【読書日記から19】
1) 羽入辰郎:『学問とは何か:<マックス・ウェーバーの犯罪>その後』(ミネルヴァ書房、2008/6)=この本の刊行は、『マックス・ヴェバーの哀しみ』(PHP新書、2007/11)で予告されている。
これも読むのが楽しみだが、600ページ近くの大著である。やっと届いたので目を通したが、要するに羽入辰郎『マックス・ウェーバーの犯罪』(ミネルヴァ書房,2002/9)を刊行した後、元東大教養学部教授の折原浩(東大名誉教授)が、著書を4冊も出して「羽入批判」を展開した。それに対する徹底的な反論の書である。寡聞にして「折原=羽入論争」なるものがあるのを知らなかった。
羽入辰郎『マックス・ウェーバーの犯罪』は出て間もなく読んだが、M.ウェーバーの「論文捏造」を、証拠をもとに論じていて「なるほど」と思った記憶がある。羽入にこれほど木っ端微塵に反論されると、折原ももう反論できないだろうと思う。
2)クセノポン:『小品集』(京大学術出版会、2000/6)=
3月のロータリーでの講演は「病理医から見たアベノミクス」というタイトルだった。
そこでエコノミクスという言葉は、クセノフォンの著書『オエコノミクス(Oeconomicus)』から来ており、日本語では「家政術」とか「家政論」と呼ばれていること、これが「経済学(Economics)」の語源であることを話し、ついで「経済の成長には、外からのエネルギー注入が必要であること」を熱力学第2法則(エントロピー増大の法則)により説明する予定だったが、STAP細胞事件に時間をとられて、話しが半ばで終わったことは、前回に書いた。
トマ・ピケティの『21世紀の資本論』がブームになっていて、「文藝春秋」、「中央論」、「政論」とも4月号「特集」で取りあげているが、今のところ熱力学第2法則と経済成長の関連を取りあげた論者が見つからない。
(しかし、世界的レベルでみると、
① W.E.リグリー『エネルギーと産業革命:連続性、偶然、変化』(同文館、1991/1)
② N.ジョージェスク=レーゲン『エントロピー法則と経済過程』(みすず書房、1993/2)
のように、ごく少数だがそういう視点に立つ研究者もいる。)
クセノフォン(Xenophon)の「オェコノミクス」は、調べた限り、驚いたことに日本語訳がまだないようだ。おおかた、文学部哲学科の学者たちは「家政術」という題名のため「哲学とは関係ない」と思って訳していないのではないか…
そういうわけで、この本はHarvard UPが出しているLoeb Classical Library 168: Xenohon “Memorabilia, Oeconomicus, Symposium, Apology」にある「ギリシア語:英語対訳本」で読むしかない。
これはまだクセノフォンが、プラトンと同様に、「会話体」という叙述スタイルから完全に脱却できていない時代の作品で、主人公のソクラテスが、イコマコスという人から聞いた「家政、荘園の管理と経営」に関する話を、アリストブロスに語るという形式になっている。
調べていたら、2000/6に京大出版会からでた『小品集』というクセノフォンの訳書中に、「ラケダイモン人の国制」、「アテナイ人の国制」という政治学に関する2つの小論文と並んで、「政府の財源」という経済・財政学についての論文があるのを、見つけた。松本仁助の「訳者解説」によると、BC355年のことが書かれており、クセノフォンの最後の著作であろう、という。
読んでみると、すでに「会話体」を脱しており、アリストテレスに見られる「平叙文」のスタイルを採用している。クセノフォン(C.431〜352BC)とアリストテレス(384〜322BC)は、生きていた時代が一部重なっている。
それはともかく、内容的にはこの「政府の財源」という小論が、国家経済の健全なあり方や国民の幸福を論じていて、「世界最初の経済学書」というにふさわしいと感じた。読み方によっては松下幸之助の「無税国家論」の先駆けとさえいえるだろう。
かつて若い頃、ペルシア帝国の内陸部から1万人のギリシア人傭兵部隊の総司令官(臨時に兵士の選挙により選ばれた)として、山越えで黒海までの撤退作戦を指揮した(その貴重な記録が『アナバシス』,岩波文庫)。
