「楽しいひととき出前どころ(仮名)」の設立総会の日程と場所を決めた。2月13日(金)午後6時半より、新橋のニュー新橋ビル3階のHIMIKOである。この新業態の小さな会議室を予約した。8名は入れるということだ。
参考までにどのようなところか、地元新聞に出た記事を転載しておこう。
http://shinbashi.keizai.biz/headline/261/
話題性のあるところだから、用がなくても顔を出してみるのも悪くはないだろう。
2時間以内・フリードリンクで500円だ。
これから会員候補者の皆様にメールとFAXで知らせよう。
平日の午後6時半から、都内の交通の便の良いところで、使い勝手がよく、しかも安いところを探そう。
そんな意味で、1つ手ごろなところを思いついた。
日舞の師匠だけが例外的にプロであるが、他は全て熟練した非プロである。
いよいよ次の段階に進めることになった。
設立総会に関しては理事や監事候補者の日程調整、会場の手配等こまごました所用が待ち構えている。
慎重に積極的にものごとを進めよう。
NPO設立に関して、会員候補者全ての方々にお手紙を差し上げた。
今日で、理事・監事候補の方3名、及び会員候補の方4名、7名の方々からメール(法律的は電磁的方法というのだそうだ)及び口頭で、ご返事をいただいた。自分も入れると8名となる。思ったより早く、NPO設立の条件である10名が揃いそうである。
さらにお手紙を差し上げていない方1名にも、これからお手紙を差し上げるつもりである。
10名となった段階でさっそく設立総会を開催しようと思う。
会員候補の方々には、まだ詳しくご案内していないが、実際の運営は当面自分が全て行なおうと思う。営業・マーケティング関係、管理業務・雑用等、会員の方々にお任せすることはないと思う。身体的・精神的・モチベーション的に余裕のある方だけが「出演」に応じてくれればよいと考えている。出演料に関してもプロとは比較になりませんが、依頼者には正しく交渉しようと思う。この交渉事も自分が担当すべきであろう。
将来的に規模が大きくなったときには、会員の方々とご相談しながら、変更しよう。(規模が大きくなるって??? → そんなことないか…)
そろそろ設立総会の実施日・場所を決めなくては!!
原爆投下と、その後振り出した雨が原爆の灰を含んでいたので、雨が黒かったのだろう。そんな題名である。
何げなしに孫(8歳)が出かけた後、テーブルの上を見たら、彼が3枚のメモ用紙に書いた処方箋が目に付いた。その3枚を写しておこう。
1枚目
「リャンコンR(ぬりぐすり)」
たるみ、おはだつるつる、かゆみにきく
2枚目
「キャビリアニンC」
ずつう、がん、はいがんにきく
3枚目
「ハナキンS(ねこ、いぬ、人間用)」
つかれ、ハナづまり、にきびにきく
以上だ。
孫に聞くわけにはいかない代物である。
ヒョットすると、将来医者になってくれるのかなー、なんて叶わぬ夢など見る新年のお話である。
皆様のご協力が頂けることになった。それも積極的なコメント付のメールである。
次は会員になってもらいたい人へ、お手紙を差し上げることになる。
6名以上の方々にご協力願うことになるだろう。
昨日、NPO法人の理事と監事になってもらいたい方々へ手紙を書き、投函した。本文のほかに会員候補者への出そうと思っている手紙と設立趣旨書を同封しておいた。
次は会員候補者全員にお手紙を書かかなければならない。
楽しいひととき出前どころ を世の中に登場(誕生)させなければならない。これが私の最後のご奉公となるだろう。
ついては、何はともあれ、周囲の人たちにPRをしなければならない。
これから「楽しいひととき出前どころ」を知ってもらう算段をしなければならない。
その第一段階として、Web上に名前だけでもデビューさせなければならない。
この本の中の「桜桃」から、朗読してみたい部分があったので、抜粋してみた。
『桜桃』(抜粋) 太宰 治作
夏、家族全部三畳間に集まり、大にぎやか、大混雑の夕食をしたため、父はタオルでやたらに額の汗をふき、
「めし食って大汗かくもげびた事、と柳多留にあったけれども、どうも、こんなに子供たちがうるさくては、いかにお上品なおとうさんといえども、汗が流れる。」
