M's 備忘録

「頭蓋咽頭腫」という脳腫瘍の闘病記を主軸に、
日々の備忘録をブログにつづります。

年末からの波乱万丈16(頭蓋咽頭腫と、とりあえずのゴール)

2010-03-31 13:28:07 | 闘病記
リハビリも順調にこなし、
尿崩症の症状も落ち着いてきて、
(朝晩の薬の回数が3→2→1と減りました)
ついには病室が移動しました。
ナースステーションから随分離れた病室に
なりました。
看護士さんに伺うと、
「重症患者さんはステーション近くじゃないと困るけど、
 そうでない患者さんは遠くにいても問題ないからね。」
だそうです。
(なので、私はもう重症患者ではないらしい・・・。)

同伴という条件付とはいえ、外出まで許可されています。
なので、順調にすすんでいるような気がして、
「次は『退院です』なんて言われるのか?」
とスーパー楽観的な妄想までしちゃいました。

実際は術後のMRI診断で、
今後どうするか決まるらしいので、
MRI撮影をおとなしく受けました。

実際の話はまだあと2日後に控えた夜、
いきなり主治医の先生がやってきました。

「○曜日(実際に話をする日)には、
 ご家族は来られるんですよね?」
と先生。
「はい。妻が必ず来ます。」
と私。
「腫瘍ですけど、かなりうまく取れてますね。
 これは本当にいい感じです。」
と少し嬉しそうに先生。
続けて、
「実際にはMRI画像をお見せしながら
 説明させてもらいますが、
 うまく取れてます。
 で、どの道一度退院はしてもらうことに
 なると思います。
 それで、しばらく体を休めて下さい。
 次の手術まで。」
ん?退院?次の手術?
「ああ、そうですね。
 頭をもう一回開けるとなれば、
 しばらく間を空けないと。」
と私がかまをかけて答えると、
「頭は開けないですよ。
 血管奇形の手術は、血管手術で
 行いますから。」
と腫瘍摘出の手術を否定されて、
血管奇形の手術を示唆されました。
どうやら、腫瘍はきれいに
取れてしまっているようです。
ただ、一時退院ができるとはいえ、
問題も残っています。


 1.左目の視野が回復していない。
   日によっては、悪化する場合も
 2.右目がまったく見えない。
   見えるようになるのか、
   もう無理なのか分からない。
社会復帰には、まだ遠い状態なので、
自分としては不安です。

なので、明日先生の説明の際に、
その点も踏まえて確認しようと
思ってます。

でも、退院できるとなると、それは嬉しいです。
(同室の人の騒音に悩まされなくなりますから^^;)

年末からの波乱万丈15(頭蓋咽頭腫と、お見舞いの人達での回復)

2010-03-27 19:13:59 | 闘病記
一般病棟に移ってからは、リハビリの時間以外は
かなり暇なもので、大抵は寝てしまいます。

同室の患者さんたちは、重症患者なので
世間話をするどころではありません。

しかも、視野が回復していないので、
テレビを見るのも疲れる始末です。

そこで、一番嬉しいのが「お見舞い」に
人が来てくれる事です。
相方はもちろん、義理の妹とも
たわいも無い世間話をするのは
とても楽しくて、時間が経つのを
忘れてしまいます。
特に義理の妹は、平日は
ほぼ毎日のように来てくれて、
話をしてくれます。
(私の仕事のこととか、
  相方の事とか、
 相方の「元彼」のこととか・・・。orz)

そのおかげもあり、順調に回復して、
ホルモン剤の点鼻薬をしていたのですが、
今やその回数が朝晩3回→1回にまでなりました。

そして、誰か同伴であればという条件付の
「外出」も許可されました。
(看護士さんとでも良いそうです。)

先週は嬉しいことに、あのIGNISさんがご家族連れで
いらして下さって、お話できました。
(その節はIGNISさん、本当にありがとうございました。)

そして!本日はなんと、アサ会メンバーで、
漫画家さんのBOBAさんが
わざわざ私の為に車を走らせて
お見舞いに来てくださいました。!!!