クセノフォンは「政府の財源」で、
「もっとも長い期間にわたって、平和でありつづけるような国家が、おそらくもっとも幸福である」
と書いている。印象的である。
「平和時には、莫大な財貨が国庫に納入されるが、戦時にはそのすべてが(戦費として)支出される」とも述べ、平和維持のための「平和監視委員会」の設置すら提案している。
とても2500年前に書かれた小論文とは思えないほど、アクチュアリティがある。
(それにしてもXenophonの日本語が、クセノポン、クセノフォーン、クセノフォンと訳書によって異なるのは、読者迷惑である。出版社は表記を統一してもらいたいものだ。)
3)ポール・ポースト:『戦争の経済学』(バジリコ, 2007/11)=家内が夕食する時、私は晩酌をする。テレビニュースを観ながら、家内が「戦後◯◯年、戦争になるのかねえ…」と言ったので「いやもう戦後ではない、<戦前>だよ」と応じた。
イスラム教・トルコの格言に「遠い(戦いの)太鼓は甘い音楽」というのがあることを曽野綾子『アラブの格言』(新潮新書)で知ったが、どうもこの国、日本にも、「戦争をすれば景気がよくなる」と考える財界人や政治家が増えているようだ。
ポーストの本は、「戦争はペイするものか?」、「戦争は経済に貢献するか?」という問いを徹底的に検証している。
訳者の山形浩生は東大工学部大学院修士卒だが、MITでビジネスを学び、調査会社勤務の傍ら、訳書や著書をてがけている。哲学者ダニエル・デネット『自由は進化する(Freedom Evolves)』(NTT出版)の訳があると知れば、もう語学力には何の不足もない。
『戦争の経済学』の訳は読みやすいし、索引・文献リストもついている。(製本の質はきわめて悪い。)
付録として、山形による「事業・プロジェクトしての戦争」という17ページにわたる論考があり、日清戦争を例として「支出と収益のバランスシート」が示されている。(但し日本軍の戦士・戦病死などによる人的被害の「経済学」は、計算に入っていない。)
かつての「朝鮮戦争」のように、戦場が外国で、日本からは一兵も送らず、ただひたすら軍需物資を生産・輸出するというような「理想の戦争」はもうない。
クセノフォンがいうように、
「もっとも長い期間にわたって、平和でありつづけるような国家が、おそらくもっとも幸福である」。
クラウゼヴィッツが『戦争論』(岩波文庫全3冊, 1968/4)で述べたように、「戦争とは政治(外交)とは異なる手段による政治の継続である。」
だとすると、戦争を回避する政治(外交)の重要性が、今ほど高まっている時はないといえるだろう。「遠い太鼓」を甘い音楽としてしか聴かない、老人たちにこの国を委ねてはいけない。
4)バルザック『役人の生理学』(Physiologie de L’Employe, 1841)を鹿島茂訳の講談社学術文庫で読んでいる。鹿島は訳書「まえがき」で<本書はM.ウェーバーの『官僚制』、『支配の社会学』と並んで、官僚制について考えるための古典となるに違いない>と書いている。
後に『実験医学序説』(岩波文庫)という基礎科学としての医学総論(哲学書)を書いたパリのクロード・ベルナールにより「実験生理学」という新たな分野が開拓され、18世紀前半のフランスでは「生理学(Physiologie)」という新語が、ちょうど今の日本の「ライフサイエンス」のように、耳新しく響き流行した。
作家のバルザックはこれに便乗して『役人の生理学』、『結婚の生理学』を書いた。ブリア=サヴァランのグルメ本『美味礼賛』の原題は「味覚の生理学」だそうだ。要するに1840年代は「—の生理学」と題名をつければ、本がよく売れたそうだ。
で、ウェーバー伝記ではもっとも詳しいとされる、マリアンネ・ウェーバー(ウェーバー未亡人)『マックス・ウェーバー』(みすず書房、1987/9)を取り出してみた。547頁、6,700円の大著なのに、索引の不備と目次の小項目へのページ表示がないのにがっかりした。
年表はあるが、上段に年譜、下段に関連する事件の年表という分割がしてない。
