を歩く・・ムソルグスキーの「展覧会の絵」のプロムナードが聞こえてくる・・・ような・・・
絵は当然のことながら何も語りません。
この絵が何を語っているか・・・それを感ずるのは・・・見た人のそれぞれの心の問題かもしれません。

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8月15日・・・塩田平で・・ニッポン忌

2008-08-15 | 戦没画学生慰霊美術館 無言館
今日は何の日・・8月15日・・・
太平洋戦争(大東亜戦争とも)で大日本帝国がアメリカに負けた日です。
終戦記念日・・降伏の日・・敗戦記念日・・ダイニッポン帝国が崩壊した日。
そこでまったくわたくし的ですがこの8月15日を「ニッポン忌」と呼び、遠いむかしの戦の犠牲になった人々のことを心に浮かべています。

いまは「お盆」の入り。「お盆」とは日本の古来の習慣と仏事が混交したものらいしいですが、ご先祖様の霊を子孫のもとに迎えて親睦を図るという行事です。「お盆」・・・ご馳走をいっぱい盛るトレイのことですね。・・・話がそれました。

信州上田の塩田平の「無言館」に行きました。
早朝の独鈷山です。朝モヤが上がっています。



無言館・・・戦没画学生慰霊美術館・・・先の大戦で亡くなられた画学生たちの遺作・・・絵描きのもう一つの命がここにあります。
いまは「お盆」・・彼らの霊はもう一つの自分(絵)と向き合ってるのでしょうか。
画像クリック・・・正面玄関・・拡大


庭には「記憶のパレット」・・・顔を上げると独鈷山の峰が見えます。
画像クリック・・・拡大
このモニュメントはここに収蔵された画学生の名前を刻んだものです。
「無言」です。

中央に赤いペンキが見えます。2年前ぐらいでしょうか。赤いペンキでこのモニュメントが汚されました。
赤いペンキで汚した人は何を言いたかったのでしょうか。

無言館への坂道の途中に、「第二展示館・オリーブの読書室」がオープンするようです。

《蛇足》14日~16日「1000本の絵筆供養」の台が設置され希望者は絵筆をささげます。夕方6時から7時ごろまでローソクで建物の周りを囲み鎮魂します。



大戦の犠牲者に鎮魂の心をこめたブログを読みました。リンクしてご紹介します。
http://blog.livedoor.jp/leltugo123/archives/51049169.html

8月15日・・・信濃路・・・無言館

2007-08-15 | 戦没画学生慰霊美術館 無言館
今日は8月15日、太平洋戦争敗戦の日です。
8月13日は「お盆の迎え火の日」です。信州の塩田平にいます。近くの無言館に行きました。「戦没画学生慰霊美術館 無言館」です。

信濃デッサン館から見た丘の上の「無言館」。


「信濃デッサン館」の喫茶室。あまりの暑さにカキ氷を食べています。


9月16日恒例の「天満敦子in無言館」が開かれるそうです。
天満敦子さん・・・「望郷のバラード」は絶品です。
演奏は美術館内
収容能力200人
無伴奏の演奏。
この演奏会は喫茶室のご主人(女性)から聞きました。
天満さんの厚意で収益はすべて無言館の運営費にあてられるのだそうです。※予約問い合わせは0268―37―1650無言館まで。とパンフレットに書いてありました。

信州を訪れる方に。ぜひ塩田平の前山寺、無言館を訪ねてください。

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信州・上田・・・塩田平・・・無言館・・・戦没画学生の・・・記憶のパレット

2007-01-06 | 戦没画学生慰霊美術館 無言館
正月4日のテレビです。「無言館 レクイエムから明日へ 戦場に散った若者たちが残した絵が語るもの」。
ドキュメンタリーです。
無言館については昨年8月19日このブログ「無言館」でふれました。あらためて読んでいただければさいわいです。

