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楽しく生きる方法探そう

生きてるだけで人生まるもうけ。だって、いろんなことが体験できるんだもの。
自分流・楽しく生きる方法、見つけよう。

パントマイム・KAMEN である。

2012年06月09日 | パントマイム
6月7日(木)の午後7時から、高円寺にある座・高円寺で、清水きよし先生のマイム「KAMEN」が演じられた。
かつて。先生のもとでパントマイムを習っていた自分にとって、相当ハードな舞台をこなしていく元気な先生の舞台姿を見るにつけ、大きなエネルギーをいただいている。
 
NPO法人楽しいひととき出前どころ の仲間たち(久保田洋治氏やNYOKOさん)や応援団員(外村孝史氏)にも、ここで会うことができた。新しい人たちとも繋がりができた。
宝石鑑定士であり旅行業を営んでいる酒井秀昭氏、同様に旅行業を営んでいる平栗氏にもお会いできた。
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『空間のデッサン』VOL.15を観てきた。

2010年11月28日 | パントマイム

ちょっと古くなってしまったが、11月23日(火・祝日)に四ツ谷にある絵本塾ホールで開催されたパントマイムの公演『空間のデッサンVOL.15』を観てきた。
出演者は以下の6氏である。

久保田洋治 * 
徳永  直  
NYOKO    * 
ミックスナッツ   
戸塚 信吾 
Ayako



である。このうち*のついているお二人はNPO法人楽しいひととき出前どころ の会員でもある。
サブタイトルは「本当に伝えるために 言葉は要らないのかもしれない」であった。

先日、ある会場で朗読のリサイタルに行った。ここでは朗読する人は表情も動作もすべて消去し、「言葉」だけで観客にイメージを想像させ、ストーリ展開するという技であった。
一方、今回のパントマイムは言葉を消去して、「少しの音と動作」だけですべてを表現しようとするものである。

両者に共通するものは、人間の何れかの感覚を遮断することによって、他の感覚をより鋭くするという点である。ここにおいて、「無いこと」による「幸福感」というものが存在するということを味わえたのであった。

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清水きよしの『幻の蝶』を観てきた。

2009年11月02日 | パントマイム
10月31日の午後7時より、梅若能楽堂で催された清水きよし幻の蝶』30周年記念講演を観てきた。幻の蝶は何回も観ているが、今回は記念講演であるという先入観を持って観ているせいか、今までに無く気合が入っているように思えた。いつもながらパントマイムという芸術の領域で活躍される先生ののびのびしたお姿を見るたびに、「私も何かやらなくては!!」と思ってします。今回はパントマイムを1度も観たことがないという人をお連れしたが、その方も何かを感じてお帰りになられたと思う。 ときかく、今脂が乗り切っている先生の舞台姿はすばらしい。
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日韓協同制作公演「夜空」を観てきた。

2008年07月05日 | パントマイム

昨日・午後2時から杉並区・勤労福祉会館ホールにおいて開かれたタイトルにある公演を観てきた。パントマイムの清水きよし先生が出演しており、民族衣装を身にまとった韓国の打楽グループ「モリ」と和服姿の落語家八光亭春輔の朗読という、正にコラボレーションという言葉にふさわしい舞台であった。
フランスと韓国と日本が混合した作品で、作者は関本みな子氏である。
この公演は、杉並区文化協会による「すぎなみ文化芸術活動助成対象事業」となっている。

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奥多摩に行った。

2007年11月05日 | パントマイム

 