各年におけるウェーバーの年齢が書いてなく、年齢と研究上の関心や著作名との対応がつかない。一番の問題は、全20章の章タイトルの後に、小見出しが印刷されているが、本文では章はローマ数字によりいくつかの節に分かれている。
例えば、第8章「転落」は1893年に29歳でフライブルグ大学経済学正教授に就任したウェーバーが1896年、36歳で伝統あるフライブルグ大学主任教授に招聘された後の、1898年、38歳の時、父親の死をきっかけとして、過労による肉体的疲労のため、不眠症と精神的抑鬱状態に陥り、休職して転地療養や旅行を試みている。精神病院にも何度か入院し、1903年、43歳の時に大学を辞職している。名誉教授の称号を希望したのに、大学は付与しなかった。だが、引き続きハイデルベルグに居住した。
この章は第Ⅵ節まであるが、本文の節冒頭にタイトルがない。目次には12の小項目が載っているが頁番号がなく、どれがどの頁に書いてあるのか見当もつかない。まったくクソ本だ。みすず書房ともあろうものが、こんな本を出すとは…
訳も拙劣だが。訳者の大久保和郎は1975年に死去しているから、2008年第3刷は、初版からちっとも改善されていない。
年表にあるウェーバーの著作目録を全部調べたが、鹿島が書いているような『官僚制』についての著書は見あたらない。「世界の名著」全66巻のNo50として、1975年に中央公論社から「ウェーバー」が出ているが、あいにくその巻が見あたらない。このシリーズの年譜は充実しているのに…、と思う。
社会学の創始者オーギュスト・コントへの言及があるかと人名索引を調べたが、彼の名前はなく、ベルナール、バルザックへの言及も、人体とそれを構成する各種の細胞を国家とさまざまな職業からなる国民との関係になぞらえた、ベルリンの病理学者ルドルフ・ウィルヒョウ『細胞病理学』への言及もない。
妻マリアンネはフライブルグ時代の教え子の女子学生で、社会科学の研究者でもあったが、この伝記を読むかぎり、マックス・ウェーバーはフランス語と英語の本はほとんど読んでいないと思われる。
5)バルザック『ゴリオ爺さん』(新潮文庫、1972)=確かトマ・ピケティの論文の中に、「社会的格差」の例として、この小説において主人公の「ゴリオ爺さん(Le Pere Goriot)」が、ソルボンヌで法律を学び、官僚になろうとしている学生に、「そんなことは止めて、資産家の娘と結婚することを考えろ」と忠告する場面があると知り、本を取りよせた。
ところがどっこい、これはバルザックの連作「人間喜劇」のコアをなしている作品で、そう話が単純でない。500ページもある小説で、(索引がないから)必要な場面を探し当てるのが大変だ。で、これは娘たちを溺愛するあまり、莫大な資産を分与したあげく、パリの下宿屋で落ちぶれて死んで行くゴリオという老人の話で、シェークスピアの「リア王」と大塚家具の父と長女の対立のような話だとわかった。
Le Pereは「父、父親、おやじ」という意味だが、仏和辞典を見ると、用例として「Le Pere Goriot」が載っていて「ゴリオ爺さん」とある。
物語では、前は気前がよくて、「ムシュー・ゴリオ」と下宿の女主が呼んでいたのだが、ゴリオ氏が落魄して下宿料の安い、上の階に引っ越したいと言いだしたとたんに、彼女が「ゴリオ爺さん」と呼び始める、ということになっている。
下宿で死の床にあるゴリオは、こう大学生にいう。
「結婚しなさんなよ、子供なんてもちなさんな! …わしが財産を取っておいて、娘たちにやらないでいたら、あれらはここに来て、接吻しながらわしの頬をなめてくれるだろうに!」
こういう風に「聞いた話」と原本とは違うことがあるから、やはり詮索が必要になる。
6)正岡子規:『歌よみに与ふる書、ほか全10作品』(大創出版)=
先日、スーパーのジュンテンドーに文具を買いに行ったら、目的の100枚入りのクリアーフォルダーがなく、隣にある100円ショップのダイソーの売り場を見ていたら、なんと文庫本を売っていた。漱石「坊ちゃん」も、宮沢賢治「銀河鉄道の夜」、太宰の「人間失格」、芥川の「羅生門」もある。