画面は館主の窪島誠一郎さんの独白で進められます。
フトしたことから村山槐多の絵に魅せられた窪島さんが上田市の郊外の前山寺信濃デッサン館を開館することから始まります。
その後、戦争中の上野美術学校に在籍した野見山暁冶さんとの出会いがあり無言館を開館します。野見山さんは美術学校を卒業の後、満州に出征、病を得て送還されます。一緒にいた兵士はどうなったでしょうか。野見山さんは戦後、絵描きになった後にもそのことが負の遺産として残ります。仲間を見殺しにして敵前逃亡したのではないかと。そしてその思いがきっかけとなり当時の絵を志した画友たちの絵を捜し歩きます。窪島さんと二人三脚です。

1997年上田市の塩田平を見下ろす小高い丘の上にこの美術館は開館します。
戦没画学生慰霊美術館 無言館」です。

 
丘の下の駐車場からアプローチの坂道を歩くと自然石に彫った無言館の碑
<

合歓の木などの手を加えない植栽が続きます。前庭に「記憶のパレット」。
心ない人が紅いペンキで汚しました。
と窪島さんはこう語っています。
60年経った今、戦没画学生の絵を取り囲んでいる今の社会がこういうものなのか。
人間の心まで劣化してしまったのだろうか


ヒタスラに絵を描いた心が見えます。
絵描きには二つの命がある。一つは自分の命、二つめは自分の描いた絵に

命の叫びの絵。

300点余、今も蒐集の旅を続けているようです。絵は遺族からのお預かりものです。

これらの絵をどう見るのか。それは見た人の心の問題です。

記憶のパレット」は戦没画学生の遺族の方々や全国から寄せられた浄財で造られたものです。志半ばで戦場に消えた画学生のお名前が彫られています。
何も語っていません。プロパガンダの匂いもありません。

正月早々いい番組を見せていただきました。

信州を訪れた方に、ぜひ塩田平の前山寺、無言館を訪ねてください。

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無言館・・・・・・信州塩田平

2006-08-19 | 戦没画学生慰霊美術館 無言館
信州塩田平に8月12日から16日までいました。
ここは妻の実家です。両親やお先祖様の迎え盆と送り盆をしました。
塩田平は上田市の西方、善光寺平でも佐久平でもない、ちょうどその中間に位置しています。お
先祖様の迎え火をすましてから、塩田平のシンボル独鈷山の麓にある「無言館」、「前山寺」(実家の檀寺でもあります)を訪ねました。
実家から10分くらいのところです。

無言館」(戦没画学生慰霊美術館)・・・
豊かなみのりを見せる塩田平を見下ろす小高い丘の上に立つ、自然にとけこんだほんとうにチッチャなチッチャな美術館です。

いつもながら館内の絵に対面したとき、
・・・無言・・・



言葉を失うということはこのことか。館を出て来た方も目を潤ませています。ひたすら絵を描きたかった青年たち、享年20数才、誰のために戦地に赴き、誰のために死んでいったのか、私たちが勝手に言うわけにはいけません。「人それぞれ、心の問題ですから」なんてとても言えません。

死んでいった人が何も言えないのなら生きている者は何か言わなければならないのだが。                  
                              (迎え火の日に)
「絵」の評価は?Soul Pictureです。

館長の窪島誠一郎さんのことは数々の著書でご存知と思います。
野見山暁冶さんの「遺された画集 戦没画学生を訪ねる旅」(平凡社)必読!。

「無言館」から「信濃デッサン館」「前山寺」と回りました。前山寺は1200年前に開山といわれる真言宗智山派の名刹。参道の幹周り5,6㍍はあろうかと思われる大欅がミゴト。信濃国小県郡塩田郷のランドマーク三重塔が独鈷山につづく背面の山に実によくマッチしている。予約をすれば「くるみおはぎ」の馳走もあります。「おやき」はこの近くの「塩田の館」のおやきが私は好きだ(ナスを除いて)。

信濃デッサン館         大欅の参道

未完の塔、窓が無い       萱葺きの本堂


前山寺にお参りしたあと龍光院,中禅寺、安楽寺(ここには北条義政建造といわれる国宝八角三重塔がある)、常楽寺とお参りしたが、その話はまたの機会に。言っときますが私は仏教徒ではありません。

上田市郊外塩田平は首都圏からも日帰りできます。これからは巨峰、リンゴ、果物、野菜、何でもありです。

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