ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【時の缶詰】難波先生より

2015-04-06 18:23:39 | 難波紘二先生
【時の缶詰】
 むかし、「週刊文春」に「読むクスリ」という連載のエッセイがあった。上前淳一郎という人が筆者で、経歴は知らないが「話のタネ」になる面白い話題が満載されていて、この雑誌を買った時は必ず読んでいた。
 Amazonからの広告メールで、この随筆が文庫になって出ているのを知った。『読むクスリ25』(文春文庫, 1999/6)とあるので、少なくとも25冊以上出ているのだろう。大変な数だ。
 とりあえず、これと『読むクスリ』第1巻(文春文庫、1987/7)を取り寄せて読んでみた。1983年連載分が、1984/3に単行本として出され、87年に文庫化されたものだ。

 このコラムは、忙しいサラリーマンに話題を提供し、新知識を教育する側面があった。だから「読むクスリ」なのだとずうっと思っていた。著者の「あとがきに代えて」という文章を読むと、タイトルは「読む、クスリ…」とかけことばになっているのだそうだ。
 「豆と芋」は四国の造船王、来島どっく社長の坪内寿夫が、自分が経営する奥道後の温泉旅館に泊まりに来た、経団連会長稲山嘉寛を「豆づくし」で、日商会頭の永野重雄を「芋づくし」で歓待して、大変喜ばれたという話。思わず「クスリ」と笑ってしまった。「オモテナシ」には相手の好物を知るという情報活動が重要なことを教えてくれる一文だった。

 大韓航空の「ナッツ・リターン」事件が大きく報じられ、韓国では裁判が進行中だが、日航国際線のスチュワデス(今は「フライトアテンダント」又は客室乗務員と呼ぶ)が、客から贈り物を受け取るのを禁じた「就業規則」を話題にした「規則違反」。
 ロスから成田までのフライトで、機内で大騒ぎして走り周り、母親も手を焼いている少年ジミーを、あるスチュワデスがうまく手なずけておとなしくさせたら、成田に近づいた時、喜んだ母親がウン万円もする高級香水一ビンをプレゼントしようとし、押し問答になり、多数の乗客の注目を浴びてしまった。それをうまく切り抜ける話は、クスリとする。
 他方、成田からアンカレッジ経由で、初のヨーロッパ旅行にパックで出かけた中年婦人が「20万円入りの財布がなくなった」と機内で大騒ぎする話も書いてある。いい話でオチには思わずホロリとした。
 これも「あとがき」で、著者が筑紫哲也からもらった話だと書いているが、山口百恵の大ベストセラー自伝『蒼い時』が出版されるまでの秘話が実によい。これは自分が担当した本が売れないで困っている編集者が「読むクスリ」であろう。
 こういう有名人の実話秘話を集めた随筆に、薄田泣菫『茶話・全3冊』(冨山房百科文庫, 1984)があるが、『読むクスリ』もそうした名随筆として後世に残るであろう。

 冒頭には(初出が書いてないが、たぶんこれが連載第1回であろう)NECがマイコン(いまはパソコンという用語が主流)用のチップを開発する話が書いてある。PC8000の前にTK80という組み立て式のマイコンがあり、8万8500円で売り出したら、7万台も売れたという。1977年のことである。

 私もこの頃、PCの将来性を理解し、NECのキーボードの中にPC本体が入っていて、情報の貯蔵はテープレコーダー、画像出力はブラウン管で行う、原始的なパソコンセットを大枚18万円くらいで買った記憶がある。この機種はBASICがプログラム言語だったから、PC8000だったと、この随筆を読むとわかる。当時のチップは初め1個が2万8000円したそうだ。
 プリンターがなく、日本語辞書もないから、ワープロとしては使えず、ゲームに毛の生えたような使い方しかできなかった。

 PC8000は25万台売れ、NECは日本におけるマイコン市場で独占的なシェアを確保した。が、ビジネスユースを重視したMSのMS-DOSシステムを導入したのが、間違いの始まりでいまはパソコン市場では見る影もない。

 こういう風に、この本を拾い読みすると、まさに「時のかんづめ」で、30年前のことが眼前に髣髴としてくるから面白い。サントリーがバイオテクノロジーの分野に乗り出し、「バイイング・タイム(時間を買う)」と称して、海外頭脳流出組を一挙に20人スカウトして戻るという話も出てくる。あの頃、宝酒造とか岡山の林原などが、こぞって海外の日本人研究者をスカウトしたものだ。
 それにしてもよくこんなエピソードを集められたものだ。オリンパスの胃カメラ開発の話は、吉村昭『光る壁』として書かれたように、一話一話がノンフィクション一冊に仕立て挙げられるだけの内容がある。それを惜しげもなく披露して…と思う。

