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トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

ビフォア・ザ・レイン 94/英・仏・マケドニア/ミルチョ・マンチェフスキ監督

2013-10-18 21:10:18 | 映画

 先日、マケドニアが舞台という珍しい映画を観た。マンチェフスキ監督自身もマケドニア人。マケドニアというと日本では、アレクサンドロス大王を出した古代マケドニア王国を連想する人が大半だろうが、これは史劇ではなく民族紛争を扱った現代劇である。ブログ記事「マケドニアにおける民族紛争」を見たのがきっかけで、この作品を観たくなり、行きつけのレンタル店でDVDを借りてきた。映画紹介サイトallcinemaでは、ストーリーをこう紹介している

マケドニアの美しい山岳地帯。まるで歴史に取り残されたかの様に佇む修道院で、沈黙を守る若い僧キリルと少女の物語「言葉」、ロンドンを舞台に写真エージェントで働く女性編集者アンとカメラマンで愛人のアレックスとの愛の模様を描く「」、アレックスを主人公に、名声も仕事も捨てて故郷の村を訪ねた彼がかつて好きだった女性と出会うエピソード「写真」の3話オムニバスで描く人間ドラマ。
 物語の舞台をマケドニアからロンドンへ、さらにもう一度マケドニアへと巧みに移動し、登場人物を交錯させ、微妙に繋がりながら最後に映画全体がねじれた循環構造である事を露呈させてゆく。

「時は死なず、ただ巡ることもなし」が映画のコピー。3話オムニバス作品でもこれらは全て連環しており、第3話のラストは第1話に繋がるという構成になっている。時間の流れでは第2部、第3部、第1部の順のはずだが、あえて順序を無視したストーリー展開にしたのか。
 民族紛争は日本人には理解が難しく、まして舞台は民族構成の複雑なバルカンのマケドニア。アルバニア人とマケドニア人との対立にせよ、私も含めその背景を知らない人が殆どだろう。この点で、『ブルガリア研究室』さんの記事が大いに参考になった。室長さんの意見で興味深いのは、日本の「やくざ映画」との共通点を指摘していること。確かに「殺された「組員」の復讐に自らの命を捨てる覚悟で敵に襲撃をかけるやくざたちに日本人は拍手する」し、記事からその個所を引用したい。

敵民族の懲罰に赴く男たちの顔は、「集団的な義の遂行」という任務に喜々として出かけるという感じがある。最低限、ある範囲を超えて敵方が出しゃばったら、血の制裁を加えておかねば自分の組(民族)の生存圏(権)が脅かされる、というやくざ世界の論理と共通なのである。自分の正義については、何らのためらいもなく、よって、集団の掟を破った自民族の中の裏切り者に対しても容赦はない。例えそれが血を分けた肉親や親戚であっても。集団の利害、論理、「美学」が生まれ育っており、これが最優先される…

 1話「言葉」に登場する少女はアルバニア人で、髪は極端に短く刈られている。紛争時ゆえ敵の性的暴力を防ぐため、このような髪型にしたと思いきや、父親によって刈られたのだ。封建的なアルバニア人社会では家長の命令は絶対であり、活発すぎて父の命に従わなかったため、父は娘を殴りこそしなかったものの罰として髪を切り落とす。女にとって髪を刈られるは殴られるほどのダメージなのだ。そして異教徒の男の元に走った娘は、実の兄に射殺された。このようなケースでは、当然相手の男も始末される。バルカン版「名誉の殺人」である。

 3話「写真」も主人公が身内に殺されるシーンで幕となる。かつてアレックスは同村のアルバニア女性ハンナと恋仲だったが、結局結ばれなかった。ハンナは他のアルバニア人と結婚し子供も儲けていたが、アレックスはついに再会を果たす。だが、彼女の息子はアレックスを敵として憎悪の目を向ける。ハンナの娘が1話に登場した少女で、少女はアレックスの従兄弟を殺す。
 当然これは復讐に値する行為であり、アレックスは一族から血の制裁への参加を求められる。だが、ハンナの頼みもあり民族紛争に嫌気がさしている彼はそれを拒み、少女を逃す。その結果は一族による射殺。しかし、死にゆくアレックスの表情は穏やかだった。

