
仙台市博物館の特別展『戊辰戦争百五十年展』を見てきた。コピーは「最後の藩主 伊達慶邦の決断」「ペリー来航に始まる動乱の歴史を、約230件の資料でたどる」「仙台藩の戦い」等で、特別展をこう紹介している。
―今から150年前、仙台藩は奥羽越列藩同盟を主導して新政府軍と戦い、降伏して明治の世を迎えました。本展覧会では、幕府崩壊の契機となった開国から、鳥羽・伏見の戦いを経て、会津藩救済のため奥羽越の諸藩が結成した列藩同盟とその戦い、更に降伏後の歴史までを、仙台藩および東北の視点から紹介します。
新潟県立歴史博物館・福島県立博物館と共同で企画し、開催する本展覧会は、それぞれの地域に所在する古文書や絵図、旗や武器等が一堂に会する貴重な機会となります。教科書では触れられない150年前の東北の歴史を展示室でご覧下さい。
戊辰戦争における仙台藩の戦いの歴史を、地元でありながら私は殆ど知らなかった。全く情けない話だが、歴史教科書では触れられない上に郷土史でもあまり取り上げない。負け戦ということもあって語り難いにせよ、仙台藩領内で戦場となったのは2ヵ所だけなのだ。駒ヶ嶺の戦いと旗巻峠(はたまきとうげ)の戦いがそうだが、駒ヶ嶺は現代は福島県新地町(しんちまち)にあり、旗巻峠は宮城県南部の丸森町。
ほぼ全域で戦闘が行われた福島県に対し、宮城県は南部の一カ所のみで、仙台中心部は戦禍に合わなかった。旗巻峠の戦いは仙台藩最後の戦場となり、河北新報電子版(今年9月1日付)には現地で追悼の催しが企画されたことが載っている。
戊辰戦争で広く知られるようになったもののひとつに、錦旗(きんき)こと錦の御旗がある。会場には様々な種類の錦旗が展示され、上の画像はそれを映している。錦旗を歌った「宮さん宮さん」は日本初の軍歌とされるが、1度聞いただけで憶え易く親しみ易い歌曲になっている。
奥羽越列藩同盟には新潟の長岡藩も加わっており、河井継之助の書や活動が紹介されていた。河井継之助の名はNHK大河ドラマ花神で初めて知ったが、高橋英樹扮する河井がガトリング砲を撃ちまくるシーンは実に格好良かった。尤もwikiには、その効果は局地的なもので終わったと解説されている。
これまた大河ドラマ化された天璋院の手紙も展示されていた。身分の高い武家の女性らしく流麗な書体だったが、何が書かれているのか、サッパリ判らず、現代語訳がほしかった。
奥州諸藩も一枚岩には程遠く、同盟に加わっても離脱する藩も少なくなかった。2000(平成12)年、秋田県角館町で開かれた「戊辰戦争百三十年in角館」というイベントで、各地の市長による座談会が行われたが、当時の宮城県白石市長・川井貞一は、奥羽越列藩同盟が負けたのは秋田の裏切りのせいであると批判している。
例え秋田が裏切らなくとも、白河口の戦いがいい例で、兵力こそ3倍近くもありながら惨敗しており、川井の批判は的外れも甚だしい。川井は市長退任後の2008年、宮城県下の市町村長経験者による「憲法九条を守る首長の会」を結成、会長に就任し、河北新報は好意的に報じている。
秋田による同盟離脱の結果、秋田戦争が勃発、奥州同士での戦が始まる。大山綱良の命で秋田に来ていた仙台藩使節11名は殺害され、その首は秋田城下に晒される。このことで仙台藩が怒ったのは書くまでもないが、仙台藩にも大いに落ち度はあったのだ。九州在住のブロガーさんによる秋田の“裏切り”への指摘は、実に耳が痛かった。
「秋田の佐竹家は徳川幕府には恨みこそあれ恩など全く感じてませんからね。同じく裏切った津軽家も。仙台藩は感情に任せて世良修蔵を惨殺したのが原因なのに良く言えたなと呆れます。奥羽を馬鹿にしきった世良も殺されて仕方ないんでしょうが、仙台藩はもっとまともな対処があったはずだと思うんですよ。理由はどうあれ暗殺すれば、新政府から討伐を受けるのは当然です」
奥羽列藩同盟が挙って負け続ける中、痛快な仙台藩士がいた。「衝撃隊」というゲリラ部隊を結成、自ら隊長に就任した細谷十太夫である。この隊には博徒や任侠の男たちが多数参戦しており、マフィアによる自警団に近い。
「30余戦全勝の細谷十太夫直英&鴉組って何者!? 奥羽列藩同盟ボロ負けの中で大奮闘!」というブログ記事には詳しく細谷の生涯が描かれている。曾祖父が会津藩士だった作家・早乙女貢も、細谷を主人公とする『からす組』という歴史小説を描いていた。
晩年の細谷は剃髪得座して僧となり、戊辰戦争、日清戦争の戦没者を弔ったという。画像はwikiからの借用だが、どう見ても怪僧に近いし、幕末明治を駆け抜けた人物の気骨が伝わってくる。
地元関連の特別展では久しぶりに見応えがあった。戊辰戦争後、北海道開拓に向かった仙台藩士は少なくなかったが、渡航費用は総て自己負担、補助金はびた一文でなかったそうだ。当時はそれが当たり前であり、まして賊徒には。
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