murota 雑記ブログ

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ダイバーシティー(多様性)の時代か。

2018年04月24日 | 通常メモ
 「飢饉」や「餓死」は、現代の日本では死語となりつつあるが、北朝鮮やアフリカでは珍しいことではない。地球上の人類の歴史は実に「飢え」との闘争史でもあった。人間の数を人口と呼ぶが、人は食べなければ生きていけない。日本の江戸時代、こんなことがあった。青木昆陽は徳川吉宗が見出した人物だが、吉宗は儒学者であった昆陽にオランダ語の習得を命じていたが、一方では甘藷(かんしょ)すなわちサツマイモの栽培も命じ、日本中に普及させた。琉球王国(今の沖縄県)や薩摩国(鹿児島県)は、東日本に比べれば温暖な気候で、「餓死」とは関係ないと思われるが、実は東日本で豊作の時に、この地方では餓死者が多く出ていた。米(稲)という作物は大量に水を必要とする。薩摩国は火山灰台地で保水力がなく、地味もよくない。かつて薩摩国は米など全くできず、餓死者の多い国だった。これを一変させたのが甘藷(かんしょ)すなわちサツマイモであった。そんなことを井沢元彦氏が「逆説の日本史」で書いていた。

 更に詳しくいえば、サツマイモは火山灰台地のような他の作物を全く受け付けない土地でも出来る。稲のような面倒な世話もいらず、ほっておいても増えてゆき、栄養価も高い。理想的な救荒作物(飢饉対策になる作物)である。これは、中央アメリカの原産で、コロンブスが持ち帰り、それがスペインの東南アジアの植民地に広がり、中国を経て琉球に渡った。そして、まず琉球の飢餓を救う。琉球王国が薩摩藩の実質的領土となった頃、琉球を訪れた薩摩の船乗り前田利右衛門が、これを持ち帰り、薩摩国全土に広めた。そして奇跡が起きる。薩摩全土が飢餓から解放されたのだ。「前田利右衛門」というと、イモ焼酎のブランド名にもなっているが、イモから酒が作れるようになったのも劇的な変化だった。

 甘藷(かんしょ)は正式な和名で、サツマイモと呼ぶのは、薩摩から日本中に伝わったためだが、鹿児島県では今でもカライモと呼ぶ。琉球に伝わった時代の中国の国名は「唐(とう)」だが、唐を「カラ」とも呼び、唐からの物をカラモノといっていた。前田利右衛門は甘藷翁(カライモオンジョ)と呼ばれて地元の指宿市の山川の神社にも祭られている。2005年は利右衛門がカライモを持ち帰って300年記念の年だった。徳川吉宗が初めて甘藷に関心を持ったのは、薩摩国から餓死者がいなくなったことが理由だ。当時、享保の大飢饉は全国で97万人の餓死者を出した。当時の石高(米の生産高)から計算すると当時の日本の人口は2500万程度、よって総人口の4%が死んだことになる。この享保の大飢饉で薩摩国は一人の餓死者も出ず、それは奇跡的な出来事でもあった。吉宗は、その理由に注目し、青木昆陽に命じて、幕府の薬草園で試験栽培をさせる。これが本州四国に甘藷が普及する大々的なきっかけとなる。以後、東日本では飢饉の餓死者が激減していった。

 サツマイモにも欠点はある。寒冷地では育ちにくい。江戸時代後期になっても、陸奥国南部あたりでは餓死者が絶えなかった。この餓死を解決するのは、昭和になってから、並河成資(なみかわなりしげ)という農林省の技官が「農林1号」という水稲の新種を改良で生み出してからだ。昭和初期までは、北陸米というのはマズイ米の代名詞だった。冷害に弱く、育成にも時間がかかり、台風被害にもあうことが多かった。それが「農林1号」の開発で、収穫は早く多くなり、味も良くなった。この子孫にあたるのがコシヒカリやササニシキだ。米は熱帯原産で、本来なら暖かい地方が味もよく育ちやすいが、農林1号は、この常識を完全に変えてしまった。寒い新潟県や山形県が「米どころ」といわれるようになった。また、現在サツマイモの最大の生産国は中国だ。全世界の生産量の84%(1億1500万トン)である。(日本は103万トンで世界8位) 人口世界一の中国、その人口を支えているのは実にカライモ(サツマイモ)だ。人間が直接食べるだけでなく、デンプンや酒の原料にしたり、家畜の飼料にしたりして収穫をそちらに回すことで、他の米や麦を、もっと人間の口に入れることにもなった。