青梅から奥多摩方面行きのJRに乗り、15分ほどで二俣尾に着く。ここには比較的新しい寺院、泉蔵院 真言宗豊山派がある。その本堂で清水きよし先生と三味線の今井田歌とのジョイントコンサートが開かれた。
午後4時少し過ぎたころ、まず今井田歌の弾き語りが始まる。「さくらさくら」から「はんや節」、「あいや節」、そしてごぜ歌だと思われる「あねこ歌」と30分ほどの独演である。120人程度の観客からやんやの拍手がった。子供もいたが年配者、特に女性(つまりオバーチャン)が多かった。皆さん、顔見知りなようで、ほとんどが檀家さんだったのではないか…。
「山寺の和尚さん」の三味線の伴奏で清水先生が登場し、パントマイムが始まる。
題は表示されていないが、多分「柿の木」だろう、柿を食べた人のお腹から柿の木が生え、成長し、柿の木をお腹で育てている人がその柿の実をまた食べるといったストーリーである。もう一つは「若返りの水」である。よぼよぼの老人があるところで若返りの水を飲む。飲めば飲むほど若返るのであるが、欲張ってたくさん飲みすぎ、赤ちゃんになってしまう物語である。
ここで前半が終わった。遠い場所だったので休憩時間に失礼した。
寺院の本堂を会場にして、こんなコンサートが開かれるなんて、ちょっと驚きであった。こんなところで「読み聞かせ」(子供と老人相手の朗読)なんていいのではないかと思った。早速アンケートには朗読のコンサートを希望しておいた。(テーマはもちもちの木、葉っぱのフレディなどがいいのではないかと書いておいた)
今回は3回目で、最初はインドの音楽のコンサート、2回目は和太鼓のコンサート、そして今回である。
帰りの道は既に真っ暗であったが、身が清められたような思いがした。
時間に余裕を持って当地に溶着したので奥多摩橋の上から多摩川の上流を撮ったので、1枚載せておこう。   

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「いのち」を見て来た。

2006年11月25日 | パントマイム
「いのち」とは、清水きよし先生のリサイタルでの演目の1つである。

昨日の24日、東中野にある梅若能楽学院の能楽堂で、パントマイム『幻の蝶』 VOL112が催された。時間の関係で、最大の演目である「幻の蝶」を見ることが出来なかったが、いつ見ても清水先生の芸には心が洗われる。
日常生活の忙しさに、つい忘れてしまっている「おさな心」「むくな心」を、能舞台で演じられる先生の微細な所作によって思い起こすことが出来るのである。不思議である。
特に最後から2番目の「いのち」は、老人が仏になるまでのストーリーで、この歳になってくると、このような「こちらと向こうの世界」を何気なく淡々と演じられると、生きていることがもったいなくなってしまう、と思うのは私だけであろうか。
今回は朗読「さくら貝」の白川先生と同席させていただいたのであるが、白川先生も清水先生の演技にすこぶる感じ入っていたようであった。よかった。   
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パントマイムの仲間のリサイタルを見た。

2006年09月11日 | パントマイム

昨日、三鷹にある武蔵野芸能劇場で催されたパントマイム公演「空間のデッサン」を見て来た。久しぶりに仲間達の演技を見たのであるが、皆すごく進歩していた。ちょっと震えた。
福田如子さんも出演していて、この方は敬老の日のボランティアに一緒に出演してくれる方である。

ァ!そうだ。金融関係の国家検定試験の方は一応時間内に最後までたどり着けたが、あとは結果待ちだ。   

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パントマイムを思い出す。

2006年06月30日 | パントマイム
朗読の練習を始めたばかりであるが、朗読の練習を少しずつやっていくにつれて、かつて清水きよし先生のもとで練習をしていたパントマイムのことを思い出していた。
パントマイムは顔(というより目)と体を使ってストーリーを創造し、メッセージを伝えるものである。言葉を使って意味を伝えるようなことは決してしない。ときどき音楽も入るが服装や化粧と同じように、それは主人の演技を少しだけ補足するに過ぎない。言葉が無いので見ている人は自分だけの想像の世界を広げることができる。それこそ自由に無限に広げられる。
一方朗読の方は単に本を読み聞かせるだけである。聞いている人は言葉とそれを発する人だけを頼りに、意味を汲み取り、やはり自由に無限に想像の世界に浸ることができる。
全く異なる媒体を通して、結果として見たり聞いたりしているしている人の心を揺り動かそうというものだ。
両方をちょっとかじっただけではあるが、パントマイムも朗読も相手に迫っていく手段は異なるにしても、基本公式は全く同じなのではないか、というふうに感じたのである。
その同じ公式とはつまり、「人間の五感を一部遮断することによって、第六感を鋭敏にさせ、想像の世界を広げようとするもの」なのである。

