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比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

碓氷峠・・・旧信越本線アプトの道遺構群をゆく・・・ふたたび眼鏡橋の上から・・・2020年12月

2021-02-10 | 鉄道と駅 関東編
・・・彩風人の写真帳・・・

コロナ禍、緊急事態宣言の前の12月、久しぶりの駅鉄とウォーキングの旅です。
マイカーで群馬県横川駅まで、そこから信越本線の廃線跡を歩きはじめます。
JR東日本・・・信越本線横川駅・・・からスタート・・・旧信越本線アプトの道、鉄路を埋めた道をひたすら上へ。
横川から旧丸山変電所まで約2km、峠の湯まで約1km、眼鏡橋まで2.1km。そこから熊ノ平まで1.2㎞。

熊ノ平駅からUターンして旧信越本線碓氷第三橋梁・・・通称「眼鏡橋」・・・
1893年開通の旧信越本線碓氷線の遺構・・・4連アーチ、高さ31m、長さ87.7m。この橋梁はアプト式の時代の設備で1963年勾配を緩くした新線ができるとその役目を終えます・・・国指定重要有形文化財。
 





国道18号線です・・・横川駅に戻ります。
※撮影日は2020年12月7日。
余録》在りし日の・・・眼鏡橋を渡る信越本線列車・・・NHKテレビ「にっぽんの廃線100」から。


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碓氷峠・・・旧信越本線アプトの道遺構群をゆく・・・熊ノ平駅跡・・・2020年12月

2021-02-09 | 鉄道と駅 関東編
・・・彩風人の写真帳・・・

コロナ禍、緊急事態宣言の前の12月、久しぶりの駅鉄とウォーキングの旅です。
マイカーで群馬県横川駅まで、そこから信越本線の廃線跡を歩きはじめます。
JR東日本・・・信越本線横川駅・・・からスタート・・・旧信越本線アプトの道、鉄路を埋めた道をひたすら上へ。
横川から丸山変電所まで約2km、峠の湯まで約1km、眼鏡橋まで2.1km。そこから熊ノ平まで1.2㎞。

旧信越本線(碓氷線)、旧熊ノ平駅・・・旧変電所です。

1893年開通した信越本線(碓氷線)は66.7‰の急勾配をアプト式を導入した蒸気機関車で上がっていました。
1912年電化、アプト式を使った電気機関車に変更。
1963年新線(複線化)を掘削、EF63形電気機関車2両による押し上げに変更、アプト式の歴史の幕を閉じました。

熊ノ平駅・・・1893年碓氷線開通に伴い、蒸気機関車の給水、給炭、上下線列車すれ違い場、退避線、として信号場開設。1906年駅に昇格。1937年変電所開設。1966年信号場に降格。1997年新幹線開通、横川~軽井沢駅間廃線のため廃場に。

信越本線(碓氷線または横軽線)・・・水平距離で11200m、比高553m、割り算すると49.4‰、鉄道の最大傾斜は66.7‰(3.8度)。

相対式2面2線があり、1963年式設した新線もここはこの線を使用。

峠路探訪アプトの道」はここでオワリです。ここから先16のトンネルはクローズされ線路も遊歩道化されていません。
Uターンします。
※撮影日は2020年12月7日。

余禄》熊ノ平は上信国境の山中です。熊や猪、鹿が出てきてもおかしくありません。
2018年3月猿の大群に遭遇しました。視線を合わさずにやり過ごすことです。


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碓氷峠・・・旧信越本線碓氷隧道遺構群をゆく・・・眼鏡橋から熊ノ平駅へ・・・2020年12月

2021-02-08 | 鉄道と駅 関東編
・・・彩風人の写真帳・・・

コロナ禍、緊急事態宣言の前の12月、久しぶりの駅鉄とウォーキングの旅です。
マイカーで群馬県横川駅まで、そこから旧信越本線(碓氷線)の廃線跡を歩きはじめます。
JR東日本・・・信越本線横川駅・・・からスタート・・・旧信越本線アプトの道、鉄路を埋めた道をひたすら上へ。
横川から旧丸山変電所まで約2km、とうげのゆ駅まで約1km、眼鏡橋まで2.1km。そこから旧熊ノ平駅まで1.2㎞。
6号トンネルから旧熊ノ平駅まで5本のトンネルが続きます。」

第6号トンネル・・・

第6号トンネルの中間点あたりに小窓みたいのものがあります。

第9号トンネル・・・
※撮影日は2020年12月7日。


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碓氷峠・・・旧信越本線アプトの道遺構群をゆく・・・第三橋梁眼鏡橋の上から・・・2020年12月

