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【歯顔大笑】

歯を見せて大きく笑おう!

60.【歯定神社】

2011-03-28 | “訪れました“
【歯定神社(はじょうじんじゃ)】

今回は奈良県にある”歯定神社”という所に行ったレポートです。

まずはこの場所を調べると大和神社の近くに大和神社御旅所(おた
びどころ)というのがありその横に鎮座していると載っていました。

目的は”歯定神社”ですが、振り出しは大和神社だと思い、まずは
大和神社に行きました。思ったよりも辺ぴなところにありましたが、
ここはなんと日本最古の神社で、あの戦艦大和の名前はこの神社から
来ていたのです!もうこれだけで来た価値あるな!という感じでした。
 



さて、大和神社御旅所を探してみましたが、見つける事は出来ません。
そこで尋ねてみると、歩いて行くにはちょっと遠い距離のところだと
教えてもらいました。。。それから1時間以上探して探して・・・

やっと見つける事ができた大和神社御旅所。”御旅所”とは神社の祭礼
において神(一般には神体を乗せた神輿)が巡幸の途中で休憩または
宿泊する場所、あるいは目的地をさします。


そのほぼ真横にありました、歯定神社!


歯定神社(はじょうじんじゃ)は大和神社末社で御祭神は大己貴神
(おほあなむちのかみ)と少彦名神(すくなひこなのかみ )です。
1つの説として元々は“葉状神社”と呼ばれていて、豊作を祈願する
神社でしたが、少彦名神は医療の神様でありその”はじょう”という
音から”歯の神”と考え歯定神社となったというものがあります。





神社の前にはしめ縄を巻いた歯の形をした石が置かれていました。


雪が舞うめちゃくちゃ寒い日でしたがちょっと記念撮影など。。。



58.【ぬりこべ地蔵】

2011-03-14 | “訪れました“
【ぬりこべ地蔵】

今回は京都にある”ぬりこべ地蔵”に行ってきました。
変な名前のお地蔵さんですが、ご存知の方、行ったこと
ある方おられますか? そんな方はきっと歯痛でかなり
悩まれた経験がある方でしょうね。。。

さて、場所は・・・

伏見稲荷さん、こちらはみなさんよくご存知ですね。
そのすぐ”すぐ横”にあるのです!


すぐ横、歩いて5分ほど、とは言っても・・・実際は人に
尋ねてしっかり教えてもらうまでは道に迷ってしまいました!


お墓の横を通って行きます。





到着すると、ほんとに小さなお地蔵さんなんですが・・・
実は京都でもとても有名なお地蔵さんで、全身の痛みを
取ってくださるという事です!その中でも特に歯の痛みに
効き目が大きくいつ頃からは多くの人々の信仰を集める
ようになってきたのです。


”ぬりこべ”は元々、”塗込め”から来ていて貴族の家の
寝室の事をあらわし、四方を土壁で塗り込んでその中に
仏様を祭る風習があったのです。この事により鬼を払い
安らぎを得るというふうに思われていました。(京都伏見
歴史紀行より)

明治初期の絵図には、この場所は「ヌリコベ墓」と書かれ
ていて、江戸時代にはこの信仰があった事は間違いないと
思われます。

今では・・・

『歯痛が治りますように!』とお参りしたり、ハガキを
出すだけでもお願いを聞いて下さるという話しも聞きま
した。また、6月4日には”歯痛封じ法要”が行われて
いるようです。

横に小さな小屋があり、そこでは”お札”を売っていて
お家の目立つ所に貼るか置いておくと歯痛に苦しまない
というような話を”お店のおばちゃん”に教えてもらい
ました。


京都はやっぱり歴史を感じるところですね、ほんとに!

56.【東寺・歯痛の神様】

2011-02-28 | “訪れました“
【東寺・歯痛の神様】

京都駅の南西にある東寺、みなさんご存知ですか?
第二京阪道路がまだ開通していなかった時は、名神
高速を京都南で降りて北にあがるとすぐに見えてくる
ので、よく前を通りました。。。ですが、中には入っ
た事はありませんでした。


東寺
弘法大師が開いた真言宗の総本山です。室町時代に
一度消失していますが、国宝、重要文化財等がたく
さんあり、とても厳かな雰囲気をかもし出しています。


その中に”夜叉神堂”と呼ばれる二つの小さなお堂が
あります。さーっと歩いているだけでは見過ごして
向かいの”食堂”と呼ばれるお堂、隣の売店ばかりが
目に入ります。


ここには”夜叉神さん”が祭られています。元々は
東寺の守り神として南大門の左右にありましたが旅人
が拝まないで通過してしまうので中門に移され、その
後現在の所に小堂を建てて祀られるようになりました。


