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ハレム―女官と宦官たちの世界 その四

2022-10-17 21:30:17 | 読書/中東史

その一その二その三の続き
 第七章「ハレムと文化」では、ハレムが文化の担い手だった実態が描かれている。特にハレムでは音楽と芸能が重んじられていたという。イスラムでは原則として、歌舞音曲は好ましからざるものということになっているが、実際にはムスリム諸王朝の君主や高官らは歌舞音曲を楽しんでいた。
 当然オスマン帝国の宮廷においても、音楽や芸能は一般的だった。小姓の中でも才能を持つ者が芸を磨き、ハレムの女性たちも同様に技芸の担い手となったのだ。ハレムで演じられた芸能で、先ず挙げられるのは楽曲で、様々な楽器が奏でられ、歌詞も唄われた。

 ハレムの女官が技芸を学ぶ際、師匠が宮廷に赴いて女官らに直に教えるか、または女官が宮廷を一時的に出て師匠のもとで直接学ぶというふたつの方法があった。女官はベールをまとっていたかもしれないが、男子禁制で知られるハレムで、男性の師匠に接して技芸を学んでいたことを意外に思った読者も少なくなかっただろう。
 音楽以外に、人形師、影絵師、軽業師もハレムで活躍したことが分かっている。人形や影絵も原則論からすれば偶像崇拝になるのでは?とツッコミたくなるが、オスマン帝国君主には大酒のみも珍しくなかった。

 ただ、第七章二部「読書と文芸」を読む限り、文芸は歌舞音曲ほど盛んではなかったようだ。ハレムの全ての女官たちが字を読めた訳ではなかったらしく、18世紀のハレムに関する台帳で、識字能力を身に付けている女官は「字の読める女性」と記されている。こうした女性は教養のある女官と見なされたようだが、同時代の日本の大奥の女中で、字の読めない女性など考えられないはず。ハレムの女官たちで書物を遺した者は多くなかった。
 詩作を行う女性もいたが、韻律の間違いなどが散見され、専門家からの評価は高くない。尤も帝国末期を生きた女性の幾人かは、ハレムの暮らしを回想録に遺しており、史料的価値のみならず、文学作品としても味わい深いものになっているそうだ。

 第八章「変わりゆくハレム」には、近代に入り変わりゆくハレムと、その終焉が記されている。この章の扉には、「アブデュルハミト二世のハレムが閉鎖されたのち、帝国内に行き場がなくなり、ヨーロッパへ興行に赴いた黒人宦官と女官」というモノクロ写真が載っていた。女官たちは顔を晒しているが、黒人宦官共々憂愁に満ちた表情をしているのは痛ましかった。
 19世紀以降、ハレムも開放的な世界となり、王族や女官も変わっていく。20世紀にはいるとハレムの“民主化”が進むと、これまでいた女官たちの中には宮殿を追われる者も出てくる。困窮し、下賜された物品を売りに出す者もいたという。

 止めはトルコ共和国成立だった。1924年、最後のカリフが去ったドルマバフチェ宮殿は、三カ月の間トルコ政府により封印され、立ち入りが禁じられる。ハレムの女官たちは、立ち入り禁止が解かれたのち、ようやく私物を受け取ることが許されたが、中には失われたものもあった。
 女官の住まいであるドルマバフチェ宮殿の新館には、身寄りのない女性たちが残っていた。しかし彼女らも、宮殿を退去するよう命じられた。宮殿の清掃員として雇われた女官もいたが、むしろ彼女は幸運だった。
 最後に残った女官のひとりは、ナズル・メレク・ハヌムという老女だった。アブデュルメジト1世の時代より、60年以上もハレムで働いていた彼女は、書記筆頭まで務めていたという。行く当てのないこの老女は、宮殿にそのまま残ることを望んだようだが、その後の消息は不明とか。

 黒人宦官については、青年トルコ革命が起こると、アブデュルハミト2世の専制に加担したとして宦官たちは厳しい非難を受け、処刑された者もいた。19世紀末、黒人奴隷貿易の廃止に伴い、宦官供給も限定的になっていて、遅かれ早かれ彼らは消えゆく存在だった。トルコ共和国成立以降、彼らは身を寄せ合って暮らし、彼らのうち文才のある者は教師を務めた。

 終章「ハレムの歴史的意義」で、ハレムの本質を著者はこう指摘する。
ハレムの歴史が教えるのは、ハレムは徹頭徹尾、王位継承者を確保するという目的に最適化された組織だった、ということである。いわば、ハレムは官僚組織であり、ハレムに住まう人々は官僚だったのだ。」(274頁)
ハレムはまぎれもない官僚組織であったが、王位継承者の生育という目的に奉仕する、特異な性格を持つ官僚組織だったといえよう。」(275頁)

 あとがきによれば、著者は2歳になる息子を抱っこ紐で寝かしつけながら文献を読み進み、原稿を執筆したという。現代の研究者らしく、イクメンなのは微笑ましい。NHKの読むらじるHPには、小笠原弘幸氏への詳細なインタビュー記事が載っている。

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