2021-02-07 | 鉄道と駅 関東編
・・・彩風人の写真帳・・・

コロナ禍、緊急事態宣言の前の12月、久しぶりの駅鉄とウォーキングの旅です。
マイカーで群馬県横川駅まで、そこから旧信越本線(碓氷線)の廃線跡を歩きはじめます。

JR東日本・・・信越本線横川駅・・・からスタート・・・旧信越本線アプトの道、鉄路を埋めた道をひたすら上へ。
5号トンネルを出て、眼鏡橋から振り返って。ここまで横川から約5.1㎞です。

碓氷第三橋梁・・・眼鏡橋の上まできました・・・
1963年複線化した新線ができ強力電気機関車2両で押し上げるシステムになり廃線、廃橋になりました。

1963年複線化した新線橋梁が見えます。
1997年長野新幹線の開通で廃線、廃橋になりました。
※撮影日は2020年12月7日。


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碓氷峠・・・旧信越本線碓氷隧道遺構群をゆく・・トンネルは続くよ・・・2020年12月

2021-02-06 | 鉄道と駅 関東編
・・・彩風人の写真帳・・・

コロナ禍、緊急事態宣言の前の12月、久しぶりの駅鉄とウォーキングの旅です。
マイカーで群馬県横川駅まで、そこから旧信越本線(碓氷線)の廃線跡を歩きはじめます。
JR東日本・・・信越本線横川駅・・・からスタート・・・旧信越本線アプトの道、鉄路を埋めた道をひたすら上へ。

横川から旧丸山変電所まで約2km、そこから峠の湯まで約1km、さらにここから眼鏡橋まで2.1km。
第1号トンネルからトンネルの道がはじまります。トンネルは全部で26・・・すべて国の重要文化財です。

第一号隧道(トンネル)です。


吾妻はやとし日本武 嘆き給いし碓氷山 穿つ隧道二十六 夢にもこゆる汽車の旅
  みち一筋に学びなや 昔の人にや劣るべき 古来山河の秀でたる 国は偉人のある習い

★長野県歌「信濃の国」に「穿つトンネル二十六・・・」と歌われたトンネルが続きます。


第三号隧道(トンネル)です。

第3トンネルから第四号隧道(トンネル)。第3トンネルとの間に国道18号線(旧道)への連絡道があります。

第4トンネルの奥に第五隧道(トンネル)が見えます。第五隧道を抜けると眼鏡橋です。
※撮影日は2020年12月7日。


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碓氷峠・・・旧信越本線アプトの道・・・ウォーキング・・・丸山変電所遺構・・・2020年12月

2021-02-05 | 鉄道と駅 関東編
・・・彩風人の写真帳・・・

コロナ禍、緊急事態宣言の前の12月、久しぶりの駅鉄とウォーキングの旅です。
マイカーで群馬県横川駅まで、そこから旧信越本線(碓氷線)廃線を歩いてみたいと思います。

JR東日本・・・信越本線横川駅・・・横川駅に続く碓氷鉄道文化むらからスタート・・・
2㎞ぐらい歩くと旧丸山変電所・・・です。国の重要文化財。

1893年開通の信越本線(碓氷線)、1912年蒸気機関車から電気機関車に変換のため丸山変電所が1911年竣工、1963年新線が敷設され閉鎖、



トロッコ列車の停車駅「まるやま駅」です・・・あと1kmで終点の「とうげのゆ駅」です。
このあたり信越本線(碓氷線)、「丸山信号場」がありました(1885年開設、1966年廃止)。

旧丸山変電所を横目で見ながら先に進みます。
※撮影日は2020年12月7日。


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碓氷峠・・・廃線トレイル・ウォーキング・・・スタート・・・2020年12月

2021-02-04 | 鉄道と駅 関東編
・・・彩風人の写真帳・・・

コロナ禍、緊急事態宣言の前の12月、久しぶりの駅鉄とウォーキングの旅です。
マイカーで群馬県横川駅まで、そこから信越本線の廃線跡を歩きはじめます。

JR東日本・・・信越本線横川駅・・・横川駅に続く碓氷峠鉄道文化むらからスタート・・・

峠路探訪ウォーキングトレイル アプトの道」・・・(起点)
動態保存している、かつて碓氷峠で活躍した電気機関車EF6312を見ながら歩き出します。

複線の線路の片側を舗装してウォーキング・トレイルにしてあります。道路に埋め込んだ線路が見えます。

トロッコ列車・・・シェルパ君・・・
片側の線路を残して・・・ぶんかむら駅とうげのゆ駅の間を3月から11月の土日祝蔡日に運行。

旧丸山変電所はもうすぐです・・・振り返ってみた風景・・・道路上の架線が外されていません。
※撮影日は2020年12月7日。


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JR八高線・・・ウォーキング・・・ミョウな名前の明覚駅

2021-02-01 | 鉄道と駅 関東編
・・・彩風人の写真帳・・・

コロナ禍で冬ごもり・・・運動不足解消ための外に出てウォーキング…近くの近郊鉄道路線の駅と駅の間、片道は電車に乗って。
今日はJR東日本線八高線越生駅から明覚駅(みょうかくえき)まで。ついでに駅鉄撮り。