一冊を手にとって開いてみると、読みやすく、印刷も製本もしっかりしている。手持ちがない、子規の「歌よみに与ふる書」を100円で買って帰った。Made In Japanとあるので、国内で印刷、製本したものだろう。テキストは「青空文庫」からダウンロードしたとあるので、著作権は切れているから、印税を払う必要はないが、それにしても222ページもある文庫本がよく100円で売れるものだ、とひたすら感心する。
『歌よみに与ふる書』は20年以上前にハードカバー本で読んだ記憶があるが、この文庫本は2色刷で、難しい漢字にはルビがふってあり、下側に脚注がついていて、語句説明がされており、はるかに読みやすくよくできている。
標題作だけでなく、「くだもの」、「病牀瑣事」、「死後」というような、随筆も収録されていて子規の好物や死生観がわかり、とても面白かった。
子規というと伊予松山と切っても切れないと、広島あたりでは思われているが、巻末の年譜を見ると、16の歳に上京して東京の中学、高校、大学と進学し、35歳で死ぬまで故郷には帰らなかったことがわかる。
それで「くだもの」を読んで、子規が大の果物好きで、「大きな梨なら六つか七つ、樽柿(たるがき)ならば七つか八つ、蜜柑(みかん)なら十五か二十くらい食うのが常習」と書いているのに驚いた。
中に「御所柿を食いし事」という項目があり、
「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」
という句が出来た時のいきさつが書いてある。
あれは昼間に奈良の茶店で食った柿ではなかった。夜、宿屋の部屋に丼鉢一杯に御所柿を持って来させ、18くらいのきれいな女中が剥いてくれるのを、片端から食べながら、鐘の音を聞き、「あれは何か」と問うたら、娘が戸を開けて、月に照らされた法隆寺を見せる、というものだった。
句だけ読むと、昼間だと思ってしまう。この辺が「俳句」というショートショートの限界だろう。しかしこの本なかなか面白い。お薦めである。
1) 羽入辰郎:『学問とは何か:<マックス・ウェーバーの犯罪>その後』(ミネルヴァ書房、2008/6)=この本の刊行は、『マックス・ヴェバーの哀しみ』(PHP新書、2007/11)で予告されている。
これも読むのが楽しみだが、600ページ近くの大著である。やっと届いたので目を通したが、要するに羽入辰郎『マックス・ウェーバーの犯罪』(ミネルヴァ書房,2002/9)を刊行した後、元東大教養学部教授の折原浩(東大名誉教授)が、著書を4冊も出して「羽入批判」を展開した。それに対する徹底的な反論の書である。寡聞にして「折原=羽入論争」なるものがあるのを知らなかった。
羽入辰郎『マックス・ウェーバーの犯罪』は出て間もなく読んだが、M.ウェーバーの「論文捏造」を、証拠をもとに論じていて「なるほど」と思った記憶がある。羽入にこれほど木っ端微塵に反論されると、折原ももう反論できないだろうと思う。
2)クセノポン:『小品集』(京大学術出版会、2000/6)=
3月のロータリーでの講演は「病理医から見たアベノミクス」というタイトルだった。
そこでエコノミクスという言葉は、クセノフォンの著書『オエコノミクス(Oeconomicus)』から来ており、日本語では「家政術」とか「家政論」と呼ばれていること、これが「経済学(Economics)」の語源であることを話し、ついで「経済の成長には、外からのエネルギー注入が必要であること」を熱力学第2法則(エントロピー増大の法則)により説明する予定だったが、STAP細胞事件に時間をとられて、話しが半ばで終わったことは、前回に書いた。
トマ・ピケティの『21世紀の資本論』がブームになっていて、「文藝春秋」、「中央論」、「政論」とも4月号「特集」で取りあげているが、今のところ熱力学第2法則と経済成長の関連を取りあげた論者が見つからない。
(しかし、世界的レベルでみると、
① W.E.リグリー『エネルギーと産業革命:連続性、偶然、変化』(同文館、1991/1)
② N.ジョージェスク=レーゲン『エントロピー法則と経済過程』(みすず書房、1993/2)