「マケドニアにおける民族紛争」で、民族紛争は次のように述べられている。
民族紛争は、通常は同じ領土に敵対する他民族と同居したくないという排他的な欲望に支えられています。従って、戦いには「解決方法」が見あたらず、永久に続くと諦めるしかないのです。敵対する民族を追い出し、ある領域を「民族浄化」して、「民族浄化によるEthnic pure land」を完成して、更に、しっかりした軍事力を構築して、永遠に敵対民族に奪い返されないようにすることが、どちらの民族側にとっても最終目的となります。

 この作品は行きつけのレンタル店で、恋愛コーナーに置かれていた。確かに民族紛争下での悲恋を描いた作品でもあるが、感傷的なラブロマンスには程遠い。原題も Before The Rain 、雨の前とは何を意味しているのか?
 監督が言わんとすることを室長さんは、「もう少し経てば本当の「流血、戦争の惨事」が始まりますよ、本格的な「雨」はすぐ近くに迫っていますよ、という国際社会への警告のはずである。制作年…1994…から考えても、題名の意味は明らかなはずである」と解釈されている。

 異民族間で相互憎悪感情が蓄積、昂揚するのは本格的な“雨”の前兆であり、その後は大抵血の雨が降る。私が関心を持つインド・中東も同じ現象が幾度も起きている。日本はまだ平和だが、ずっと民族紛争と無縁であり続けるという保証はない。



◆関連記事「相互理解
 「戦争の一種

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18 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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憎悪感情 (室長)
2013-10-19 09:16:59
こんにちは、
 小生はこれから、別荘へ車を走らせようとしていたのですが、この記事を目にして、Before the Rainが、日本でもレンタルDVDで借りられると知り、驚きです。

 この映画の予測は、実際には当たらず、90年代におけるマケドニア系とアルバニア系の間の人種対立は、その後は必ずしも大規模武力闘争には発展せず、何とか平静が保たれているようです。「雨」は土砂降りにならず、小雨程度で収まっている、ということ。

 しかし、この映画は、主体を北アイルランドのカトリック系(Irish)と、プロテスタント系(スコットランド系+イングランド系)に置き換えても、ほぼ同じ構図が描きうるのですが、さすがに北アイルランドでも、90年代の南アイルランドの「ケルティック・タイガー」の経済高度成長頃から、紛争は鎮静化していった。今は、北アイルランド議会が再開され、何とか共存が成立している。

 島国の日本だと、隣村が別民族系という共存状態には危機感、嫌悪感が解消できるのか?と疑問でも、欧州大陸とかアジアで、他民族との共生、共存は、しょっちゅう強いられる現実です。
 日本国でも、やくざですら、何とか隣りあわせでも共存しているように、どこかで平衡点が見つかるのでしょう。

 そもそも、他人への憎悪感情はマイナスエネルギーで不吉です。何とか平和共存へ転換すべく努力するのが賢明なのです。自分自身のマイナスエネルギーは、自分に跳ね返って不幸をもたらすのです。このことが、韓国人、中国人には分らないらしい。憎悪感情の原点は、平等という視点の欠如にあると思う。華夷秩序の観点で、要するに上下関係でしか国と国との関係を見ないのが、儒教圏の間違いです。その証拠に、韓国、中国が居丈高に日本をののしり始めたのは、経済的に彼らが日本を上回ったと、そういう風に感じ始めた、ほんの最近数年間の、異常な現象なのです。自分が弱者だと感じていた期間は、日本からのおこぼれも必要で、対決姿勢を隠してきたのに。

