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戦艦ポチョムキン

2022-06-02 21:30:18 | 映画

 ソ連時代のサイレント映画『戦艦ポチョムキン』(監督セルゲイ・エイゼンシュテイン)を見た。図書館に淀川長治総監修『世界クラシック名画100選集』のDVDが陳列されていて、折からのロシアのウクライナ侵攻もあり、興味がわいた。ソ連で制作・公開されたのは1925年、「第1次ロシア革命20周年記念」としての作品で、1905年に起きた戦艦ポチョムキンの叛乱がテーマ。

 この作品がソ連のプロパガンダ映画であることは知っていたし、史実とは異なる個所が幾つもある。それでも名画であることは否めず、1925年にソ連でこれほど質の高い映画が制作されていたことに驚いた。映画の冒頭に出てくる字幕は意味深だった。
革命とは戦争である 歴史上で唯一 合法且つ公正で 真に偉大な戦争である この戦争がロシアで宣言され開戦した」(レーニン 1905年)
 映画は五部構成となっており、第一部:水兵とウジ虫、第二部:甲板上のドラマ、第三部:死者は正義を呼ぶ、第四部:オデッサの階段、第五部:艦隊との遭遇という字幕が出る。

 第一部のタイトルだけで想像がつくが、水兵の食事にウジ虫の湧いた腐肉が使われることになり、当然水兵らは激高する。軍医にこれを訴えても、軍医はこれはウジ虫ではなくハエの幼虫だ、塩水で洗えば問題ない、と取り合わない。本当に兵士には、こんな腐肉が出されていたのかは不明だが、やはり食い物の恨みは恐ろしい。叛乱を起こすきっかけとなったのはウジ虫がびっしりついた腐肉だったということ。
 また水兵はハンモックで寝ていたのも意外だった。1905年当時は何処の海軍も同じだったのか?上官がうっぷん晴らしで新兵を叩くのは、現代の軍隊でも続いているはず。

 第二部:甲板上のドラマでは水兵らの叛乱が描かれる。艦にはロシア正教会の神父も乗艦していたが、叛乱時には十字架をかざして「神を恐れよ」と水兵に説教する。宗教問わず聖職者とは総じて体制に奉仕する存在でもあるが、水兵らは聞き耳を持たず逆に張り倒される。但し殺害されたのではなく、叛乱中は気を失ったフリをして目を閉じていた。
 私的には映画の中ではこの神父が最も印象的なキャラだった。長髪に濃いヒゲという風貌でも尊厳ある聖職者には感じられず、何処か道化的なキャラだった。実はこの神父は監督のエイゼンシュテインが演じている。

 作品最大の見せ場は第四部:オデッサの階段。オデッサの街の大階段で丸腰の市民相手に軍隊が無差別発砲、女性や子供も容赦なく射殺するシーンは圧巻。息子の亡骸を抱え発砲を止めるよう訴えた母親が射殺されるシーンも印象的だが、何といっても撃たれた母の手を離れた乳母車が、階段を落ちていく場面は有名。これは後の映画でもオマージュやパロディとして使われている。
 今回DVDを見て、クイーンの曲アンダー・プレッシャーのプロモーションビデオに、乳母車を押していた母親の顔が映っていたことに気付いた。ビデオの冒頭に出てきた女性の顔がそう。

 

 だが、「オデッサの階段での虐殺事件」という史実はなく、これこそが共産主義のプロパガンダだった。但し同年1月には血の日曜日事件が起きており、軍隊は各地で非武装のデモ隊に発砲している。
「発砲による死者の数は不明確である。反政府運動側の報告では、4,000人以上に達したと主張される。一方、より慎重に概算した報告でも死傷者の数は1,000人以上とされる」(wiki)ので、「オデッサの階段での虐殺事件」が受け入れられる背景はあったのだ。

 オデッサ市民を救うため、軍隊を統率するオデッサの市庁舎へ艦砲射撃を行う戦艦ポチョムキン。ここに至っては完全な国家反逆罪であり、黒海艦隊は叛乱鎮圧のためポチョムキンを包囲する。
 しかし、黒海艦隊の多くの艦が叛乱に同調、ポチョムキンと他の艦隊員は同志となり、ポチョムキンには赤旗が掲げられる……という感動的なラストで幕となる。
 実際は叛乱に同調したのは数隻のみで、本作を見ただけでは叛乱は成功したような印象を受けるが鎮圧されている。以下はwikiにある「水兵達のその後」。

1905年の反乱に参加した水兵の大部分は、1917年の2月革命までルーマニア国内に残る事を選択した。反乱の直後にロシアに戻った水兵も居たが、少なくとも56人が反乱罪で投獄され、うち7人が首謀者として処刑されている。その一方で、下士官の中には「水兵の脅迫の下に行動したのみである」と主張して免罪を受けたものも居た。
 ルーマニアには約600人の水兵が残留した。首謀者の一人マチュシェーンコは1907年に恩赦の約束の下に4人の同僚と共にロシアに帰国したが、約束は反故にされ絞首刑に処された。別の首謀者の一人であるJoseph Dymtchenkoは、1908年に31人の元水兵と共にアルゼンチンに脱出し、彼の地に定住した。
 最後まで生存した元水兵はIvan Beshoffで、トルコとロンドン(彼はロンドンでレーニンに会ったと主張していた。)を経由してアイルランドに脱出、ダブリンに定住した。彼はダブリンでフィッシュ・アンド・チップスの販売店を経営し、1987年10月25日に102歳で死去した。

 ルーマニアに残留した水兵は、2月革命後は帰国したのだろうか?帰国しても十月革命ロシア内戦が待っていた。アイルランドに定住できた水兵は幸運だった。
 便利なことに戦艦ポチョムキンは、日本語字幕+活弁字幕付きの動画もアップされている。私が見たDVDと字幕が若干違っているが、映画館で見たら実に見応えがあっただろう。

 

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2 コメント

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Unknown (mobilis-in-mobili)
2022-06-03 18:01:52
戦艦ポチョムキンは大学1回生の夏に映画館で観ました。当時ロシア映画祭というのをやっていて、イヴァン雷帝ほか何本かを観た記憶があります。
モンタージュを多用するエイゼンシュタインの技法に惹かれていました。

この映画で知ったのは『革命はメシから始まる』こと(笑)。

マルクス経済学を学んだ立場から言わせていただくと、現実の共産主義革命は資本主義が高度に発達して『いない』国で発生しました(マルクスは『資本主義が高度に発達すると社会主義を経て共産主義に移行する』と予言しています)。
ソ連や中国で発生した『共産主義』なるものはマルクスの思想を体現していない奇形の未熟児である、と私は思っています。
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mobilis-in-mobili さんへ (mugi)
2022-06-04 22:19:40
 地方ではあまりロシア映画は上映されませんが、佳作も少なくありませんよね。イヴァン雷帝はエイゼンシュタインの代表作なので、いつか観たいものです。

 確かに叛乱はメシから始まっていましたね。ただ、大飢饉となれば叛乱の気力もなくなります。某半島北部ではワザと人民を飢えさせ、体制を維持しているという見方もあります。

 マルクス経済学を学んだことがないので分かりませんが、マルクスの思想を体現した『共産主義』を実現した共産主義国が果たしてあったのでしょうか?マルクスの予言は未だに実現できていません。

 私には共産党に入り反核平和運動をやった挙句、人生を棒に振った伯父がいるため、未だにマルクス主義には強いアレルギーがあります。
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