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楽しく生きる方法探そう

生きてるだけで人生まるもうけ。だって、いろんなことが体験できるんだもの。
自分流・楽しく生きる方法、見つけよう。

呼吸法を薦められた。

2009年02月04日 | 生きるってなに?

先日、連れ合いと一緒に東京医療センターの人間ドックに入った。
メタボから脱却したいので、ドクター面談の際に相談してみた。

ドクター「食事を減らしてダイエットするなんて、反対です。けっこうな年なんだから、そんなに長生きできないでしょう。」ときた。
私「???」
さらドクターは「食べたいものを食べたほうがいいですよ、たのしく生きましょう」と、なんだか余命いくばくもない人に言う台詞のように感じた。

そこからドクターが薦めたいメタボ脱却法の説明に移った。
それは「呼吸法」である。
複式呼吸であって、2つのことを教えてくれた。
1)血流を良くするために、サプリメントを摂取する。(インターネットで調べるとよいでしょう)
2)「丹田呼吸」の本と五木寛之玄侑宗久の対談集を薦められた。
このことによって、内臓脂肪が減る。ということであった。

かくして、@61,000円也をお支払して、あとは診断結果待ちである。

早速、図書館に該当する本の予約を入れた。

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紅葉が盛りだ-2

2008年12月06日 | 生きるってなに?



庭の紅葉が真っ盛りだ。いや、ちょっと盛りを過ぎてしまったかな?
季節は確実に私達に便りを持ってきてくれる。
「ほら、紅葉がきれいでしょ」とオバーチャン。
「家にこんな木があったの?」とまご。
まごは去年も同じような光景を見ているのだが、忘れてしまっている。まったく関心がないのだ。

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庭が紅葉しているー1。

2008年12月01日 | 生きるってなに?


数日前(11月24日)の庭の紅葉である。
小さな庭も秋から冬の衣替えが盛んである。

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仕事がだんだん少なくなってきた。

2008年09月26日 | 生きるってなに?
この年齢になると、若い人を対象にした能力開発研修の仕事がだんだん少なくなってくる。いや、急激に減少してきた。
それとは逆に、ボランティア活動に関する依頼が徐々に増えてきた。
マジックショウでお邪魔したところからのご紹介とか、ブログを見たかたからのご依頼とか、知り合い経由でご依頼があるとか、ルートはいろいろであるが、何しろ増えている。

ちょっと立ち止まる。そして、与えられたこれから時間を如何に有意義に過ごそうか、なんていうことをしばし考えるようになった。

本来の仕事であるコンサルタントは続ける。そして、その仕事も徐々に減らしていこう。
所得のある仕事30%、ボランティア活動30%、自己投資と趣味40%、この程度が、今の自分に、いちばん身の丈に合う過ごし方かなあと、思うようになった。

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北京パラリンピックが始まる。

2008年09月06日 | 生きるってなに?

昨日までの合宿(クロス・ウェーブ)でほとんど抜け殻である。
今日の夕方、なにげなくNHKテレビを「北京パラリンピック・限界に挑むアスリート」(再)を見ていた。
走り幅跳びの選手がゲスト出演し、またテニスの選手のことも詳しく紹介されていた。
いずれも日本の選手であったが、彼らの日頃の精進の方法と精神力が「すごい」と感動してしまった。

こんなにだらだらなんかしていられないと、その番組を見た以降は元気が湧いてきて、いつもより早く普段の生活に戻れた。

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ジャネの法則がよくわかる年になった。

2008年08月20日 | 生きるってなに?
哲学者、ポール・ジャネー(ジャネ)が提唱した心理学用語である。「生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例する」という説で、年を取ると1年が短く感じられることを心理学的に解明した。例えば「50歳の人が感じる1/50時間は20歳の人が感じる1/20時間に等しい」ということになる。つまり20歳の人が60分間と感じる時間を、50歳の人はほぼ25分間と感じるのだそうだ。そんな時間のスピードを感じる今日このごろでございます。
コメント (1)
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有能と無能について。

2008年08月04日 | 生きるってなに?

今読んでいる司馬遼太郎の『坂の上の雲』の中に、なるほど、と思った箇所があったので、以下に転記しておこう。

……
「あたりまえのことをいうようだが、有能とか、あるいは無能とかいうことで人間の全人的な評価をきめるというのは、神をおそれぬしわざであろう。ことに人間が風景として存在するとき、無能でひとつの境地に達した人物のほうが、山や岩石やキャベツや陽ざしを溜める水溜りのように、いかにも造物主がこの地上のものをつくった意思にひたひたと適()ったようなうつくしさをみせることが多い。」(『坂の上の雲ー四』文春文庫 190頁)
……

こちらも何とかして、無能でひとつの境地に達してみたいものである、とそんな気になる。

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素敵なメッセージをいただいた。

2008年04月13日 | 生きるってなに?

昨日、群馬県の桐生市に所用で出かけた。ある会合に出席するためである。その席で参加者の1人から素敵な冊子を1冊プレゼントされた。自費出版された詩集である。
本のタイトルは『人生にプレゼント』である。12章構成であるが、その最後の12章目だけを転記しておこう


message12 「自分を可愛がる」

私たち人間は、大きな何かで、小さなそれぞれです。
それぞれの役割を持っています。

人生はそれぞれ違って、それでいて素晴らしいものです。
一人ひとりが周りを明るく照らす光として存在しているのです。

自分を最大限に愛しんで、
自分の人生に自分が望む状態をプレゼントしてみませんか?

人生はプロセスを楽しむ大きなギフトであり、
人生を歩く道の途中には、
沢山のドキドキするような宝箱があふれているかもしれません。

人生は、沢山の出来事を体験する場です。

もしも世の中が全て『白』であれば、何も認識できません。
黒・赤・青・緑などがあるから『白』をも知ることができます。

同じように、嬉しいという感情を知るには、
悲しいという感情が、よりそれを教えてくれるかもしれません。
うまくいく経験をも、うまくいかない経験がより教えてくれたりします。

人生はそういった様々な違いを知る場であり、
違いを経験する機会なのです。
だとすれば、どんな自分も認めて、
どんな自分でも可愛いと思ってあげればいいのではないでしょうか。

ですから、
人生を思いっきり楽しんで、
かけがえのない自分を、
いっぱい可愛がって、愛しんでいきましょう。
……
(著者:大塚慎吾 発行:バランス・チーム・ジャパン 制作:マイルストーンデザイン)

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浅田次郎の『僕は人生についてこんなふうに考えている』を読んだ。

2008年04月02日 | 生きるってなに?

海竜社が2003年に出版した本である。
作者・浅田次郎の本音を垣間見るには適当な本である。浅田ファンとしては必見の内容である。
その中に「人生の経験とは幸福を積み重ねることである」の章に、なるほどと思ったことが書いてあったので、載せておこう。

……
 苦労とは、すればいいものではない。苦労がすっかり板につき、顔にまで出てしまう人生は不幸である。苦労を積み重ねるのではなく、日々の幸福を積み重ねることこそが、真の人生経験なのである。このあたりをはきちがえると、たとえ立志伝中の人物といえども内実はひどく孤独であったり、人格が破綻してしまっていたり、ただの守銭奴や、イヤなやつであったりする。これはすでに悲劇でしかない。
……

この節を読んで、このブログの所有者は考えた。
幸福と苦労の違いって、あるのだろうか、あるいはその2つの区別って、できるのだろうか、と…。
幸福も苦労も、その人にとってはあくまでもとらえ方次第だろう。人が見て苦労だと思われるものでも、本人がそれを克服すべき自己課題としてとらえていれば、それは全く苦労ではない。そのような人にとってはその苦労が終わったときに味わう充実感こそ、最高に幸福感を味わえるものなのだろう。つまり苦労も幸福も薄紙の表裏一体のようなもので、もともと分けることなどできないものなのだ、と思うのである。
ポジティブに生きていれば、苦労なんて存在しないと思うのである。いつも「普通」しか存在しないのであると…。    

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雪柳である。

2008年03月30日 | 生きるってなに?

今朝は曇り。ぼんやりした空の下の雪柳である。
庭の片すみに咲いている。

今日は男の子の誕生日だ。やっと8歳になる。
髄膜炎を患って8日間入院していた人間にしては、回復は早い。いまはバリバリである。
ところが妹のほうは今朝も「ここがいたいの」といって、右のほほをおさえる。4~5日前までは左のほほをおさえながら泣いていたのだが、結局両方のほほがおたふくに罹ってしまった。お兄ちゃんと同じようにひどくならなければいいが…。
朝食は何も食べず、ひーひーしている。    
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訃報が届いた。

2008年03月06日 | 生きるってなに?

尊敬する恩師・早稲田大学名誉教授・田中由多加先生の奥様が3月5日に逝去された。先生にはお子様が居られず、そのためか仲睦まじいご夫婦の姿をいつも拝見していたものだ。
先生には私の実弟と母の葬儀のときに、大変お世話になっている。
葬儀は3月8日(土)18:00から通夜、9日(日)11:00から告別式である。
場所は中央線・三鷹にある禅林寺第1斎場である。
通夜に参列しよう。 

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五木寛之のエッセーはいい。

2008年02月23日 | 生きるってなに?

五木寛之の『生きるヒント2』(角川文庫)を読んだ。副題は「いまの自分を信じるための12章」となっている。
その140頁にこんなことが出ていた。


   こわい人はやさしい。
   やさしい人はこわい。

これだけである。
だれでもこの言葉は理解できるだろう。
そしてさらに


   そんなつぶやきが、なぜかぼくの心にずっときこえ続けている。それは今も変わ   
   りません。

うーん、なるほど。なるほど。    

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五木寛之の『生きるヒント』を読んだ。

2008年02月10日 | 生きるってなに?

このエッセー(角川文庫刊)には「自分の人生を愛するための12章」という副題がついている。
以前、同じシリーズの第3巻は読んでいるので、順序は逆になってしまった。
「歓ぶ」「惑う」「悲む」「買う」「喋る」「飾る」「知る」「占う」「働く」「歌う」「笑う」「想う」の12章構成である。
このなかで特に感じ入ったところが「知る」部分である。
そこで以下に要点のみ抜粋しておこう。

<知る>ということ、そこには二つの側面があり、そのことによって限りない歓びをうることができると同時に、また、なんともいえない暗くアナーキーな気持ちなっていくこともあるのです。(中略)
しかし、できれば私たちはさまざまなことを多く知り、知る喜びの中に生きながら、しかもその知識によって惑わされないような、こういうと、言葉は矛盾しますが、そのふたつの難しさの中で、きわどいバランスをとって生きていかなければならなりません。
勉強することは、大事なことです。本を読み、知識をうることは歓びです。もしかりに、それが悪いことだとしても、人は何かを知らずにはいられない本能というのがあります。私たちは人間として、本来、知ることを歓ぶ気持ちを持っている。しかし、知ることの危うさ、知ることによって失うものの大きさというものに気づかないわけにはいきません。
このプラスとマイナスの、ふたつの極の間をさまよいながら私たちは生きているのです。つい、ため息が出てしまいそうですが。

すっかりうなずいてしまった。

図書館で第2巻が借りられたら全3巻を読むことにしよう。   

 

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五木寛之の『情の力』を読んだ。

2008年01月12日 | 生きるってなに?

昨年末に、今年の一語を「情」に決めていた。
先日、港図書館から五木寛之のタイトルの本(講談社)を借りて読んだ。
100節から成り立っているしっかりした著書である。
その第1節にこの本を集約したような文章が載っているので、書き写しておこう。

今の日本人に大切なのは「情」ではないか。(中略)
「情」は「こころ」です。情が欠けているというのは、すなはちこころが乾いてひからびていることなのです。
だから、「愛」ではなく、「愛情」のほうが大事だし、「友」よりも「友情」が大事。「熱」よりも「情熱」が大事だ、というふうに言っているわけです。(中略)
なぜ「愛」ではなく「愛情」が大事なのか。「愛」というのは知的なものであり、ヒューマニスティックなものです。たとえば、相手を差別するこころなどを、それはいけないことだ、と頭で考えて乗り越えていくような感覚です。それに対し「情」は頭で考えるのではなく、本能的に相手を抱きしめずにはいられないという気持ちだと思う。だから、「愛」と「情」が結びついた「愛情」が大事なのです。(中略)
「情」という言葉、つまり「こころ」が付くことによって、適度な湿気と重さが加わるのです。(16~17頁)

全く同感というわけにはいかないが、「情」とは「こころ」だという件は、とてもわかりやすい説明だと思う。      

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ローラーで顔のしわがのばせるって、ほんと?

2007年12月24日 | 生きるってなに?

6人での朝食時、クリスマスキャロルを聴いていた。
オバーチャンが「そんな歌ばっかりの音楽、いやよ」と来た。
「じゃ、またあの音楽にするか!」とオバーチャンの大好きなレハールのワルツ「金と銀」をかけることになった。
「これで〝波濤を越えて〝を踊ったのよ」とオバーチャンは得意げだ。
「エーッ、オバーチャンが踊ったの?」と孫が大げさに驚く。
「そうよ、オバーチャンだって、高校時代があたんだから。顔だってつるつるだったんだから」とママ。
いつも見ているオバーチャンの横顔をまたジッと見て「じゃーあ、今のしわがなければいいんだ。ローラーをかけるとなおるよ」と真顔の孫。
「わっはっは」とオバーチャンに大うけである。
「どこでそんなこと聞いたの」とママ。
「テレビでやってたよ」とまだ真顔の孫。

本当にローラーでしわをのばすTV・CMがあるらしい。
――― 高校時代のつやつやの顔にもどってもらいたいと思っているのは、なにを隠そう、このおじいちゃんなのだ―――   

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