 欧州、バルカン半島では、何とか最近は、流血の惨事は減少している。軍事対決より、金もうけの時代に入った、という認識かも。世界中に、安価で、性能の良い家電製品、衣服、化粧品が流通するようになったのですから、まともで文明的な生活が、バルカン半島の田舎でも徐々に可能となってきた。復讐殺人などという時代錯誤よりは、スマホで生活を刷新する時代です。
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RE:憎悪感情 (mugi)
2013-10-19 21:29:18
>こんばんは、室長さん。

 幸いなことにマケドニアの民族対立は大規模な武力闘争には発展せず、何とか小康状態が続いています。それも国際社会の監視と介入が大なのでは?それが利かない地域だと、アフリカやシリアがいい例ですが、大雨状態が治まらない。塩野七生氏だったか、バルカンが平和だったのは古代ローマとオスマン帝国、チトー時代だけと言った人がいます。大国の支配下なら宗主国が民族紛争の調停を行いますが、コントロールが利かなくなったオスマン帝国末期やチトー死後は書くまでもない。

 対照的に北アイルランド紛争が治まったのは、経済システムが機能したこともあるのではないでしょうか?北アイも欧州の一部だし、バルカンも同じです。やはり欧米人は欧州内での紛争は積極的に介入、収めようとするようですね。
 ヤクザはどの地域に存在していますが、日本の場合は同民族という事情もあり、シマを荒らした敵の組員にはオトシマエを付けさせても、組員全員を抹殺することはないと思います。組織の力関係もあるでしょうけど、イタリアのマフィアも他のファミリーと共存しながら活動しているはず。

 他人への憎悪感情はマイナスエネルギーであり、平和共存へ転換すべく努力するのが賢明というのは反論の余地もない正論です。ただ、残念なことに世の中で賢者は少数だし、人類史は憎悪感情で動いてきたのは否定しようのない事実でもあります。何も中韓だけが憎悪感情をたき付けているのではありません。
 室長さんは中韓が反日活動し始めたのはほんの最近数年間と仰いますが、果たしてそうでしょうか?歴史教科書騒動に見られるように、80年代から既に萌芽はあったはず。日本のメディアが煽ったにせよ、元から華夷秩序のDNAが組み込まれているのだから、反日に至るのは必然でした。どのみち今後は対決姿勢を決して止めないでしょう。

 バルカンでの民族対立が治まったのも、北アイと同じくグローバリズムの恩恵を受けているからだと思います。しかし、そうでない地域は未だに復讐殺人がまかり通っている。経済が上手くいかなくなれば、バルカンはもちろん欧米もギクシャクしてくるかもしれませんね。
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エントリーに無縁の仙台ネタ (のらくろ)
2013-10-20 21:49:44
カー用品屋に付け込まれ(?)て、早くも今日タイヤ交換してしまいました。

9月の終わりに「セールが終わる」と聞かされて契約。「10月20日(すなわち今日)までなら取付工賃無料」と言われたのですが、そのあと「一旦お客様にお引き取りいただきまして、交換当日にお持ち込みください」。つまり店では預かれない、とのこと。苦労して借家の玄関の物入れにタイヤ4本押し込みまして、今日また取り出しに四苦八苦。ようやく持ち込んで交換してきました。いまは取付工賃半額とのことですが、それでも2,100円とのこと。つまり正規には4,200円ということで、1本当たり千円(税抜き)か!?と驚愕。まあ、来春夏タイヤの交換の際は自分でやるつもりですが、それにしてもタイ風通貨から1週間もたたず、またまた週末あたりに台風の影響を受けそう(さすがに直撃はないと思う)な時期に冬タイヤに交換というのは、なんとも違和感たっぷりです。
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RE:エントリーに無縁の仙台ネタ (mugi)
2013-10-21 22:01:37
>のらくろ さん、

 仙台のカー用品屋やガソリンスタンドでタイヤ交換をすれば、取付工賃が平均で1本当たり千円もします。私も昔行きつけのガソリンスタンドで交換を頼んだら、その値段でした。そのため直接車を買った販売店の所にタイヤを持ち込んで、交換することにしています。これだと1本当たり500円で済みますから。

