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宇宙戦艦ヤマト2199/第七章 そして艦は行く その一

2013-09-15 20:39:55 | 映画

 ついに『宇宙戦艦ヤマト2199』最終章を見た。そしてTV放送と合わせ、リメーク版の全シリーズを見終えた。私に限らず十代に旧作『宇宙戦艦ヤマト』に夢中だった人々ならば、新旧両作品を比較せずにいられるはずはない。特に新作ではガミラス星での本土決戦がどう描かれるのか、旧作ファンは気になっていたはず。予想した通り、ガミラス本国での闘いは旧作とはかなり違った展開となった。

 特に異なっているのは、ヤマトはガミラスでのジェノサイドを行っておらず、むしろ結果的には波動砲で帝都バレラス市民を救っていること。やはり現代ではアニメの世界でもジェノサイドは陰惨で好ましくなく、設定が代えられたのかもしれない。
 旧作では総統デスラーによりヤマトはガミラス星に誘導され、「濃硫酸の壺に落ちたゴキブリ」のように溶かす作戦に対し、ヤマトも反撃。波動砲はガミラスの海底火山脈の噴火誘発のために使われた。それがリメーク版ではヤマト自らガミラス星に乗り込んでいき、直接総統府に突入するストーリーになっている。しかも沖田艦長は直接指揮を執っており、旧作のように寝台に横たわった状態ではなかった。

 ヤマトが総統府に突入した時、既にデスラーは空間機動要塞都市第二バレラスに移動していた。敵前逃亡のためではなく、これもかねてからの計画通りであり、この要塞の633工区を分離、落下させ、ヤマトをバレラス臣民もろ共殲滅する作戦だったのだ。総督府には主だった重臣も残っており、これではヒスならずとも、「これが指導者のすることか!」と激怒するのは当然だろう。戦争という非常時には非情な作戦が必要とされることもあるが、これは惨すぎる。ヤマトは落下してくる633工区を波動砲で破壊、帝都バレラス市民は命拾いすることになった。

 ヒスも旧作とは微妙に違っている。お飾りの副総統なのは旧作と同じだが、地球との和平交渉を直訴して、あっさりデスラーに射殺された旧作と異なり帝都で生き残り、戦後のガミラスを立て直す地位に治まる。決して無能なお飾りの副総統ではなかったのだ。また、避難のためパニックに陥ったバレラス市民に突き飛ばされ、気を失い倒れている第二市民シュルツの娘を抱きかかえて助けようとしたり、旧作に比べ好感度がアップしたキャラになっていた。

 ガミラス本土決戦でのジェノサイドがなかったため、古代進のあの馬鹿げた台詞、「我々は戦うべきではなかった。愛し合うべきだった」がなかったのはよい。あの台詞には強い違和感を覚えた旧作ファンも多いはず。私の十代の頃、同じヤマトファンの級友とあの台詞はおかしいと言い合っていた。
 新作ではその役割を森雪が代行している。地球への帰路、デスラーが白兵戦でヤマトに乗り組んでくるのは旧作と同じだが、デスラーやその女衛士に対し、「地球もガミラスも戦う必要なんてなかった。お互いに相手を思いやって愛し合うことだって…」と叫んでいる。これまた、日本アニメのヒロインらしい感傷主義の極みだった。

 SFの世界で異星人は高度な文明を持った存在でも、相互理解も可能な異種族として描かれることも多い。特に日本のSFアニメではそのパターンが多く、異星人文明は地球文明の投影という設定となっている。仮に異星人が存在していても、地球人同士さえ交流や理解は決して容易ではないのだから、まして異星人となれば難しいはず。
 2006-10-13付けの記事「インド知識人と池田会長の対談 その三」でも書いたが、対談で池田会長はSF風仮説を持ち出していた。仮に何処か遠くの世界に、地球上の人類とは全く違った種の高等生物が存在していたとしても、生命の原因、結果の法則についての認識は、少なくとも基本的な点では互いに合意に達すると想像している、と会長は言う。どうやら宇宙人がいたら、彼ら相手にも布教するつもりらしい。

 それに対しインド知識人の意見は次の通り。多民族、多宗教が混在、妥協なき宗教対立を繰り返してきた国の知識人の見解は鋭く、納得させられた。

全く同じ法則が全宇宙の何百万という世界の全てに当てはまるかどうかとなると、議論の余地があるだろうが、因果律は普遍であるように思われる。しかし、それさえも我々人間がその知力に限界があるため、傾向性として既知の知識や概念を全宇宙に拡大し適用しているだけに過ぎないのかもしれない
 従って地球上では不変と思われている重力の法則が重力圏の外では働かないのと同じように、因果律に束縛されない何らかの種類の生物が存在することも、決して考えられないことではない。
その二に続く

