トーキング・マイノリティ

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エンテベ空港の7日間

2022-07-03 21:00:16 | 映画

エンテベ空港の7日間』(英米2018)のDVDを見た。タイトル通り1976年に起きたエンテベ空港奇襲作戦をテーマとした作品。エンテベ空港奇襲作戦が起きた時私はまだ未成年だったが、ハイジャック事件での見事な人質救出作戦は印象的だった。ただ、ハイジャック犯にはドイツ人テロリストが2名おり、1人は女だったことを本作で初めて知った。
 本作ではドイツ人が所属していたテロ組織名は挙げられていなかったが、wikiには「革命細胞」であることが載っている。'73年に西ドイツ(当時は東西ドイツがあった時代)で結成されたグループで数名足らずだったが、会社員など社会の構成員となったまま破壊活動を行っていた。

 ドイツ人テロリストの女はブリギッテ、男はボーゼ。前者は事件当時29歳、後者は27歳でこれが享年となった。若い方なら何故ドイツ人がパレスチナ解放人民戦線(略称:PFLP)と手を組み、ハイジャックを起こしたことを不可解に思うだろうが、当時はそんな時代だった。日本赤軍も1972年にテルアビブ空港乱射事件を起こしている。
 この時代はパレスチナと共闘する過激派が世界中から集まり、イスラエルは当然彼らをテロリストと呼ぶ。ただ、極左活動が盛んだったのは日本やドイツ、イタリアの印象があり、米英仏の極左活動家など聞いたことがない。やはり敗戦枢軸国の悲哀か。

 当時のイスラエル首相はイツハク・ラビン。ラビンといえばオスロ合意でパレスチナと平和合意、ノーベル平和賞を受賞した人物のイメージが強いが、実は根っからの軍人であり、若い頃はハガナー(ユダヤ人民兵組織)のメンバーだった。
 ラビンと共にノーベル平和賞を受賞したシモン・ペレスは当時国防相。ラビンとは不仲だったそうで、本作にも冷え冷えとした関係に描かれていた。ペレスも「和平を追求する理由について、心の苦痛からではなく、イスラエルに安全をもたらすために必要だからだと公言していた」(wiki)とか。

 ハイジャックされたのがエールフランス航空機だったことを、本作で遅まきながら知った。本作で最も面白かったのがエールフランス機関士とボーゼとの会話。
 ボーゼは自分はナチではない、自分にはナチの責任はない、とフランス人に言い、革命について戯言としか思えない主張をするが、機関士の見る目は冷ややかだった。機関士の言ったことは傑作で、とかく空理空論にふける文系インテリへの痛烈な皮肉だった。
水は平和の元だ。1人の配管業者は10人の革命家に勝る。機関士は物を作る。1人の機関士は50人の革命家に勝る

 ハイジャック犯4人のうち2人はパレスチナ人だったが、ドイツ人過激派を信用してはおらず、利用していたようだ。特にボーゼは彼らからも気弱な男と見られており、お前は人を殺したことがあるのか、等と詰問される。パレスチナ人がボーゼに言ったことは、そのまま赤軍派にも当てはまる。「お前は祖国を憎んでここにいるが、俺は祖国を愛してここにいる」。

 エンテベ空港奇襲作戦はサンダーボルト作戦とも呼ばれた。エンテベ空港奇襲は7月3日から4日にかけて行われている。
 映画の見せ場となるはずのイスラエル国防軍の人質救出シーンは、かなり平凡な出来だったし、そのためか作品への評価も低めとなっている。命がけのイスラエル特殊部隊による空港奇襲作戦よりも、同時進行で登場した前衛ダンスの方がかなり印象的だった。この前衛ダンス団体は映画の冒頭にも登場、舞台に椅子を並べ、ダンサーは帽子をかぶり、全員スーツ姿。踊りながら、ダンサーは衣装を一枚一枚と脱ぎ捨てていく。

 前衛ダンスとエンテベ空港奇襲シーンが交互に映される演出となっているが、むしろ効果的ではなかった。特殊部隊の一員には前衛ダンサーの恋人がいて、やはり恋人は彼氏の職業を快く思っていない。平和にダンスがやれる社会にしたいという特殊部隊員の心がけは見事だが、恋人としては耐え難い思いにもなるだろう。上官はそんな隊員に恋人と別れるか、恋人も軍人になるように言っていた。

 サンダーボルト作戦での人質の犠牲者は3人、特殊部隊側の犠牲者は作戦司令官のヨナタン・ネタニヤフ1人のみだった。名前通り、後にイスラエル首相となるベンヤミン・ネタニヤフの実兄だが、作戦司令官を亡くしても人質救出作戦としては大成功だった。
 一方、ウガンダ軍兵士は40人以上の死者が出たと云われる。ウガンダは主権侵害だと激しく抗議、国連に訴えたものの、当時のウガンダ大統領は“黒いヒトラー”のあだ名を持つアミン。アミン政権はハイジャック行為を積極的に支援していたという背景があり、安全保障理事会は最終的にこの事件に対するいかなる決議をも下すことはなかった。

 
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