のように、ごく少数だがそういう視点に立つ研究者もいる。)
クセノフォン(Xenophon)の「オェコノミクス」は、調べた限り、驚いたことに日本語訳がまだないようだ。おおかた、文学部哲学科の学者たちは「家政術」という題名のため「哲学とは関係ない」と思って訳していないのではないか…
そういうわけで、この本はHarvard UPが出しているLoeb Classical Library 168: Xenohon “Memorabilia, Oeconomicus, Symposium, Apology」にある「ギリシア語:英語対訳本」で読むしかない。
これはまだクセノフォンが、プラトンと同様に、「会話体」という叙述スタイルから完全に脱却できていない時代の作品で、主人公のソクラテスが、イコマコスという人から聞いた「家政、荘園の管理と経営」に関する話を、アリストブロスに語るという形式になっている。
調べていたら、2000/6に京大出版会からでた『小品集』というクセノフォンの訳書中に、「ラケダイモン人の国制」、「アテナイ人の国制」という政治学に関する2つの小論文と並んで、「政府の財源」という経済・財政学についての論文があるのを、見つけた。松本仁助の「訳者解説」によると、BC355年のことが書かれており、クセノフォンの最後の著作であろう、という。
読んでみると、すでに「会話体」を脱しており、アリストテレスに見られる「平叙文」のスタイルを採用している。クセノフォン(C.431〜352BC)とアリストテレス(384〜322BC)は、生きていた時代が一部重なっている。
それはともかく、内容的にはこの「政府の財源」という小論が、国家経済の健全なあり方や国民の幸福を論じていて、「世界最初の経済学書」というにふさわしいと感じた。読み方によっては松下幸之助の「無税国家論」の先駆けとさえいえるだろう。
かつて若い頃、ペルシア帝国の内陸部から1万人のギリシア人傭兵部隊の総司令官(臨時に兵士の選挙により選ばれた)として、山越えで黒海までの撤退作戦を指揮した(その貴重な記録が『アナバシス』,岩波文庫)。
クセノフォンは「政府の財源」で、
「もっとも長い期間にわたって、平和でありつづけるような国家が、おそらくもっとも幸福である」
と書いている。印象的である。
「平和時には、莫大な財貨が国庫に納入されるが、戦時にはそのすべてが(戦費として)支出される」とも述べ、平和維持のための「平和監視委員会」の設置すら提案している。
とても2500年前に書かれた小論文とは思えないほど、アクチュアリティがある。
(それにしてもXenophonの日本語が、クセノポン、クセノフォーン、クセノフォンと訳書によって異なるのは、読者迷惑である。出版社は表記を統一してもらいたいものだ。)
3)ポール・ポースト:『戦争の経済学』(バジリコ, 2007/11)=家内が夕食する時、私は晩酌をする。テレビニュースを観ながら、家内が「戦後◯◯年、戦争になるのかねえ…」と言ったので「いやもう戦後ではない、<戦前>だよ」と応じた。
イスラム教・トルコの格言に「遠い(戦いの)太鼓は甘い音楽」というのがあることを曽野綾子『アラブの格言』(新潮新書)で知ったが、どうもこの国、日本にも、「戦争をすれば景気がよくなる」と考える財界人や政治家が増えているようだ。
ポーストの本は、「戦争はペイするものか?」、「戦争は経済に貢献するか?」という問いを徹底的に検証している。
訳者の山形浩生は東大工学部大学院修士卒だが、MITでビジネスを学び、調査会社勤務の傍ら、訳書や著書をてがけている。哲学者ダニエル・デネット『自由は進化する(Freedom Evolves)』(NTT出版)の訳があると知れば、もう語学力には何の不足もない。
『戦争の経済学』の訳は読みやすいし、索引・文献リストもついている。(製本の質はきわめて悪い。)
付録として、山形による「事業・プロジェクトしての戦争」という17ページにわたる論考があり、日清戦争を例として「支出と収益のバランスシート」が示されている。(但し日本軍の戦士・戦病死などによる人的被害の「経済学」は、計算に入っていない。)