◆関連記事:「相互理解
 「宇宙戦艦ヤマト2199 第六章 到達!大マゼラン
 「我々は愛し合うべきだった―宇宙戦艦ヤマトの不可解さ

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15 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
異星人との相互理解 (motton)
2013-09-15 23:53:55
異星人との相互理解は SF の一大テーマで、『ソラリスの陽のもとに』(スタニスワフ・レム,1961) などからは異星人(異星の知的生命体)とは基本的に相互理解不可能という考え方が主流です。

ただし、それだけだと哲学的になりすぎて面白くないので、異星人と相互理解可能である(一定の価値観は共有可能である)理由を設定するようになりました。

いくつかパターンがあり、
1. 地球発祥の人類の子孫のみとする。(アシモフの『銀河帝国興亡史」が嚆矢。)
2. 太古のどこかの星の人類の子孫が地球人やその他の異星人。(『ヤマト』など。)
3. 太古の(超)知的生命体が地球やその他の星に文明(知性)を伝播した。(非常に多くのSF。)
などです。
SFアニメもこうした裏設定を持っているものが多いです。

サイエンスを名乗る以上、こうした設定は必要であり、それがないもの(池田会長のようなもの)は B 級というかファンタジーです。
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ジェノサイド (motton)
2013-09-16 00:22:10
ジェノサイドですが、SF では異星人との相互理解と密接な関係があります。

というのは、地球上であれば地球に住めなくなるような核の打ち合いはどの陣営も避けますし、同種という心理的障壁もありますが、異星間戦争においてはこれが成り立ちません。
早い話、やれる時に先にジェノサイド(正確にはゼノサイド=異類皆殺し)が異星間戦争の基本になります。(アメリカ大陸やオーストラリア大陸であったものの拡大版ですが、超兵器がある SF では簡単に実行可能。)

ガミラスの敗因は、移住しようとしたために地球を破壊しなかった(地球人をジェノサイドしなかった)、ことなんですね。
なので、SF でジェノサイドが起こることを設定上で避けるには異星人との相互理解(同じ生命体という心理的障壁)が必要なんです。

こうしたテーマを主題にもつ SF に『エンダーのゲーム』があります。来年、映画が公開されます。(期待はしていません。)
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RE:異星人との相互理解 (mugi)
2013-09-16 21:06:23
>motton さん、

『惑星ソラリス』のDVDを先日見ましたが、原作は未見です。原作と映画は違うようですが、映画でもかなり哲月的なテーマとなっていましたね。映画への評価は高くとも、一般受けしない作品だと思いましたが、これも哲学的になり過ぎたためでしょう。単純なスターウォーズの方が大衆に受けるのです。

『宇宙英雄ローダン』など貴方の提示されたパターン3の典型でしたね。こちらも非ヒューマノイド型生命体とは理解しようとはしていない。池田会長に限らず、安易に相互理解というファンタジーを振りかざす文化人も珍しくありません。対照的にインド知識人の見識は哲学的だったので、その落差で妙に憶えています。
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RE:ジェノサイド (mugi)
2013-09-16 21:09:27
>motton さん、

>>ガミラスの敗因は、移住しようとしたために地球を破壊しなかった(地球人をジェノサイドしなかった)、ことなんですね

 正にその通りですね!もっと近くに移住に適した惑星はなかったのか?というあら探しは簡単ですが、他の惑星に移住しようとすれば、地球との戦いは無用となり、ヤマトの物語が成立しない。旧作でのガミラスへのジェノサイドも非は先に無差別攻撃してきたガミラスにあり、自衛の結果ヤマトはそうせざるを得なかった…というストーリーになりました。

 そうすると、古代進の「我々は戦うべきではなかった。愛し合うべきだった」というクサい台詞も、相互理解が出来なかった言い訳になるでしょう。

『エンダーのゲーム』の著者オースン・スコット・カードをwikiで見たら、熱心なモルモン教徒でもあったそうですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%89

 戦いを終わらせるための戦い、というのは戦争のスローガンに使われる文句ですが、リメーク版でのガミラスは全宇宙の平和を遂行するための戦いというかたちになっていました。
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ガミラスはスターシャの守護者 (いきるんだ)
2015-05-10 18:07:57
初めまして。