 話は変わるが、我が国にとっては、TPPにしてもASEAN(東南アジア諸国連合)+日中韓にしても、最後の着地点はアジア太平洋全域で自由貿易をしていくことにある。これに乗っかっていくことで閉塞状況も打破できる。中国でも、日中韓でやろうという動きになっている。農業関係者が反対していているといっても、それは感情的な反対が多く、事実に基づいていない。農業側がTPP反対の根拠として出してきたのは、日本のコメを自由化したら、海外のこんな安いコメが入ってくるので、日本のコメがだめになるという。実際には、コメの自由化をすると、先ず中国から米が入ってくる。中国の北の地方が、日本の消費者に合うコメを作る潜在性をもっている。オーストラリアでは干ばつが続き、コメの産地は大打撃を受けていて、輸出力はあまりない。米国も取水の制限があり、コメ以外に儲かる農産物が豊富にあり、コメに注力するわけではない。米国内に、コメを日本に輸出したいという強力な政治的パワーはない。米国にとって牛肉や小麦はそうでもない。

 農林水産省はコメを自由化したら中国のコメがこんなに入って大変だというデータを出す。TPP反対派は米国よりも中国が大事であり、TPPよりも日中韓が重要だと言う。本当に日本の農業とか、食糧のことをまじめに考えたらTPPにただ反対はないだろう。若い農業者とか、プロ農家と言われている人達は、TPPはやるしかないといっている。

 医療についていえば、日本の医療の優れた国民皆保険制度が崩れるといって医師会はTPPに反対していたこともあった。その時には、TPPに9カ国が参加していて、米国はその中で唯一違う医療制度で「皆保険」ではなかった。米国の医療制度が入ってきて日本が変わってしまうというが、前大統領のバラク・オバマが当選した理由の1つは国民の皆保険を何とか実現したいという主張だった。米国が中心になって、世界の医療の基準を作ろうとしており、それは病院評価機構(JCI)という国際的な医療機能評価、これに合格した病院が日本には2つしかない。1つが千葉の亀田総合病院、もう1つが五反田にあるNTT東日本関東病院。この機構は、対象病院が国際基準で十分な基準を満たしているかどうかを医療の専門家チームが来て1週間病院に入り込んで全部チェックする。韓国も合格病院が20とか、30もあってアジアにもたくさんある。ところが聖路加国際病院でさえ審査では合格しなかった。聖路加国際病院の院長が言っていた。彼らの基準から見れば、きちんとできていないところがいくつかあって落ちた。もう1回挑戦すれば合格するともいった。評価する側は手術などいろいろな現場を見に行く。国際基準に合ってないという項目がいくつかあるという。

 医療の世界で何が起きているのか、日本国内の病院は自分たちの思い込みだけで日本の医療を「素晴らしい」と思いこんでいる。それは日本流の正しさを維持しているに過ぎないことも分かってきた。外から見れば合格水準には達していない。病院の手術のプロセスや患者と看護師の数を確認した時、あまりにもオーバーワークであるという点などもある。あるいはIT(情報技術)化が進んでない等、韓国も含めた世界の国はどんどん合格していくのに、日本では聖路加病院でさえ合格しなかった。日本の中で日本の仕組みでやっていて素晴らしい面もたくさんあるが、それで世界一だと胸を張って言えるかというとそうではない。外に目を向けるということも大変に重要だ。TPP問題は、日本に大きな一石を投じた。今後、日本にとってのイノベーションの最大の源泉はグローバル化だ。日本の企業が海外に出ていっていろいろなチャンスをつかむと同時に、海外から優秀な人にいっぱい日本に来てもらうことでもある。ダイバーシティー(多様性)という言葉から見れば、日本はその逆になっている。違ったものがぶつかり合うことにより、新しいものが出てくるのがイノベーション(本来は変革とか刷新という意味)だ。日本で停滞している分野、例えば医療、教育、介護、あるいは様々なサービス分野は変えていく必要がある。今、韓国や中国の学者の間にこういうジョークがある。日本人とあまり付き合わない方がいい、なぜと聞いたら日本人とあまり付き合うと社会主義に染まっちゃうという。医療などまさにそういう世界だ。介護も同じ。これではイノベーションは出てこない。流通業界も過去には規制がたくさんあって大変な業界だったが、規制改革をして変わってきている。

1 コメント

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違ったものがぶつかり合うか。 (T.S)
2018-04-24 09:08:36
違ったものがぶつかり合うことにより、新しいものが出てくるのがイノベーション。日本で停滞している分野、例えば医療、教育、介護、あるいは様々なサービス分野は変えていく必要がある。韓国や中国の学者の間にあるジョークとして、日本人とあまり付き合うと社会主義に染まっちゃうと。医療などまさにそういう世界、介護も同じ。これではイノベーションは出てこない。そういわれてもしょうがないですね。
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