百聞は一見にしかず、私の顔を見てほっとしてくださいました。
(実際は頭の縫い目も見てもらったので、ちょっと
 フランケンな感じでしたでしょうが。^^;)
BOBAさんは、掲示板やこのブログでも
色々とご心配頂いており、
私的には本当にありがたい人にお会いできて、
さらに元気がでてきました。
お時間もあっという間に過ぎ、
名残惜しみながらも帰られましが、
その後、私が看護士さんやリハビリの先生に
クアドリフォリオの表紙を見せて、
「この漫画書いてた人だよ」と自慢しまくったのは
言うまでもありません。
(入院中に「クアドリフォリオ」と
 アルファと
 シトロエンを広めようと画策中です。(^^V)
次回相方が見舞いに来るときに
持って来てもらうつもりです。

いよいよ明日は
術後の腫瘍の状態を
確認するため、MRI撮影です。

この結果次第で、追加の手術をするのか、
退院がいつになりそうか
お話をさせてもらえるみたいです

年末からの波乱万丈14(頭蓋咽頭腫と、一般病棟での回復)

2010-03-22 15:52:50 | 闘病記
一般病棟に移ってから色々と開放されたことがあります。
 1.部屋から自由に出入りできるようになった。
 2.食事時のエプロンから開放された。
 3.点滴から開放された。
 4.飲み水の制限から開放された。
   (実際には制限されてますが、
    ベッドの側に大量の飲み物を確保できます。)
 5.毎回された本人確認から開放された。
 6.おしっこの管から開放された。
   (これが一番助かりました)

一般病棟に移ってその日に、早速自動販売機に
ジュースを買いに行ったのは言うまでもありません。

しかし、視野が確保されていない状況での徘徊は、
他の患者さんとの衝突により事故を起こす可能性が
あるため、本来はNG行為でした。

何度か徘徊する度に、看護士さんやヘルパーさんに
見つかって「Munejiiさん、どこいくの?」と
注意され、「お買い物したいんですが」と言い訳をして
連れ戻されることの繰り返しでした。

大分慣れて来たので、今は自分から
「買い物に付き合って」と
独身時代のように看護士さんを誘って、
買い物(ジュース、アイスがメインです)
に付き合ってもらうようになりました。

ただし、義理の妹が見舞いに来たときに、
ゴミ箱チェックをされてしまい、
「Munejiiちゃん」(チャン付けで呼ばれてます^^;)
「折角痩せてきたのに、アイス食べてまた太りたいの?」
と説教が始まります。(^^;
(義理の妹は、なにかと親身に私を心配してくれて
 ICUからの回復振りをとても喜んでくれてます)

でも、飲み物の飲んだ量を毎日自分でまじめに付けて、
おしっこもきちんと貯めるようにしていたら、
主治医の先生から、「大分問題無い様ですね」と
言われ、なんとリハビリの先生引率で「外出」まで
させてもらいました。(^^)V
(視野は相変わらず見えていないので、
 車の運転はおろか、一人で出歩くのは危険ですが)
自分が回復していくのを感じるのって、
とても良い感じです。

相方が見舞いに来てくれたときも、あまりの私の元気振りに
喜んでくれました。
でも焦らず、ゆっくり回復していこうと思います。

年末からの波乱万丈13(頭蓋咽頭腫と、一般病棟に移ってからの戦い)

2010-03-22 09:02:22 | 闘病記
一般病棟に移ってから直ぐに、
携帯のメールチェックと、
このブログ関連のチェックをやりました。
目の回復がまだまだだったので、
小さい文字が見えませんで、
携帯の文字の大きさを大きくしたりしましたが。(^^;
心配してくれる内容や、励まし、応援の
メールやコメントが多数で、うれしくて涙が出そうになりました。

それから、家族に一般病棟に移ったことの報告の電話です。
やはり、身近な人と話が出来るのは、心が和みます。

で、よいことばかりではなく、それなりに大変なことも。
「Munejiiさん、リハビリを始めますよ」
とリハビリの先生が来られて、リハビリを始めることに。
リ脳に若干なりとも損傷を与えかねない手術だったので、
脳の機能低下の確認と、その回復を行わないといけないそうです。
後、ICUで寝たきりの時間が長かったので、筋力低下も回復
させる必要があるそうです。
なので、リハビリは3種類日々受けることになっていました。
 1.反射神経、記憶動作の回復
 2.運動能力の回復(筋力回復も)
 3.短期間記憶能力(暗記等)の回復