原案を出した豊田有恒氏の構想をもとに、小説が書かれていますが、それだとスターシャはイスカンダルの知性体に仕えるコンピューター、ガミラスはスターシャを守るため造られた人造生命体。そしてガミラスはスターシャを守るべく、手の届く限りの異星生命体を、予防的に抹殺していく、という展開のようですね。
ガミラスの側からすると、全宇宙の平和を遂行するための戦いではあるわけです。死んだ隣人は安全という意味で。

その後ある理由でイスカンダルの知性体は絶滅してしまい、保護対象を失ったスターシャは、絶滅戦争を食い止めようとします。そのためには、ガミラスの至上目的である、自分の存続を絶たねばなりません。そこで地球に使者を送るのです。戦争と放射能から救われたいなら、わがもとに来いと。おのれを滅ぼさせるために。

この原案をもっと生かしていれば、なぜガミラスに隣接しながら、イスカンダルは独立しているのか、地球側に技術を伝えたイスカンダルを攻撃しないのはなぜか、なぜ最初から放射能除去装置の設計図をくれなかったのか、ガミラスが二つの銀河で戦争を続けながら、移住先が地球しか見つからないなどということがあるのか、そんな疑問は発生しないですんだんでしょうね。

もっとも設定そのまま両者を人間型にし、ドラマも作った場合、スターシャの行動はガミラスへの裏切り、のように誤解されかねないかもしれませんが。
小説ならガミラス人の内面も描写できますが、アニメだと、信仰や忠誠と表現するほうが楽ですから。「造物主かく命じたり」
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Re:ガミラスはスターシャの守護者 (mugi)
2015-05-11 21:59:32
>初めまして、いきるんだ さん。コメントを有難うございました。

 豊田有恒氏が2199の原案を出していたのは知っていましたが、小説版は未読です。その二で「スポンジ頭」さんが、ガミラスがイスカンダルを攻撃しない理由として、「一応ガミラス人はイスカンダル人が作成した戦闘用の生命体で、イスカンダル人を崇拝するよう脳の機能を調整してあるのかと思っていた…」と推測されていましたが、概ね当たっていたようですね。

 軍事帝国主義のガミラスは分かり易いのですが、イスカンダルは旧作でも新作でも理解しにくいですよ。新作ではイスカンダルもかつては銀河を制した覇権帝国だったはずなのに、その後は一転して平和主義を貫くという設定になっている。軍事で栄えた国は軍事で衰えるというのが世界史のパターンなのに…

 イスカンダル人が王族を除いて絶滅してしまった背景も謎です。ある理由でイスカンダルの知性体は絶滅したそうですが、その理由が気になりますね。「この星は悲しすぎる」は、スターシャの台詞ですが、あれだけ高度な文明を持ちながら、あの衰退は分りません。イスカンダル人はガミラス人や地球人と違い、「生きるんだ」という気概を失っていたのやら。
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Re2:ガミラスはスターシャの守護者 (いきるんだ)
2015-05-13 23:10:03
御返事ありがとうございます。

>豊田有恒氏が2199の原案を出していたのは知っていましたが

 リメイクですからそれも入りますが、もともと初代ヤマトの原案が豊田氏です。小説も『豊田有恒原案;石津嵐著作 1974年10月20日第1巻発行』とwikiにあるので、初代ヤマト本放送と同時発売です。
 豊田氏の原案は他のスタッフにたたき台にされ、叩き潰されあんまりアニメ本編には残ってないのですが、イスカンダルという命名は氏のものだったりします。敵の名前はラジュンドラ。これは没になって、氏の別の小説で敵役に再利用されてたり。ほかにもゴジラの敵役として、アンギラス(インドの神話上の人物)を付けたとか云ってますので、日本人の聞きなれない、実在の名称を使うというのは豊田有恒お得意の手法のようです。

>「スポンジ頭」さんが、ガミラスがイスカンダルを攻撃しない理由として、

鋭いですね、スポンジ頭さん。

>ある理由でイスカンダルの知性体は絶滅したそうですが、その理由が気になりますね。

 わざとぼかしたのですが、なぜそうしたかというと割と間が抜けているから。
 自分が安楽に暮らしたいがためにスターシャを作ったイスカンダル人ですが、その護衛として生まれたガミラスが侵略=予防戦争を始めたのに慌て、食い止めようとスターシャの破壊に走るのです。そしたらガミラスに瞬殺されてしまう。実はスターシャには「俺たちの面倒を見ろ」「自分の身は守れ」という二つの至上命令を与えており、この間に軽重がなかったためスターシャはフリーズしてしまうのです。その間にガミラスはイスカンダル人を抹殺、絶滅戦争を進めていくという…
 筋は通るのですが、ドジっ子属性が強すぎるだろ、と思う次第。イスカンダル人に悪気はなかった、というのがせめてもの救いでしょうか