と、ひとりぶつぶつ不平を言い出す。
母は、一歳の次女におっぱいを含ませながら、そうして、おとうさんと長女と長男のお給仕をするやら、子供たちのこぼしたものをふくやら、拾うやら、鼻をかんでやるやら、八面六臂のすさまじい働きをして、
「おとうさんは、お鼻にいちばん汗をおかきになるようね。いつも、せわしくお鼻をふいていらっしゃる。」
父は苦笑して、
「それじゃ、お前はどこだ。内股かね?」
「お上品なおとうさんですこと。」
「いや、なにもお前、医学的な話じゃないか。上品も下品もない。」
「私はね、」
と母は少しまじめな顔になり、
「この、お乳とお乳のあいだに、……涙の谷……」
涙の谷。
父は黙して、食事を続けた。
……中略……
「涙の谷。」
それが導火線であった。この夫婦は、手荒なことはもちろん、口ぎたなくののしり合った事さえないすこぶるおとなしい一組ではあるが、しかし、それだけまた一触即発の危険におののいているところもあった。両方が無言で、相手の悪さの証拠固めをしているような危険、一枚の札をちらと見せては伏せ、また一枚ちらと見せては伏せ、いつか、出し抜けに、さあできましたと札をそろえて眼前にひろげられるような危険、それが夫婦を互いに遠慮深くさせていたと言って言えないところがないでもなかった。妻のほうはとにかく、夫のほうは、たたけばたたくほど、いくらでもホコリの出そうな男なのである。
「涙の谷。」
そう言われて、夫は、ひがんだ。しかし、言い争いは好まない。沈黙した。お前はおれに、いくぶんあてつける気持ちで、そう言ったのであろうが、しかし、泣いているのはお前だけではない。おれだって、お前に負けず、子どもの事は考えている。自分の家庭はだいじだと思っている。子供が夜中に、へんな咳一つしても、きっと目がさめて、たまらない気持ちになる。もう少し、ましな家に引っ越して、お前や子供たちをよろこばせてあげたくてならぬが、しかし、おれには、どうしてもそこまで手が回らないのだ。これでもう、精一ぱいなのだ。おれだって、凶暴な魔物ではない。妻子を見殺しにして平然、というような「度胸」を持ってはいないのだ。配給や登録の事だって、知らないのではない、知るひま(、、)がないのだ。……父は、そう心の中でつぶやき、しかし、それを言い出す自信もなく、また、言い出して母から何か切りかえされたら、ぐうの音も出ないような気もして、
「だれか、ひとを雇いなさい。」
と、ひとりごとみたいに、わずかに主張した次第なのである。
母も、いったい、無口なほうである。しかし、言うことに、いつも、つめたい自信を持っていた。(この母に限らず、どこの女もたいていそんなものであるが。)
「でも、なかなか来てくれるひともありませんから。」
「捜せば、きっと見つかりますよ。来てくれるひとがないんじゃない、いてくれるひとがないんじゃないかな?」
「私が、ひとを使うのがへただとおっしゃるのですか?」
「そんな、……」
父はまた黙した。じつはそう思っていたのだ。しかし、黙した。
ああ、だれかひとり、雇ってくれたらいい。母が末の子を背負って、用足しに外に出かけると、父は後の二人の子の世話を見なければならぬ。そうして、来客が毎日、きまって十人くらいずつある。
「仕事部屋のほうへ、出かけたいんだけど。」
「これからですか?」
「そう。どうしても今夜のうちに書き上げなければならない仕事があるんだ。」
それは、うそではなかった。しかし、家の中の憂鬱から、のがれたい気持ちもあったのである。
「今夜は、私、妹のところへ行って来たいと思っているのですけど。」
それも、私は知っていた。妹は重態なのだ。しかし、女房が見舞いに行けば、私は子供のお守りをしなければならぬ。
「だから、ひとを雇って、……」
言いかけて、私は、よした。女房の身内のひとの事に少しでも、ふれると、ひどく二人の気持ちがふき出す。
生きるという事は、たいへんな事だ。あちこちから鎖がからまっていて、少しでも動くと、血がふき出す。
私は黙って立って、六畳間の机の引き出しから原稿料の入っている封筒を取り出し、袂につっ込んで、それから原稿用紙と辞典を黒いふろしきに包み、物体でないみたいに、ふわりと外に出た。
以上である。