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比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

西武鉄道池袋線・・・ウォーキングと撮り鉄・・・特急ラビュー「ちちぶ号」・・・武蔵丘車両基地の中で

2021-02-27 | 鉄道と駅 関東編
・・・彩風人の写真帳・・・

コロナ禍で冬ごもり・・・運動不足解消ための外に出てウォーキング…近くの近郊鉄道路線の駅と駅の間、片道は電車に乗って。
今日は西武鉄道池袋線東飯能駅から高麗駅・武蔵横手駅まで。ついでに駅鉄撮り。

西武鉄道武蔵丘車両基地の中で・・・西武鉄道・特急ラビュー「ちちぶ号・・・
※撮影日は2月20日


※コメント欄オープン。

西武鉄道池袋線・・・ウォーキングと撮り鉄・・・特急ラビュー「ちちぶ号」が武蔵野を疾走

2021-02-26 | 鉄道と駅 関東編
・・・彩風人の写真帳・・・

コロナ禍で冬ごもり・・・運動不足解消ための外に出てウォーキング…近くの近郊鉄道路線の駅と駅の間、片道は電車に乗って。
今日は西武鉄道池袋線東飯能駅から高麗駅・武蔵横手駅まで。ついでに駅鉄撮り。

東飯能駅と高麗駅の間・・・西武鉄道001系・・・特急ラビューちちぶ号
※撮影日は2月20日
★後方に見える山は飯能の天覧山、麓には能仁寺という寺があります。明治維新の1968年飯能戦争の戦場になりました。渋沢喜作(渋沢栄一の従兄)、尾高淳忠(栄一の従兄、漢籍の師匠)、渋沢平九郎(栄一の義弟)らが中心になった徳川振武隊1500人が官軍3500人と戦った舞台です。平九郎は負傷して越生の山中の黒山のあたりで自決、成一郎、淳忠らは逃れて維新後に活躍しています。「晴天を衝け」に出てくるかもしれませんね。

※コメント欄オープン。

JR八高線・・・ウォーキングと駅鉄・・・松久駅の駅舎に前に松久駅前情報館が・・・立ちふさがっている

2021-02-25 | 鉄道と駅 関東編
・・・彩風人の写真帳・・・

コロナ禍で冬ごもり・・・運動不足解消ための外に出てウォーキング…近くの近郊鉄道路線の駅と駅の間、片道は電車に乗って。
今日はJR東日本線八高線寄居駅から用土駅、松久駅まで。ついでに駅鉄撮り。

JR八高線・・・松久駅・・・埼玉県児玉郡美里町甘粕。 
1933年開業、1982年無人化、高崎駅管理。1日の乗客数119人(2010年資料)。2002年現駅舎に改築。
1面1線ホーム。

2012年駅舎の前に松久駅前情報館が竣工。
駅前に立って見ると駅舎(待合室)は全く見えません。駅舎の数m前に情報館が立ちはだかっています。
情報館の中にベンチがあって待合室のようです。ホームには情報館の裏から待合所のある駅舎を通り抜けていくようになっています。
待合所が二つあるようです。これにはある事情があるようですが???
※撮影日は2月11日


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JR八高線・・・ウォーキングと駅鉄・・・用土駅・・・駅はサライ(心のオアシス)、コミュニティーの場

2021-02-24 | 鉄道と駅 関東編
・・・彩風人の写真帳・・・

コロナ禍で冬ごもり・・・運動不足解消ための外に出てウォーキング…近くの近郊鉄道路線の駅と駅の間、片道は電車に乗って。
今日はJR東日本線八高線寄居駅から用土駅まで。ついでに駅鉄撮り。

JR八高線・・・用土駅・・・新駅舎用土コミュニティーステイション()が併設で2012年竣工。・・・埼玉県大里郡寄居町用土。 
1933年開業、1983年無人化、高崎駅管理。1面1線ホーム。1日の乗客数89人(2010年資料)。

用土とは地域名、地名の由来は古代の土偶の用土とか痩せ地で糯田にしかならなかった土とかの説が。
※撮影日は2月11日
遠い夢 すてきれずに 故郷をすてた
穏やかかな 春の陽射しが ゆれる 小さな駅舎・・・

★1992年リリースの谷村新司作詞・弾厚作作曲の「サライ」の1節です。若者が夢を抱いて旅立ってゆく姿を追っています。「サライ」とはペルシャ語で「宿(家)」という意味、派生して「心のオアシス」と解釈したそうです。私の故郷の駅は人家もない山の中、ホームの上に雨をしのぐだけの小さな屋根とベンチ、利用者は1日10人に満たないそうです。
駅は地域社会のコミュニケーションの場であり、「心のオアシス」です。


