トーキング・マイノリティ

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ユダの母親

2008-08-03 20:24:08 | 読書/小説
 塩野七生氏の短編小説に『ユダの母親』という作品がある。題名どおり裏切者の代名詞となったイスカリオテのユダの母親を描いた面白い物語だった。ユダがイエスに弟子入りし師を裏切るのも、支配欲の異様に強い母親が原因だったというのがこの小説の解釈。つまり、喧しく過保護な母に去勢された若者だったということ。

 小説の語り部は子供の頃のユダに読み書きを教えていたユダヤ教の祭司。この祭司にとってユダは印象の薄い子供だったが、母親は違った。彼女は文盲が殆どの母親と異なり教育のある女で、自分の子供は絶対に他の子供たちより優れていると思い込んでいた。そのため少しでもユダの成績が下がるや、教師である祭司の元に教え方がよくないと文句を付けに来る。ユダの父は平凡で真面目な役人だったが、この母親は息子には父より出世してもらわねばならない、私の子供だから出来ないはずはない、と祭司に言うほど。息子の卒業後も、夫は相手にしてくれないので、度々祭司の所に息子のことで相談に来ていた。

 生まれた時から注意を払い、学校や教師も厳選した所で教育を受けさせ、良家の子息としかつき合せないように育てたはずの大事な息子ユダ。その息子が仕事や家庭も捨て、こともあろうに大工の息子イエスが率いる新興宗教集団に入信したのだから、母親の衝撃ははかり知れなかった。母は祭司に嘆いて訴える。「それまでは素直で私の言うことなら何でも聴き入れていたユダが、あの日からは、人が変わったように頑固になってしまったんです」。

 ユダの母はイエスとその弟子たちを「下層の連中」「ヒッピーまがい」と誹っていたくせに、息子がその中でもナンバーワンに選ばれなかったので、またも祭司に愚痴る。
-私は教育もある進歩的な母親ですから、息子にローマ人社会に接触して出世しなければならないとも、ユダヤ教の祭司になって権力を持たねばならないとも、言ったことはないのです。ただ、どんな社会でもいいけれど、そこでの落ちこぼれにだけはなってくれるなと、教えたつもりです。イエスとその一派に入ってしまった今となっては、ただいけない、脱退しろと推めたって、もうしようがありませんものね。だから、その後でもあの子と会うたびに、大工や漁師上がりに先を越されることだけは、ママは嫌よ、と言ったのですわ。

 お坊ちゃま育ちのユダは下層出が多いイエス一派の中で馴染めず、良いことを言ったつもりなのに逆に師にたしなめられたりする。ついにイエスを売ることになるが、まさか死刑になるとは予想外だった。絶望した彼は自ら縊死する。祭司はユダの死を振り返り語った。
-初めは母親に、ついではイエスという男に常に精神的な支配を受け、それから抜け出そうとするや、何時もヘマな結果にしかならなかった、イスカリオテのユダという、まだ30にもならないのに死を選ぶしかなかった男が、ひどく哀れな存在に思えたものです。

 ユダの死後、母親は大変な有名人になる。彼の裏切り行為のためではなく、彼女が本を出したからだ。題名は『手に負えぬ息子を抱えて』、宣伝文句には「泣きたくなる母の心情の、赤裸々な全告白!」。実際に手に負えぬ息子に悩む母ばかりか、不安に脅えている母も少なくないので、この類の本は売れた。ユダの母の本はその年のユダヤのベストセラーとなり、彼女は講演などに引っ張りだこ、家庭も顧みないほどの状態となる。ついに夫からの申し出により離婚するも、その条件に今後も「イスカリオテのユダの母親」というペンネームを使い続ける権利を承諾させた。
 ユダの母親は過密なスケジュールの講演を生き生きとこなしていたようで、小説は祭司の言葉で締め括られている。「しかし、女は恐ろしいですなあ。我が息子の不幸さえ売り物にしてしまうんですからね」。

 過保護、過干渉のため押し潰されてしまう子供なら、特に少子化の現代は珍しくもないだろう。放任も悪いが、子供の自立の芽をつむ過保護の方がむしろ害がより酷いのかもしれない。ブラックユーモアの感のあるこの小説の著者は、ひとり息子がいる女性である。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
欧米言語に翻訳して出版 (のらくろ)
2008-08-03 23:17:57
できれば大したものだが、「害を為す無能な」害無省、いや外務省が絶対横やりを入れてくるだろうなー。
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謝罪と補償? (mugi)
2008-08-04 21:34:44
>のらくろさん

害無省ばかりか、カトリック、プロテスタント問わず国内キリスト教団体もイチャモンをつけてくると思いますよ。
これはキリスト教に対する偏見だ、謝罪と補償を要求するニダとか何とか。
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