JR八高線の明覚駅・・・埼玉県比企郡ときがわ町番匠。
1988年全焼、1989年新築、木の匠の村「ときがわ町」を象徴するような木造ログハウス・・・グッドデザイン賞受賞、関東の駅百選。


待合室・・・自動改札機から1番線へ・・・

跨線橋から・・・夕暮れ・・・遠くに外秩父の山並みが・・・

跨線橋を渡って二番線へ・・・

二番線から・・・一番線ホームと駅舎・・・
※撮影日は1月30日

明覚駅・・・1934年開業、2013年高崎駅管理の無人駅に。相対式ホーム2面2線、1日の乗客数320人。
ときがわ町・・・人口11000人、外秩父の山並みを後背地にした林業、農業を中心とする町。

※コメント欄オープン。

2020年12月・・・碓氷峠探訪は・・・横川駅からスタート

2021-01-30 | 鉄道と駅 関東編
・・・彩風人の写真帳・・・

コロナ禍、緊急事態宣言の前の12月、久しぶりの駅鉄とウォーキングの旅です。
マイカーで群馬県横川駅まで、そこから信越本線の廃線跡を歩いてみたいと思います。

JR東日本・・・信越本線横川駅・・・です。
かつては信越本線(碓氷線、横軽線とも)を登るためのアプト式機関車、強力電気機関車の付け替え駅。

停車時間に「峠の釜めし」を買うのが楽しみな駅でした。
おぎのや釜めし・・・ホーム側売店です。

JR信越本線はここでプッツンと切れます。ふたたび信越本線がつながるのは篠ノ井駅~長野駅間、新潟県直江津駅から新潟駅の間になります。
碓氷峠を越える鉄道は新幹線だけ・・・横川駅としなの鉄道軽井沢駅の間はJRバス関東碓井線、約35分。
※撮影日は2020年12月7日。
※信越本線・・・かつては上野から高崎、軽井沢、長野、直江津、新潟まで日本列島を縦断する幹線。
いまは本線という名前ですが高崎~横川間、そして中抜けして、篠ノ井~長野駅間、直江津~新潟間を走る短距離地方線に。
※横川駅・・・1885年開業、1893年軽井沢までが延長開通。碓氷峠66.7‰を登る拠点駅に。1997年長野新幹線開通で碓氷峠越えの在来線は廃止、信越本線東側の終着駅となった。相対式ホーム2面2線、1日の乗客数210人。安中駅管理の業務委託駅。
※横川・・・群馬県安中市松井田町横川。かつての横川村、江戸時代は中山道の要所として関所が。妙義岳登山口。人口500人。
※コメント欄オープン。

JR八高線・・・ウォーキング・・・越生駅の風景

2021-01-28 | 鉄道と駅 関東編
・・・彩風人の写真帳・・・

コロナ禍で冬ごもり・・・運動不足解消ための外に出てウォーキング…近くの近郊鉄道路線の駅と駅の間、片道は電車に乗って。
今日はJR東日本線八高線高麗川駅から越生駅(おごせえき)まで。ついでに駅鉄撮り。

JR八高線、東武鉄道越生線の越生駅西口・・・
1933年国鉄駅として開業。1934年越生鉄道乗入。2019年西口だけだった越生駅に跨線橋を新しく延長して、越生駅東口が開設。東武越生線は跨線橋下に券売機、改札口を設置。跨線橋は自由通路になった。JRは高崎駅管理の無人駅に。駅管理は東武鉄道が。JR片面式1線、東武鉄道は島式1面2線。1日の乗客数JR780人、東武1900人。


東口です・・・駅舎はありません。自由通路跨線橋の登り口が東口です。

  東口広場に大田道灌の銅像が建立されました。
東武越生線は跨線橋を降りたところに券売機、改札口を設置。

1933年開業時の西口木造駅舎はそのまま保存されて。
2021年1月より総合案内所「道灌おもてなしプラザ」に。
★写真は2012年4月のものです。
※撮影日は1月24日。カメラはスマホで。
大田道灌・・・室町時代の武将、武蔵国の守護職、関東管領上杉氏の家臣、江戸城を築いたことで有名。ある時、父を訪ねて越生町に。俄か雨に遭い蓑を借りに立ち寄った農家で、娘が差し出したのが・・・山吹の一枝・・・「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」・・・の意味だったと後で知ったという。越生町は道灌ゆかりの地であり越生駅西口は「道灌口」、東口は「山吹口」の愛称で。市街地に「山吹の里公園」が。
越生町・・・人口11000人。外秩父山地と関東平野の境の地。古くは木材、薪炭の江戸への供給地、有名な梅園は江戸時代から。越生団扇、建具工業。


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