朗読に興味を持ってもらいたいが、パントマイムにも関心を持ってもらいたい。
清水きよし(パントマイミスト/Pantomimist)をご覧いただくといい。
11月24日は梅若能楽学院で『幻の蝶』を舞う。
西洋のパントマイムが能楽堂で舞われる。一度見たことがあるが、清水きよし先生による『清水ワールド』が目の前で展開される。
真の大人の幻想世界に入れるのだ。     


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師匠に挨拶した。

2006年03月09日 | パントマイム
昨日、趣味の1つであるパントマイムの師匠(清水きよし先生)に挨拶するためいつもの教室にうかがった。公私共にしばらく忙しくなるので、取り敢えず半年間の休暇をお願いするためである。
これから練習が始まる教室には弟子がすでに2人来ていて、軽いウオーミングアップをしていた。そこはピーンと張り詰めた空気が漂っていた。

残念なことであるが、時間が取れないので仕方がない。時間が取れるようになったら再開する。なにしろストレッチ中心の運動なので体の訓練になるということ、そしてストーリーを創案しなければ演じることができない、ということでボケ防止にはこれほどいい趣味はないと思っているからだ。
                     
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パントマイム仲間のリサイタルを見た。

2005年11月27日 | パントマイム

昨日、清水きよし門下生であり、練習仲間の女性(若くて独身)が初めてソロ・リサイタルを開いた。
場所は迎賓館のそば、学習院初等部校舎の裏にあるコア石響である。午後7時半から開演した。席は63席であったがぴったり満席となった。観客も比較的若い方が多く、土曜日であったため母親に連れられた小学生の観客も多かった。
演技者も観客も若い、舞台も客席も若さに溢れた雰囲気をいっぱい感じさせる空間を創りだしていた。

プログラムは
1.赤い糸
2.ナガレボシ
3.ちっちゃな逆襲
4.ツ・レ・タ
5.懲りない女
6.花
の六演目であた。
個人的には「ナガレボシ」と「花」が好きであった。
両方ともメルヘンチックで、セクシーで、しかもみずみずしいのである。

普段、こんなステキな方と練習でご一緒できる、なんと幸せなんだ、と思った。
彼女も近い将来プロとしての道を歩んでいくことになるのであろうか。楽しみである。

最後にご紹介しよう。出演者はNYOKOである。

2日間の公演だ。明日も会場整理係として参加することになっている。   

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能楽堂でのパントマイム・リサイタルを見た。

2005年11月26日 | パントマイム

昨日、都内東中野にある猿若能楽堂で催されたパントマイムのリサイタルを見に行った。出演した方は師匠の清水きよし先生である。
能は何度も見たが、今回は能舞台でのパントマイムである。
老若男女の観客で見所は満席であった。でも若い女性が5割以上だったろうか。
仕事の関係で、最初の演目は見れなかったが、2番目のプログラムを見た瞬間から食い入るように見入ってしまった。
会場と舞台は日本の伝統文化そのものである。そこで展開されている演劇はヨーロッパの芸術である。
この2つが本当に一体化しているのだ。師匠の演技のためだけにあった建築物とさえ思えた。
舞台と観客と空間が見事に昇華して、新しいジャンルの芸術を垣間見た気がした。
「いのち」の橋掛かりを杖をついて歩く翁の姿なんて、現実以上に「人生を十分に生きてきた1人の人間」を表現していて、舞台装置に正にぴったりの「絵」となっていた。
この翁のゆっくりと歩く姿を見たとき、時の流れが一瞬、止まってしまったように感じた。そして「これって狂言じゃないかって」思えてしまったのだった。  
    

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パントマイムの練習を見学した。

2005年11月11日 | パントマイム
一昨日はパントマイムの練習日。仕事の関係で練習開始時間に2時間近くも遅れてしまったので、清水きよし先生の脇で練習風景を見学させていただいた。
いつもは会場の一番隅っこでコソコソやっているので、練習会場全体を見ることはできない。まして皆さんの練習風景を前から見ることなんて経験したことがなかった。
そこで感じたことがある。
同じ練習演技を20名近くの練習生達がいっせいにやると、何とも不思議なパワーを発散するものだ、ということである。その時やっている演習演目は一定の場所を動かずに「歩く」演技である。
全員がいっせいにこちらに向かって手を振って歩いてくるのだ。でもいくら歩いていてもこちらには近づいて来ないのである。
不思議な感覚にとらわれる。

たった「歩く」演技だけでこれだけで不思議な世界に誘い込んでしまう。パントマイムってすごい。    
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宝生流・能の先生と会話した。

2005年10月27日 | パントマイム

昨日、パントマイムのスクールの後にたまたま能(宝生流)の山田元就先生とお話しする機会に恵まれた。それも偶然に出合ったのである。
パントマイムの清水きよし先生が能楽堂でリサイタル『幻の蝶』を開くのが来月11月25日である。何か運命めいたものを感じた、とまでは言わないにしても、自分の関心が「西洋の芸術」が純粋に「日本の伝統建築物と背景」の中でどのように融和し、昇華していくか楽しみにしていた矢先である。
山田先生は弟子達に「いつか体で舞えるようになれ」と指導しているということであり、その域に到達するまでは、つまり素人たちは「(頭で)考えて舞え」と訓練しているというのである。考えて考えて「舞え」ということであって、つまり基礎訓練を指しているものだと思う。
パントマイムの清水きよし先生の指導は基礎訓練を重んじ、基本をしっかり修得するよう教えられている。これは私自身が経験していることだ。

守・破・離の原則の「守」の大切さを2人の先生から同じ日に習い・聞くことができた。

充実した1日とは、こういう日のことを言うのだろうか。       

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仲間のパントマイム・リサイタルに参加した。

2005年10月03日 | パントマイム

清水きよし先生の弟子達、私のパントマイムの仲間7人が昨夜、リサイタルを開いた。場所は三鷹駅から徒歩1分のところにある武蔵野芸能劇場で、1時間45分程度の舞台であった。
今回は舞台の周辺で働くスタッフの動きに特に気を付けてみた。
舞台設営、照明、音響、受付、アナウンス、会場整理などを担当する人達は来場者にはほとんど見えない存在である。何か事があってお客様の目に付いたときは、多くの場合、主催者としては具合の悪いことなのである。であるから目立たず影のように行動し、演技者の盛り立て役に徹する。
まして、舞台全体を創作している舞台監督や製作者なんてお客様にとっては存在そのものを知らない人が多い。
しかし、これが舞台を完成させるには重要な役どころなのであり、しかも演技者ほどではないにしても結構緊張を強いられる仕事なのである。
どんなに演技者が舞台の上で良い演技をしても、影にいるスタッフのチョットした落ち度で舞台をメチャメチャにしてしまうことだってある。
舞台は演技者と影の力が一体化し、これらの総合力でその魅力は決定するものだ。
オーランドにあるウオルトディズニー社に訪れ、社員研修の体系をヒヤリングし教わったことは、社員全員がキャストであって、ゲストを迎え入れるためにはそれ相当の訓練が必要である、という点であった。このことは以前にも書いた。
会社ではないにしても、このようなイベントを催すためにはスタッフ(ディズニー社ではキャスト)も訓練が必要だと思った。

おっと、演技者のことを書き忘れていた。演技者は皆さん私よりズーット若く、ズーット上手い。感動モノであった、とだけにしておこう。
アンケートを回収しているので、その詳細を記すときにコメントも付け加えるようにしたい。



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パントマイムの公演に協力する予定。

2005年09月29日 | パントマイム

昨日はパントマイムの練習日。

ところで、仲間がパントマイムの公演を催す。
10月2日(日)午後6時からだ。場所は中央線三鷹駅から徒歩1分のところにある武蔵野芸能劇場である。
出演者はベテランはセミプロ、そうでない人は夢中で技を磨いている仲間、の合計7人が出演する。
   『空間のデッサン』である。
フランスではメジャーだが日本ではまだマイナーな芸術ではあるが、一度見にきてみたらいかがでしょうか。なにしろ面白いですから。

私ですか?
まだまだ出演するところまでいたっておりません。(すいません)
会場整理で頑張ります。
                      

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