 確かにタイ風通貨シーズンの10月にタイヤ交換では、いささか早い感じはあります。しかし12月になれば、ラッシュで予約も中々取れなくなりますよ。仙台で本格的に雪が降るのは12月上旬~中旬頃で、降ってからカー用品屋に行ってもかなり待たされます。まだ11月なら大丈夫ですが、むしろ昨日タイヤ交換した方がよかったと思います。
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タイ風通貨 (室長)
2013-10-22 08:47:19
こんにちは、
 のらくろさんも、mugiさんも、「台風通過」を表題のように誤変換したまま気が付かないようで、笑えました。

 案外、誤変換は読み返さないと気が付かないものです。タイ国の通貨ならわかるけど、タイ風通貨とは贋金に違いないかも!!
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偏向歴史教育、経済的好転 (室長)
2013-10-22 18:18:57
こんにちは、
 以前セルビアにおける、チトー体制が行った偏向歴史教育が、ユーゴ解体時における流血の惨事となったこと、セルビア人のあまりにも自己中心的、誇大妄想的な歴史観が、結局はミロシェビッチ政権の軍事力行使となって、旧ユーゴの解体経緯をソ連以上の流血で染めてしまったことを書いたとおもうけど(http://79909040.at.webry.info/201110/article_4.html)
、マケドニアにおけるマケ系とアルバニア系の対立は、コソボ紛争とも関係していると思う。
 
 コソボにおけるセルビアの弾圧から逃れて、マケドニアのスコピエの北東にあるKumanovo市には、90年代前半期に、多数のアルバニア系がこっそり越境してきて、居住し、マケ国市民と主張していた。マケ国内のアルバニア系人口が、単に子だくさんということではなく、非合法越境のアルバニア系人口増大、という要因によっても増大して、緊張が高まっていました。Kumanovo市役所は、アルバニア系が牛耳っていて、市民登記をどしどし許可してしまうから、アルバニア系市民が増えるのは当然でした。(マケ西部の幾つかの市もアルバニア系支配下で、同じように、市民登記は簡単に操作されていたはず)。

 結局ムスリムであるアルバニア系は、マケ国西部の雨が相対的に多い、緑豊かな地域では、農民としてどんどん農地を買収し、アルバニア系による民族浄化というか、マケ系市民が無言の圧力に負けて逃げ出し、住めないようになっていったし、コソボと隣接する北部も、徐々に、アルバニア系住民が多数派となって行った。

 スコピエ市内の市場でも、農産物を売っている商売人の多数派はアルバニア人で、小生が出張中に、ある日本人妻の家族と野菜を買っているだけで、マケ系のアジア系家族と見做され、警戒された。川向こうの古い市街のアルバニア人経営の焼肉屋は、おいしい料理屋(焼肉屋)が立ち並ぶので、観光客にも人気だし、マケ系の裕福な人も食べに行くけど、ここでもアルバニア系子供らが、嫌味を言っていく、という感じ。なかなか、異民族共存は難しい。

 トルコ系は少数過ぎて、おとなしいけど、味自慢というか、地方の料理人(淡水魚料理店)とか、スコピエの古い市街におけるブレック屋とかで、生計を立てており、トルコ料理の神髄というか、レストラン業界ではトルコ系が欠かせない存在と見えた。田舎のトルコ系の村では、若い世代が、トルコへの移民として出ていき、残った老人層が不満を募らせていた。トルコ系人口は、いずれ消えると見えた。

 アルバニア系の地方の村では、イスラム寺院でコーランを子供らにアラビア語で教育していたが、金髪、青い目の古来からのアルバニア系の、白人的容貌が美しく、大人たちの間に見られるトルコ的風貌との落差に戸惑いを感じた。栄養がよくなると、元の白人的容貌に戻っていくのかも。ブルでも、最近の女性は、バルカン的ではなく、むしろロシア人のような白人的な美人が増えている。