右側に雄夜叉、左側に雌夜叉が祀られているのですが・・・

昔、修業をしていた僧侶達が歯の痛みに修行に身が入らず、
苦しんでいる時、夜叉神さんにお願いすると治ったという
言い伝えがありました。そのうち”歯痛の神さん”として
多くの人に親しまれるようになった伝えられています。
   



中の様子を写真に撮ろうと思ったのですが、格子状の窓
ガラスは曇っていて、中は暗く良く見えず、写真撮影は
できませんでした。

そこで、何か…と思っていると

向かいの”食堂”と呼ばれる御堂の中にこんなものを見つ
ました!

なんかちょっと”商売気”を感じました。これは買うつもり
はなく、売店で”歯痛の神さん”のお守りでも買って帰ろう
と尋ねたところ、『お守りはありませんが、こういうのが
あります・・・』と出されたものがこれでした!



ハハハ、結局、記念に”買わされて”帰ってきました!

54.【白山神社】

2011-02-14 | “訪れました“
【白山神社】

京都市中央区、京都市役所の西200メートルの所に
ある神社です。神社名に”歯”や”口”がついている
わけでもないのに、どうして取り上げたかわかる方
おられますか?もしご存知の方がおられればよほどの
物知りか、京都新聞を読まれた方なんでしょうね!





それでは、その京都新聞より・・・

”江戸時代中期、最後の女帝として知られる後桜町天皇
(一七四〇-一八一三)が歯痛で悩んでいた。女官が
白山神社から持ち帰った神箸(しんばし)と神塩をつけ
たところ、たちまち歯痛は治ったという。そこから白山
神社には「歯痛平癒」の御利益があるとされるようにな
った。”





のだそうです。こんな事は地元の人、ほんとに一部の
マニアックな人、あるいは我々のような歯科関係の人間
しか知らない事でしょうね。

歯とのかかわりがもっと大きく書かれているのかと思い
ましたが、意外なほど何もなく『これか!』っと思った
立て看板は”屋根改修”に関するものでした!






この日はお昼前の時間帯に訪れましたが、他には人の
姿もなく静かな雰囲気でした。お守りでも買って帰ろう
かと思いましたが神社の人もおられずに断念しました。

長年地元には根付いているようですが、「歯痛平癒」の
御利益があるわりにはちょっと地味な感じがして、残念
に思いました。

52.【歯の地蔵尊】

2011-01-31 | “訪れました“
【歯の地蔵尊】




前回は大阪市内にある”歯神社”でしたが、今回は京都
にある”歯のお地蔵さん”の話です。


京都市北区千本通り沿い、市バス”千本鞍馬口”停留所
のほぼ真横にあります。私は車で行ったのですが、いろ
いろ調べたものでは停留所から約1分というものもあって
停留所からもう少し離れたところを探し、真前を2度ほど
行き過ぎていました。それほどちっちゃいんです・・・。


高さ40~50センチのお地蔵さんなんですが、歯の痛みを
和らげてくれると言われています。 その由縁とは・・・

”昔、このあたりに大工の夫婦が住んでいた。夫は仕事
一筋で、近所の評判も上々の「いい男」だったが、妻は
気が気ではない。「ほかの女に取られたらどうしよう」
「もう浮気しているかも」。疑心暗鬼が高じ、夫の帰り
が遅いと迎えに出るほど思い詰めていた。
 そんなある日、にわか雨の夕方、妻が傘を持って夫の
仕事場に向かうと、夫が若い女と相合傘でいるところに
出くわした。逆上する妻に夫は驚き、とっさに近くにあ
った石地蔵の陰に隠れたが、頭に血が上った妻は地蔵の
肩にガブリ。すぐに正気に戻ったものの、食い込んだ歯
は地蔵から離れない。
 苦しんでいたところ、通りかかった老僧の法力で歯は
離れたが、妻はそのまま息絶えてしまった。その歯形が
残ったので、「歯形地蔵」の名が付いたと言われている”
(京都新聞より)

この由縁は小さな小屋の中の左壁にプレートとして張り
付けてあります。


男尊女卑のきつい時代、妻が夫に逆らうとひどい目にあ
うというたとえ話として作られたという説もあります。
どういう由縁があったにせよ、長く地元の人に親しまれ、
今も歯の治療に行く前に参ってから行く人もおられるな
んて、とても微笑ましくいい話だなぁと感じます。

だからこそもっと“重く”扱われ、目立つように保存され
ればいいのになぁっと思ったお地蔵さんでした。