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JR八高線・・・ウォーキングと駅鉄・・・寄居駅・・・秩父鉄道、東武東上線、八高線が乗入れる交通の要衝

2021-02-23 | 鉄道と駅 関東編
・・・彩風人の写真帳・・・

コロナ禍で冬ごもり・・・運動不足解消ための外に出てウォーキング…近くの近郊鉄道路線の駅と駅の間、片道は電車に乗って。
今日はJR東日本線八高線小川町駅から寄井駅まで。ついでに駅鉄撮り。

JR八高線・・・寄居駅1985年新築の橋上駅の南口・・・埼玉県大里郡寄井町寄居。 
★秩父鉄道、東武鉄道東上線、JR八高線の共用駅。1901年上武鉄道(現秩父鉄道)開業、1925年東武鉄道東上線乗入、1933年八高線乗入。

橋上駅、3社の自動券売機が並ぶ。左に秩父鉄道のイベント列車などの券売所が。
秩父鉄道の直営駅・・・東武鉄道、JRは秩父鉄道に出札、改札業務など業務委託、設備は各社管理、JRは高崎駅管理。

改札口は3社線共用、島式3面3線おホーム。1日の乗客数・・・東武鉄道1900人、秩父鉄道1400人、JR400人。
※撮影日は2月9日

★寄居町・・・人口32000人、埼玉県北部、荒川が秩父山地から関東平野に顔を出す位置に。古くは鉢形城の城下、秩父往還の宿場、農業、工業。2013年本多技研埼玉製作所寄居工場が。

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JR八高線・・・ウォーキングと駅鉄・・・折原駅

2021-02-22 | 鉄道と駅 関東編
・・・彩風人の写真帳・・・

コロナ禍で冬ごもり・・・運動不足解消ための外に出てウォーキング…近くの近郊鉄道路線の駅と駅の間、片道は電車に乗って。
今日はJR東日本線八高線小川町駅から寄井駅まで。ついでに駅鉄撮り。

JR八高線・・・折原駅・・・埼玉県大里郡寄井町西ノ入。 
1934年開業、待合室のみの無人駅、高崎駅管理。1日の乗客数40人。
線路向こう側に北星社寄居工場(本社兵庫県豊岡市の総合印刷会社)。


※撮影日は2月9日

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JR八高線・・・ウォーキング・・・小川町駅から竹沢駅へ

2021-02-21 | 鉄道と駅 関東編
・・・彩風人の写真帳・・・

コロナ禍で冬ごもり・・・運動不足解消ための外に出てウォーキング…近くの近郊鉄道路線の駅と駅の間、片道は電車に乗って。
今日はJR東日本線八高線小川町駅から寄井駅まで。ついでに駅鉄撮り。

JR八高線、東武鉄道東上線の共用駅・・・小川町駅・・・埼玉県比企郡小川町町大塚。 
★東武鉄度管理の東武東上線とJR八高線の共用駅。1923年東武鉄道東上線の駅として開業、1934年八高線が乗入。1日の乗客数東武鉄道4700人、JR600人。

JR八高線竹沢駅・・・埼玉県比企郡小川町町勝呂。
★1934年開業、2008年改築、2012年無人化、高崎駅管理。

竹沢駅内の待合室・・・作り付けの本棚があり1000倖以上の本が・・・管理は?

竹沢駅・・・1面1線・・・1日の乗客数31人。
※撮影日は2月9日

小川町・・・埼玉県西部、比企地方の中核。人口28500人。熊谷方面から定峰峠を越えて秩父への秩父往還、川越から児玉、藤岡方面への児玉往還が通る交通の要衝、古くからの物流の集散地、商業が栄えた。スーパー「ヤオコー」、アパレルの「しまむら」の発祥地。世界遺産に登録された細川和紙の生産地。幕末の志士山岡鉄舟が名付けたという「忠七めし」が有名。

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碓氷峠を越えて・・・高原の香り漂う・・・軽井沢駅

2021-02-20 | 鉄道と駅 関東編
・・・彩風人の写真帳・・・

コロナ禍、緊急事態宣言の前の12月、旧信越本線(碓氷線)のアプトの道・・・を廃線トレイルウォーキング。
碓氷峠熊野皇大神宮にお詣り。
軽井沢駅を駅鉄して帰路につきます。