かつての「朝鮮戦争」のように、戦場が外国で、日本からは一兵も送らず、ただひたすら軍需物資を生産・輸出するというような「理想の戦争」はもうない。
クセノフォンがいうように、
「もっとも長い期間にわたって、平和でありつづけるような国家が、おそらくもっとも幸福である」。
クラウゼヴィッツが『戦争論』(岩波文庫全3冊, 1968/4)で述べたように、「戦争とは政治(外交)とは異なる手段による政治の継続である。」
だとすると、戦争を回避する政治(外交)の重要性が、今ほど高まっている時はないといえるだろう。「遠い太鼓」を甘い音楽としてしか聴かない、老人たちにこの国を委ねてはいけない。
4)バルザック『役人の生理学』(Physiologie de L’Employe, 1841)を鹿島茂訳の講談社学術文庫で読んでいる。鹿島は訳書「まえがき」で<本書はM.ウェーバーの『官僚制』、『支配の社会学』と並んで、官僚制について考えるための古典となるに違いない>と書いている。
後に『実験医学序説』(岩波文庫)という基礎科学としての医学総論(哲学書)を書いたパリのクロード・ベルナールにより「実験生理学」という新たな分野が開拓され、18世紀前半のフランスでは「生理学(Physiologie)」という新語が、ちょうど今の日本の「ライフサイエンス」のように、耳新しく響き流行した。
作家のバルザックはこれに便乗して『役人の生理学』、『結婚の生理学』を書いた。ブリア=サヴァランのグルメ本『美味礼賛』の原題は「味覚の生理学」だそうだ。要するに1840年代は「—の生理学」と題名をつければ、本がよく売れたそうだ。
で、ウェーバー伝記ではもっとも詳しいとされる、マリアンネ・ウェーバー(ウェーバー未亡人)『マックス・ウェーバー』(みすず書房、1987/9)を取り出してみた。547頁、6,700円の大著なのに、索引の不備と目次の小項目へのページ表示がないのにがっかりした。
年表はあるが、上段に年譜、下段に関連する事件の年表という分割がしてない。
各年におけるウェーバーの年齢が書いてなく、年齢と研究上の関心や著作名との対応がつかない。一番の問題は、全20章の章タイトルの後に、小見出しが印刷されているが、本文では章はローマ数字によりいくつかの節に分かれている。
例えば、第8章「転落」は1893年に29歳でフライブルグ大学経済学正教授に就任したウェーバーが1896年、36歳で伝統あるフライブルグ大学主任教授に招聘された後の、1898年、38歳の時、父親の死をきっかけとして、過労による肉体的疲労のため、不眠症と精神的抑鬱状態に陥り、休職して転地療養や旅行を試みている。精神病院にも何度か入院し、1903年、43歳の時に大学を辞職している。名誉教授の称号を希望したのに、大学は付与しなかった。だが、引き続きハイデルベルグに居住した。
この章は第Ⅵ節まであるが、本文の節冒頭にタイトルがない。目次には12の小項目が載っているが頁番号がなく、どれがどの頁に書いてあるのか見当もつかない。まったくクソ本だ。みすず書房ともあろうものが、こんな本を出すとは…
訳も拙劣だが。訳者の大久保和郎は1975年に死去しているから、2008年第3刷は、初版からちっとも改善されていない。
年表にあるウェーバーの著作目録を全部調べたが、鹿島が書いているような『官僚制』についての著書は見あたらない。「世界の名著」全66巻のNo50として、1975年に中央公論社から「ウェーバー」が出ているが、あいにくその巻が見あたらない。このシリーズの年譜は充実しているのに…、と思う。
社会学の創始者オーギュスト・コントへの言及があるかと人名索引を調べたが、彼の名前はなく、ベルナール、バルザックへの言及も、人体とそれを構成する各種の細胞を国家とさまざまな職業からなる国民との関係になぞらえた、ベルリンの病理学者ルドルフ・ウィルヒョウ『細胞病理学』への言及もない。
妻マリアンネはフライブルグ時代の教え子の女子学生で、社会科学の研究者でもあったが、この伝記を読むかぎり、マックス・ウェーバーはフランス語と英語の本はほとんど読んでいないと思われる。