 まあ、最近は、流血の惨事が減っていることは確かだと思う。アイルランでは経済が好転した。北アイルランドでも、カトリック系の極端な失業は無くなった模様です。これがIRA戦士となる動機を減退させた。
 バルカン半島でも、コソボが独立して、アルバニア系も、何とか自分の国家を、本当に貧しいアルバニア本国以外にも持てた。若干対立軸が減退しているように思う。もっとも、もう20年近く現地に行っていないので、よく分らないのですが。
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五色(ウソ) (のらくろ)
2013-10-22 19:30:52
gooブログのコメ欄はそうなのかもしれないが、直書きすると、訂正がむずかしいような気がする。

タイ風通貨にしたって、最初の数字4桁入力の後誤植を発見して訂正したつもりだったのに、PCを閉じてスマホで見たら「直ってない」。

ただ、PCも今は暫定的にノートで名古屋の頃のデスクトップに比べて扱いにくく、さりとてスマホの入力は今のマシンではもっと大変で手間どるので、結局放置した次第。

あと、こちらのブログ主様は、コメ欄でウケた(であろう)フレーズは、わりとコピペなさるので、ブログ主様は入力誤植はしていないと思われます、ウエの方のコメ主様へ。
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RE:タイ風通貨 (mugi)
2013-10-22 21:49:03
>こんばんは、室長さん。

 ご指摘を有難うございました。しかし、実は誤変換であるのを私は知っていました。「台風通過」が「タイ風通貨」となっているのが面白くて、ワザとこの表現を借りました(笑)。文字遊びがやれるのもネットならでは。

 仰る通り、読み返したつもりでも誤変換はあります。前に私も、「日本が追悼すべき相手は、…中国人、韓国人、…」と書くところを、“追討”になっていたことがありました。「日本が追討すべき相手は、…中国人、韓国人、…」ではインパクトがありますね。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/36ffab4ccddc3750f443c17b3b017869#comment-list
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RE:偏向歴史教育、経済的好転 (mugi)
2013-10-23 21:44:00
>こんばんは、室長さん。

 コソボ紛争はチトー体制の偏向歴史教育が大きいようですね。一昨日の河北新報の国際面に、チトー夫人ヨバンカ・ブロスが心不全のため、ベオグラードの病院で死去したことが載っていました。88歳。チトーの死後は財産を没収され、移住先で貧しい軟禁生活を送っていたとか。

 90年代前半期、既にスコピエ北東のKumanovo市にアルバニア系住民が非合法越境し、そこに居座りマケ市民と僭称したのですか。さらに市役所をアルバニア系が牛耳り、市民登記をどしどし許可してしまったことを初めて知りました。そして土地を買い占め、現地のマケ人に圧力をかけ、追い出してしまう…何やら日本と重なる現象は他人事とは思えず、考えさせられます。
 せっかく裕福なマケ系の人がアルバニア人経営の料理店に行っても、アルバニア系子供らが嫌味を言う有様。こうなるとチトーとは無関係に思えるし、所詮バルカンでも、異民族共存は難しいという実例ですね。

 それにしても、マケドニアにもトルコ系住民がいたのですね。元から数が少ないにせよ、若者の移住が止まらないならば、共同体の存続も難しいでしょう。同じムスリムなのに、アルバニア系とは疎遠のようですね。アルバニア系とトルコ系では風貌も異なっているのですか?トルコ系には白人的容貌が多いというイメージがありますが…

 仰る通り経済が好転すれば、民族紛争のような流血の惨事は減少していきます。しかし、後退したり、破綻すれば再び古くからの対立に火が付くと思います。国際社会が本格的に監視・介入しないと、アフリカやシリアのような泥沼が続くのです。超大国の力の低下というのは、各国の群雄割拠の時代となり、地域はますます不安定化することでしょう。
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世界情勢の風 (室長)
2013-10-24 09:32:12
こんにちは、
 小生がマケドニアに出張していたのは、93年の夏です。5--7月頃ですが、どんどん暑くなっていく頃で大変でした。スコピエの夏の暑さは、ソフィア(高地なので相対的には涼しい)に比べて相当の厳しさです。昼間は40度ほどにもなり、オフィスはエアコンをフル回転させるけど、米国製エアコンのすさまじい騒音で仕事への集中力も出ませんでした。イタリア大使館は、半地下構造の部屋があり、元の金持ち邸宅らしく、半地下は涼しくて快適でした。さすがに、イタリアはスコピエのことをよく知っていて、快適な大使館を確保していた。

 トルコ系の村へも、日帰り出張で実情調査。小生のブル語で完全にトルコ系の長老から話を聞けました。しかし、彼らの場合、公の場(村の中のカフェ)では、「すべて問題なし」との公式発言で、しかし長老自宅に行くと、水質問題、若者のトルコ移住傾向、マケ政府の施策への不満などがドバーと出てきました。小生の言葉が、完全なブル語で、長老はきちんとマケ語でしゃべり、一切コミュニケーションの障害は無かった。マケ人たちが、小生のブル語を一部分らないふりをするのとは全く違い、二つの言語が完全に互換的なことが分りました。小生は、トルコ語が一切できないので。

 アルバニア系は、マケ系市民を一切信用しておらず、対立の根は、ブルにおけるブル系とトルコ系以上に感じられましたが、根本的には同じことで、ブル国内でも、ブル系のトルコ系への嫌悪感、対立感情は根強い。
 もちろん、マケ国内でトルコ系は今や少数もいいとこ、ロマ系の方がずっと人数が多く問題でしょう。ヴラフ系は、しっかりマケ系と仲良くやっていて、問題は無さそうでした。
 
 そういえば、小生の古くからの友人の一人は、マケ共産党幹部の一人で、ユーゴ大使館員として、ソフィアにいるとき、小生とか、米大使館員とも交流していた人物で、この出張時に彼ともあったけど、実はトルコ系で、オスマン時代のような「帝国体制」では、民族問題はなかったと小生がコメントしたら、「そうだ、バルカン半島では、オスマン帝政時代が一番うまくいっていた」との感想を述べていました。

 同人の場合、ユーゴ共産党員として、ユーゴの共産党体制の中では、それなりの地位を占めていて、小生が出張したころも、未だに「共産党幹部用レストラン」は生き残っていて、小生にも、ここで食事できるように「支配人に言っておいた」とご紹介に預かりました。とはいえ、この特権クラブでも、タダで食べられるわけでもない(料金支払いは必要)し、周囲が元共産党員では、小生も食べる気がしないので、行かなかった。後で考えると、利用してみて、色々観察した方が面白かったかも。

 ともかく、この特権クラブのレストランをはじめとして、旧ユーゴでは、幹部層には、地方の工場内にも「幹部レストラン」が存在し、旧ユーゴ崩壊後の93年でも機能していました。地方のワイン工場を視察した時に、幹部食堂で、結構上等な肉料理が出てきて、びっくりしました。赤字でつぶれそうな企業でも、幹部食堂では従来通りの豪華な昼食ができる、この食堂に給与が何か月も滞納されている従業員が文句を付けない!?

 こういった旧ユーゴの共産党系幹部層の優待制度は、もちろんソ連圏もそういう風潮は同じにしても、ブルガリアではここまでしっかりした、特権的レストランは無かったと思う。しかも、体制崩壊後も、やはり存続していたことも不思議です。

 なお、マケドニアでも、ブルのDPS(トルコ系政党)と同じように、アルバニア系の政党が、しょっちゅう政権の連立与党として参加して、与党としての利益をむさぼっています。民主制が、議会での多数派構成に政権基盤を置く以上は、悪魔とさえも提携せざるを得ません。

 ちなみに、コソボ紛争の勃発、マケ国内における一時の小規模内戦は、アルバニアという独裁・共産政権が崩壊して、機関銃、その他の小火器、武器が安価に、しかも大量に、コソボ、及びマケ国内西部(アルバニア人居住地域)に流れ込んだのも、一つの要因です。武器があれば、決起したくなる。
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