かつての信越本線軽井沢駅・・・いまは無く・・・北陸新幹線しなの鉄道・・・軽井沢駅・・・北口もみじの広場から橋上駅へ・・・

南口から橋上駅へ・・・


軽井沢駅の歴史・・・1888年横川駅と軽井沢駅間が馬車鉄道で開業。1893年横川駅と軽井沢間がアプト式鉄道で開通、同年軽井沢駅~直江津駅間が開通。1915年草軽軽便鉄道が開業、1960年草軽電鉄は廃業、1997年北陸新幹線が東京駅から長野駅まで開通して、横川駅~軽井沢駅間の信越本線(碓氷線)が廃線、信越本線軽井沢駅~篠ノ井駅間は第三セクターしなの鉄道に。北陸新幹線、しなの鉄道の駅として全面改築開業。

1910年(明治43年)改装された軽井沢駅舎です。1997年北陸新幹線開業ととも旧駅舎は解体、そのご現在位置に移転して復元。明治の香りそのままに記念館として保存されていましたが・・・2017年しなの鉄道駅舎としてリニューアル開業。
硬券切符売り場、むかしながらの改札口、カフェ、ラウンジ、キッズクラブなど・・・信濃路のスローなひとときを・・・

※撮影日は2020年12月7日。

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久しぶりの・・・秩父鉄道・・・熊谷駅・・・で駅鉄

2021-02-13 | 鉄道と駅 関東編
久しぶりの秩父鉄道の駅鉄・・・。
今日は秩父鉄道SLエクスプレス号・・・2021年ファーストランの日です。

先ずは東口ロータリーに鎮座する・・・中世の武将「熊谷次郎直実」の銅像を拝んで・・・作者は長崎の平和祈念像の北村西望

熊谷駅の二階コンコースの橋上駅・・・秩父鉄道駅・・・

自動券売機、入場券、急行券などは出札口で、。改札は非自動化、自動改札機なし。1日の乗客数5600人。

階段で地上ホームに・・・5,6番線、1面2線。SLエクスプレス号はまだ入線していません。9時56分入線、10時10分発車です。
秩父鉄道7000系(旧東急電鉄8500系)。

秩父鉄道6000系(旧西武鉄道101系)。

SLエクスプレス号は次回のブログで。

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碓氷峠・・・旧信越本線アプトの道の歴史を訪ねて・・・碓氷峠鉄道文化むら・・・

2021-02-11 | 鉄道と駅 関東編
・・・彩風人の写真帳・・・

コロナ禍、緊急事態宣言の前の12月、久しぶりの駅鉄とウォーキング・・・マイカーで群馬県横川駅まで。
そこから旧信越本線(碓氷線)のアプトの道・・・
熊ノ平駅までの6.3㎞、再び横川駅まで戻ってきました。

横川駅に続く旧操車場あとの「碓氷鉄道文化むら」(愛称POPPO TOWN)です・・・1999年開場。

旧信越本線で走ったL特急あさま号」(189系)がお出迎えです。
レールの真ん中にアプト式ラックレールが敷かれています。

アプト式ラックレール・・・

アプト式機関車ED42形の台車の下に・・・アプト式ピニオンギア・・・

1934年から稼働開始のED42形・・・日本製のアプト式機関車・・・スイスから輸入のED41からのコピーといわれる。

1963年新線を敷設・・・アプト式廃止、EF63形電気機関車導入、粘着運行開始。



D51 96蒸気機関車・・・1912年横川=軽井沢間(碓氷線)は電化されたが、その前後の電化は1960年代に入って。
1962年高崎~横川間、1963年軽井沢~長野間、1966年長野~直江津間が電化。それ以前はSL D51の時代でした。
※撮影日は2020年12月7日。

日本の鉄道・・・信越本線を中心にアバウトに歴史を追ってみた
明治維新の5年後、新橋~横浜の間にイギリスから輸入した蒸気機関車を使った日本最初の鉄道がはじまった。日本の鉄道の夜明けです。あれから149年、鉄道は今やリニアモーターカーの時代に入りつつあり、新幹線技術の輸出など・・・発展を重ねた。幹線に手を付けたのは上野、熊谷間で1883年に1884年高崎、前橋まで。東海道の整備は1887年から1889年全線開通。高崎線の方が先行してるのは、そこが「絹の道」であったから。
鉄道幹線の電化、信越本線は1912年碓氷峠越えの横川駅~軽井沢駅間が電化されたが、高崎駅~横川駅間が電化したのは1962年、軽井沢~長野駅間が電化したのは1963年、50年後のことです。50年くらい前までは全国でSLが走っていたのです。そして電化が徐々に進み1964年10月1日東海道新幹線が開業、10月10日東京オリンピックの開会式、高度経済発展へと進んでいきます。
碓氷鉄道文化むらはそんな鉄道の変遷を見ることができます。


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