 で、この本を読んでいて、「あ、そうかこれが出典だったのか!」と35年以上前のことを思いだした。30代の後半、私は呉の総合病院で病理医として働いていた。内科にTという医学部で一級後輩の医師がいた。神経内科医を目指していたが、この病院には精神科がなく、内科は腎臓、肝臓、消化管と呼吸器(結核)が主体で、神経内科の指導者はいなかった。
 彼はいわば独学で神経内科にチャレンジしていた。診療にも研究にも熱心で、朝早くから深夜まで仕事をしていた。彼が主治医だった病理解剖の神経疾患では、神経の細かいところまで病理検索を求められるので、時には対応にうんざりしたこともある。
 偏執狂的で、自説に固執するところがあり、医局の宴会では、彼自身酒癖が悪くて人にからむ性質があったせいもあるが、よく他の内科医たちが手拍子で合唱するからかいの歌でいびられていた。

 で、これは当時、院長から聞いた話だが、Tさんは、朝子どもが寝ているうちに家を出て病院に向かい、夜子どもが寝てしまってから家に戻るので、子どもと話をしたことがない。
 ある日曜日か何かで終日子どもの相手をして、夜は当直で病院に出かけることになっていたので、玄関から出ようとすると、子どもが「おじちゃん、また来てね」と言ったという。
 「ほんまかいな…」とも思ったが、彼の人柄、性格からすると「あり得る」話だとは思われた。本人に確かめる機会もないまま、その後、当人は郷里和歌山の田辺に戻り、開業医になった。「脳神経内科」の看板を掲げて頑張っているようだが、同窓会名簿は空欄になっている。

 ところが『読むクスリ』に、故筑紫哲也が書いている「解説」に、これとまったく同じエピソードが載っていた。
 「全くの作り話だと思っていたらそれが実話だったというのに私自身が出会ったことがある」という枕を振って、「政治部記者」のことを書いている。
 政治部記者は「夜討ち朝駆け」といって、政治家要人を深夜、早朝に訪れるのが仕事であり、自宅での「滞空時間」が極端に短い。ある時、珍しく家族といっしょの時間を持った記者が、やがて出かける時間が来て家を出ようとしたら娘が父親に声をかけた。
 「おじさん、また来てね」
 この話をテレビでしゃべったところ、その女の子について、「あれは私です」と名乗り出た女性記者が、社内にいたという話である。
 「勤務医」が「政治部記者」になっているだけで、話は院長の話と同じである。

 その院長は、週刊誌から「新潮45」、さらには「日経メディカル」まで読んでいて、大変な読書家だったから、話のネタは1984(昭和59)年に出た、この単行本だと分かった。
 Tさんが病院をやめて郷里に帰り開業したのが1991年である。私は93年に田辺市医師会で講演をしているが、彼は聴衆にいなかったし私もわざわざ彼を訪ねる気にもならなかった。
 永年の謎が氷解しただけでも、この本を手にしてよかったと思う。
 「時のかん詰め」みたいな本をひもとくのも、また一興である。

 ちなみに上前淳一郎は、1934年生まれ、東京外語大英文科卒で、朝日新聞入社が本田勝一と同期で、青森支局、東京本社校閲部を経て社会部記者になり、1966年に退社してフリーとなった人だそうだ。少し先輩の筑紫哲也とは親交があったようだ。
 読売には社会部から本田靖春という異色の人材が出たが、朝日にも文化部から百目鬼恭三郎、社会部から上前淳一郎と面白い人物が出ている。
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5 コメント

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Unknown (花子)
2015-04-07 19:06:26
『豆と芋』もてなす相手の嗜好に配慮することは良い教えですが、知識人とか言われる人達は深読みしないんですね。喜ぶふりをしてるかもしれないじゃないですか?造船王という肩書きの人がしたこと、もてなされた側がまた何かしらの肩書きだから美談も更に美しく聞こえますがね、一般人が真似をするときは謙虚にわきまえてほしいですね。クスリと笑えるなんて大半の社長連中のあつかましさを知識人は知らなくて幸せですね。

と他人の幸せに水を差してみる。
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Unknown (Unknown)
2015-04-08 01:08:14
>NECは日本におけるマイコン市場で独占的なシェアを確保した。が、ビジネスユースを重視したMSのMS-DOSシステムを導入したのが、間違いの始まりでいまはパソコン市場では見る影もない。

最新のシェアランキングを確認されましたか?
「いまはパソコン市場では見る影もない。」どころか、国内シェアでは未だにトップのはずですよ。
MS-DOSは当時としては最新のOSであり、DOS上で動くN88-BASICは画期的だったと思います。その後のWindows3.1から95への切り替えで少しもたついたものの、DOS導入は間違いではなかったと思います。
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Unknown (Mr.S)
2015-04-08 01:45:57
「豆づくし」に「芋づくし」か・・・・

えんどう豆、金時豆、納豆、豆ごはん・・・・・
豆ごはんが良いな。

いし焼き芋、里芋とイカの煮つけ、ジャガイモの煮っ転がし、大学芋、とろろそば、山芋・・・・・

良いねぇ。全部好きだね。
肉じゃがだけは好きになれない。おふくろの味だとか、若者の好物だとしてマスコミが囃し立てるから。
そもそも芋類に獣肉は合わんのよ。生臭くなるのでね。
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Unknown (花子)
2015-04-08 10:48:26
Mr.S様、肉じゃがが獣肉臭くなるのは下処理が足りないのでは?
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Unknown (Mr.S)
2015-04-08 17:59:25
花子様

おいしい肉じゃがの作り方、できればお教えください。
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