5)バルザック『ゴリオ爺さん』(新潮文庫、1972)=確かトマ・ピケティの論文の中に、「社会的格差」の例として、この小説において主人公の「ゴリオ爺さん(Le Pere Goriot)」が、ソルボンヌで法律を学び、官僚になろうとしている学生に、「そんなことは止めて、資産家の娘と結婚することを考えろ」と忠告する場面があると知り、本を取りよせた。
ところがどっこい、これはバルザックの連作「人間喜劇」のコアをなしている作品で、そう話が単純でない。500ページもある小説で、(索引がないから)必要な場面を探し当てるのが大変だ。で、これは娘たちを溺愛するあまり、莫大な資産を分与したあげく、パリの下宿屋で落ちぶれて死んで行くゴリオという老人の話で、シェークスピアの「リア王」と大塚家具の父と長女の対立のような話だとわかった。
Le Pereは「父、父親、おやじ」という意味だが、仏和辞典を見ると、用例として「Le Pere Goriot」が載っていて「ゴリオ爺さん」とある。
物語では、前は気前がよくて、「ムシュー・ゴリオ」と下宿の女主が呼んでいたのだが、ゴリオ氏が落魄して下宿料の安い、上の階に引っ越したいと言いだしたとたんに、彼女が「ゴリオ爺さん」と呼び始める、ということになっている。
下宿で死の床にあるゴリオは、こう大学生にいう。
「結婚しなさんなよ、子供なんてもちなさんな! …わしが財産を取っておいて、娘たちにやらないでいたら、あれらはここに来て、接吻しながらわしの頬をなめてくれるだろうに!」
こういう風に「聞いた話」と原本とは違うことがあるから、やはり詮索が必要になる。
6)正岡子規:『歌よみに与ふる書、ほか全10作品』(大創出版)=
先日、スーパーのジュンテンドーに文具を買いに行ったら、目的の100枚入りのクリアーフォルダーがなく、隣にある100円ショップのダイソーの売り場を見ていたら、なんと文庫本を売っていた。漱石「坊ちゃん」も、宮沢賢治「銀河鉄道の夜」、太宰の「人間失格」、芥川の「羅生門」もある。
一冊を手にとって開いてみると、読みやすく、印刷も製本もしっかりしている。手持ちがない、子規の「歌よみに与ふる書」を100円で買って帰った。Made In Japanとあるので、国内で印刷、製本したものだろう。テキストは「青空文庫」からダウンロードしたとあるので、著作権は切れているから、印税を払う必要はないが、それにしても222ページもある文庫本がよく100円で売れるものだ、とひたすら感心する。
『歌よみに与ふる書』は20年以上前にハードカバー本で読んだ記憶があるが、この文庫本は2色刷で、難しい漢字にはルビがふってあり、下側に脚注がついていて、語句説明がされており、はるかに読みやすくよくできている。
標題作だけでなく、「くだもの」、「病牀瑣事」、「死後」というような、随筆も収録されていて子規の好物や死生観がわかり、とても面白かった。
子規というと伊予松山と切っても切れないと、広島あたりでは思われているが、巻末の年譜を見ると、16の歳に上京して東京の中学、高校、大学と進学し、35歳で死ぬまで故郷には帰らなかったことがわかる。
それで「くだもの」を読んで、子規が大の果物好きで、「大きな梨なら六つか七つ、樽柿(たるがき)ならば七つか八つ、蜜柑(みかん)なら十五か二十くらい食うのが常習」と書いているのに驚いた。
中に「御所柿を食いし事」という項目があり、
「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」
という句が出来た時のいきさつが書いてある。
あれは昼間に奈良の茶店で食った柿ではなかった。夜、宿屋の部屋に丼鉢一杯に御所柿を持って来させ、18くらいのきれいな女中が剥いてくれるのを、片端から食べながら、鐘の音を聞き、「あれは何か」と問うたら、娘が戸を開けて、月に照らされた法隆寺を見せる、というものだった。
句だけ読むと、昼間だと思ってしまう。この辺が「俳句」というショートショートの限界だろう。しかしこの本なかなか面白い。お薦めである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます