こんどのオリンピックとわが家との関係は、ない。
少し前までは、関係ができそうにもなっていた。それは双子の姪っ子が二人とも実業団の駅伝の選手であったし、マラソンにも挑戦していた。実業団女子駅伝でテレビにも出ていたし、読売新聞のスポーツ欄ににもけっこう大きく取り上げられていた。「双子の新星」って。それは2年ほど前まえまでであった。
昨年、そのうちの一人はアスリートとしての限界を知ったのだろうか、陸上競技を止め、普通のOLになった。もう一人は自動車事故に巻き込まれ、大怪我をしてしまった。そしてまだ体のあちこちが痛いというのに、部に戻って練習を開始している。
だから、今年のオリンピックは、わが家とは全く関係がないのだ。
「アメリカでNO1のチームはやはりニューヨークヤンキーズです。ユニークなのは、選手の育て方です。決して選手を叱らずに指導するのです」
「よいプレーには“グッド・ジョブ”と褒める。失敗した時には“ナイス・トライ”と言うんです」とアメリカのプロ野球に詳しいその方はお話されていた。
なるほど…なるほど…
こんな難しいことを個性の強い大男相手にやるって、やっぱりすごい。私なんて、3歳の孫(女)を(小さい声だけど)叱ってしまう。家内は「そんなことしちゃだめじゃないの!!メッ…」なんて大声で怒鳴っている。
でもまあ、こんなことでいいか、わが家の場合は…。

昨夜8時ごろ、今年最後の満月を撮ってみた。空気はきれいで、真上に浮かんでいるお月さまは神々しかった。撮った写真を見てみると、何と小さい白い玉が画面の真ん中にポツンと存在しているだけだ。
でも載せておこう。
恵比寿ガーデンプレイスにあるウエスティンホテル東京・ギャラクシールームで催された合資会社「調和社」の創業70周年記念パーティーに招かれた。この会を主催した調和社は、田園調布駅前で不動産取引を営む業者で、こちらも二代にわたっていろいろとお世話になっているところである。
あの広い会場が主宰者や来賓の溢れるばかりの熱気で、室内はむせ返るほどであった。
一口に創業70年と言ってしまえばそれまでだが、昭和11年に創業だから私も生まれてはいない。そんなむかしむかしに、ここで不動産業を始めたのである。
気が遠くなってきた。
では式典の次第を書き記しておこう。
<式典>
1.開会の辞
2.式辞 調和社代表社員 倉橋総八氏
3.来賓式辞 東京都宅地建物取引業協会会長 藤田和夫氏
大田区長 西野善雄氏
参議院議員 小野清子氏
衆議院議員 石原宏高氏(都知事の三男)
4.鏡割り 大樽が三樽、24人(?)が鏡を割る
乾杯 日本不動産鑑定協会会長 横須賀 博氏
5.閉会の辞
<宴会>
祝電披露
ピアノ演奏(ご親戚の方お二人による連弾)
<記念コンサート>
演奏 有馬 徹 と ノーチェ・クバーナ
マンボ系の曲を8曲演奏
以上である。
宴席の中央にある席には石原都知事婦人、こちらは存じ上げていない国会議員(なのだそうだが)などが、調和社にゆかりのある方々が談笑されていた。
私の席のお隣の方とお話をさせていただいたのであるが、その方は鎌倉の市内に1000坪の土地をお持ちなんだそうです。
おっと、また気か遠くなってきた。
料理はフランス料理のフルコースで、メインディッシュは「ビーフフィレのフォアグラ風味のマロンクラスト焼き 椎茸と野菜のソティー ハーブ風味 カシスとブランデーのソース」でした。(MENUを見ながら書いている)
これ! お分かりになりますか。
食べ終わった後、何が胃の中に入ったか全然記憶に残っていない。
帰り道、焼き鳥屋の「駅」に飛び込んで、軟骨(レッグ)と野菜の串焼きを食った。私にとっては「お口直し」である。
あーあ! やっぱり私には高級料理は記憶に残らない。
心と頭を衰えさせない、いつまでも若さを維持したい。
それは「これから何をしようとしているのか」といつも自分に問い掛けることだと書いた。
その「何か」が問題だとも、書いておいた。
では「何か」とはどんなことを指しているのか。
高年齢者のサラリーマン(男)は、バリバリの会社人間である。定年退職すれば一部の恵まれた人を除けば無職、あるいは無職同然となる。
そのとき、ほとんどの高年齢者の生きる場所は家庭の中と趣味の世界だけとなる。
毎日が日曜日もいい、趣味で充実するのもいい。しかしお奨めしたいのが地域の活動に参加し、人に喜ばれるような生活をしませんか、ということなのだ。
つまり「会社人間」から「地域人間」になることである。
このブログの書き手の近所に耳鼻科を開業している先生がいる。先生は町の見回りグループに所属し、数人の方と襷をかけて町を巡回してい姿を見掛ける。これも立派な地域活動への参加であろう。
会社人間は地域人間になるために、会社にいる間にどんな地域活動をするか、人生後半のライフプランに組み込んでおかなければなるまい。
行政機関等で「地域力」という言葉がいつごろから使われていたか知らない。行政上で用いられている「地域力」とは言い換えれば行政機関の力に他ならない。
この欄で用いようとしている「地域力」とは、行政には頼らない、地域住民個々人による地域における活動とその人々のパワーを総称しようとするものである。
地域で生活する人が己の考えを持ち、自主的にその地域活動に参加することである。その場合、行政主導の既存のボランティア活動に参加するのも良いが、住民自身が新しい発想で新しいことを試みることにさらに大きな意義を見出そうとするものである。
地域人が地域力を高め、地域の人々に喜んでもらう。そしてそのことによってボランティア活動する人自身も、喜びを味わうのである。
こんな考え方で「草の根ボランティア活動」を考えてみたいと思う。
「地域人」とは企業人の反対側にいる人を指す。
企業を定年退職したばかりの元気な男達のことであって、自分や家族が生活している地域の活動に何らかの形で参画している人達のことである。
さて、女性の場合であるが、彼女達は否応なく地域活動に参加せざるを得ない。毎日の買い物という経済行動を通じて大いに参加しているし、子育ての時期には幼稚園や小・中学校を通じて地域の人達との交流も一層緊密となる。であるから女性は熟年になったときにもその残留効果を保持していて、地域の人達とつながっている。
こんなこと鬱しいと思う人もいれば、全然気にも留めないで嬉々とやっている人も居る。でも、とにかく女性はこれをやり通してしまう。
一方、ご近所にどのようは人が住んでいるか、どのような活動がすすめられているかといった地域情報はまったく知らないし、知ろうとしない男達にとっては、定年を迎えて「さて自分は何をすればいいんだろう」「私の生きている価値は一体何なんだ」と自問自答することになるのである。そのとき、何もご近所のことを知らない自分、ご近所にその存在さえも認知されてない自分を発見したとき、愕然とするのである。
女達の地域に置ける存在感と、それに引き換え自分の影の薄さに、それはそれは驚くのである。
会社の名刺を持たない自分の姿を鏡に映しているように見ることができるようになる。そして肩書きのない男なんて「裸の王様」だと気が付くのだ。
そこで、過去の肩書きが通用する(と自分では思っている)自分の家内の前だけで空威張りを続ける。そんな人がいる反面、逆の場合だってある。定年になってしばらくすると、完全にヘタってしまい無気力状態になってしまう。そのいづれかなのである。
社会的に通用しなくなった空威張りばかりの男に魅力がありますか?
家に閉じこもった無気力状態の男に魅力がありますか?
もちろん、ありませんよね。
そんな惨めな生活をしないように、地域の人たちに喜んでもらえるようにと、現役のときから準備を進めていくのである。つまり地域で楽しく生きられる生活法をおすすめしたいのである。
定年退職した後も、会社に残って活躍を続ける人がいる。新しい仕事を始める人も居よう。定年を機会に一切のビジネス活動と縁を切って収入は年金だけも、ある目的を持って悠々自適の生活をおくっている人も多いに違いない。このような生活ができる人は幸せである。皆が皆、こんな恵まれた生活をすることはできない。
これでお分かりいただけたでしょうが、このカテゴリー(欄)で取り上げたいのは、ボランティア活動をしようではないか、ということなのである。
どんなことを書くかはまだ決めていない、思いつくままに書き留めていこうと思う。