1のリハビリ
 なんと、「立ち上がれない」んです。
 おとなしく車椅子でリハビリルームに移動して、
 リハビリ開始となりました。
 リハビリの先生いわく、私は
 「目の前にある障害物を避ける事ができない」
 んだそうで、視野が回復していないせいもありますが、
 一人で歩き回るにはかなり危険な状態だそうです。
 部屋にある物を指示されて、それを取ってくるという
 作業を繰り返すのですが、指示された内容を
 覚え切れなくて、すぐ疲れてしまいました。
2.のリハビリ
 1.のリハビリの通り、立ち上がれないので、
   もう少し動き回って筋肉をつける行為を
   中心に行うそうです。
3.のリハビリ
 これは、なんと最初から「高得点」でした。
 通常の人の成績よりもよかったりしたんです。
 どうやら、この分野に関しては、能力落ちなど
 微塵もなく、相当得意としていることが
 分かりました。
 (リハビリの先生がとてもかわいかったから、
  張り切ってしまった訳ではないですよ^^;)

初日はさすがにヘトヘトになり、
思わずジュースをがぶ飲みして、
見舞いに来ていた家族におこられました。
しかし、このリハビリも
毎日まじめに続けていってやがて
実を結ぶことになります。
家族との面会時間も増えたので、
めきめき回復していく自分が
よく分かります。慌てずしっかり
リハビリしようと心に誓いました。

年末からの波乱万丈12(頭蓋咽頭腫と、手術直後~ICUでの戦い)

2010-03-18 10:40:36 | 闘病記
手術後はICU(集中治療室)にての治療となっていました。
ICUに入ることは、手術前に説明は受けていましたが、
想像以上でした。
ICUに入ってから直ぐに、MRI撮影でした。
(これは私の主観的時間になりますが、術後すぐと感じてました。
 実際は、術後2日位経っていたようです。)
 完全に意識を取り戻したのは、術後3日後位だそうです。
 最初のうちこそ頭痛がありましたが、それ自体は鞭打ちによるもので、

手術に伴う痛みではなかったそうです。
 (実際、肩こりの薬を飲んだら直ぐに治りました。)


さて、この手術で重要なのは、合併症の「尿崩症」です。
尿が止まらず、体から必要な電解質がどんどん失われてしまうことがまず

いそうで、最終的には薬(ホルモン剤)によって抑えるそうです。
・飲んだ水分量 → 排出された尿量 の計測がとても重要で、
 飲んだ水分量 → 薬で抑える尿量 → 排出された尿量 を
 算出するために、日々ICU内で尿量を計測しています。
 (実際には、尿道に管がはめてあり、これが痛くてしょうがなかったで

す。)
 あと、栄養補充に常時点滴が刺してあり、寝相の悪い私にはこれもいた

手しょうがなかったです。

厳密に計測するために、飲料水も制限されており、
こちらから「お願い」しないと、飲ませてもらえません。
なので、常に「渇き」との戦いでした。

ちなみにICUでは、以下のことが不自由になっていました。
 ・時間が分からない。(時計が身近に無い)
  食事時が、唯一時間の分かるときで、それ以外は殆ど分かりません。
  何時間経ったのか分からないというのは、寝る以外にやることが無い

身としては、結構つらいものです。
 ・外部との連絡手段が無い。(携帯やPCが使えない)
  ICUから外に出る事が適わず、家族との面会も時間が限られており、
  人と話すのが好きな私としては、苦痛でした。 
  また、視力もあまり回復していない状態で、看護士さんの区別はもっ

ぱら「声」でした。夜勤交代の時に声をかけていただいたりするのですが、前述の通り、時間が分からないものですからうまく覚えることができません。
だんだん、自分自身にイライラが募ってきます。

そして、意識確認として、以下の確認をされます。
 ・私の氏名
 ・生年月日
 ・年齢
 ・今日が何月何日か
 ・今いる場所がどこか?(病院名と、病棟を聞かれます。)

余計イライラして日々を過ごしてしまい、
夜中に目が覚めることもしばしばありました。

家族から、水分量のことを詳しく説明されて、
初めて現状に納得してからは、
自分自身で水分量を節制するようにもなり、

ある日突然主治医の先生が来られて、
「抜糸しましょう」と言われ、

ICU二週間を耐え切っての
一般病棟入りを果たしました。