 西崎氏は、救済者と敵の本体が同じ位置にいる、という設定は活かしながら、共存の理由についてはアニメではすっぽかしてしまいました。あえて語らないのは、両者が一種の共犯である、という説明以外を、スタッフの誰も思いつかなかったのかもしれません。しかしイスカンダルとガミラスが表裏一体である、と明示されたら果たしてあそこまで人気作になったか、というのがあります。スターシャにも墓場まで持っていく真実、というのがあったということで。


ただ、西崎氏の最初に出した企画書では(ネットで読めるのですが、仮にこれが本物として)、全く無関係な、ガミラスへの抵抗勢力だったように見えます。地球に救援のため放射能除去装置を届けに来た使者たちがガミラスに迎撃され、最後の一人が地球にたどり着いて、本星に救助を求めろと伝言し息絶える、はずだったようです。
ガミラス星(当時はラジュンドラですが)の位置も不明なんですよねぇ。ヤマト帰還時に立ちふさがり、放射能除去装置を動かした雪に皆殺しにされてしまうのですが。たまたま遭遇してしまうのか、ワープアウトしてくるのか。どっちにせよこの部分は没になるのでどうでもいいですけど。
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Re:Re2 (mugi)
2015-05-14 21:15:10
>いきるんだ さん、

 旧ヤマトの原案も豊田氏でしたか。氏のSF小説は未読なので印象は薄いのです。ヤマトは著作権を巡って、裁判沙汰になりましたよね。あれで松本零士に失望させられたヤマトファンも少なくないはず。
 それにしても、豊田氏の原案で当初の敵の名がラジュンドラとは初めて知りました。これまたインド関連名だし、イスカンダル(アレクサンドロスの中東式名称)もインド遠征している。確かにインド神話はSF小説のネタに格好かもしれません。

 イスカンダルの知性体が絶滅した理由というのは面白いですね。高度な文明というのは、人間が安楽に暮らしたいがため文明を発展させたものに他ならず、皮肉にも自分たちが築き上げた文明によって衰退していく…という結果になるのです。
 SFではロボットやコンピュータの反乱というテーマは珍しくないし、安楽に暮らしたいがため作り上げた文明の利器に、人間が攻撃或いは滅ぼされるといったパターン。ドジっ子属性はイスカンダル人に限らないでしょう。
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テンプレ (motton)
2015-05-14 23:04:03
主人公を助ける種族が、昔は高度な文明を誇った強大な種族であり、その後平和的になって衰退しているというイスカンダルの設定は、SF のテンプレです。

イスカンダルよりもう少し神に近い存在のことが多いですが。『ローダン』の“それ”や『レンズマン』のアリシア人(メンター)など。

主人公を最後に勝たせるための一種のデウス・エクス・マキナであり、
* 主人公より強い敵よりも上位でなくてはいけない → 昔は高度な文明を誇り強大。
* しかし、主人公の味方でなくてはならない → 現在は平和的。
* だが、主人公になってはいけない → 衰退している。最後まで助けない。
という相反するキャラをお話の都合上で持たされた存在です。(なので、ヒロインが美女なのと同じで、あまり設定上の整合性にこだわっても仕方が無いのです。)

PS.
インド神話をネタにした SF というと、ロジャー・ゼラズニイの『光の王』が有名ですね。
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Re:テンプレ (mugi)
2015-05-15 22:29:38
>motton さん、

 何時もながら、鋭い詩的を有難うございます!仰る通り、イスカンダル人のように昔は高度な文明を誇った強大な種族が今は衰退しており、主人公を助けるというのはSFのテンプレでした。

 ローダンを例に挙げると、主人公が接触したアルコン人がそうだったし、女船長トーラは王族の血を引く美女という設定でした。はじめはローダンら地球人を未開種族と見下していましたが、後に見方を改めローダンの妻になりました。
 私的にはアルコン人を堕落させたバーチャルモニターのことが気になります。まるでネットに溺れる現代人を予測したかのようだし、それにあまり影響のない女性が多くの重要部署についている設定も面白い。

 欧米の知識人の中にはインド神話に惹かれる人もいますよ。セム族一神教へのコンプレックスもあるかもしれませんが、中国文明よりもインド・イラン文明に高い評価をしているのも、アーリア系のよしみなのやら。
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