ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【ブック・サーフィン】難波先生より

2017-09-26 12:37:10 | 難波紘二先生
【ブック・サーフィン】 あるテーマについて、次々と情報を探してネットの画面を移動することを「ネットサーフィン」という。本についても同じようなことが起きる。
 朝鮮・韓国についての歴史・旅行記など約200冊を読んだが、断片的知識が頭に残るばかりで、いわゆる「慰安婦問題」について朝鮮売春史と日本売春史とが重なって来ない。
 (その後、今村昌平・企画「村岡伊平治自伝」(講談社文庫, 1987)を見つけ、東アジア・東南アジア・南洋を舞台に一大売春組織を築いた男がいたことを知った。
 http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/new2.php
これで日本売春史の舞台と広がりはほぼ把握できたが、朝鮮売春史との接点が見つからない。)

 今のところ「慰安婦強制連行20万人」説の原型と見られるのは、朴慶植「朝鮮人強制連行の記録」(未来社、1965/5,p.67)にある、「戦時中朝鮮女性が慰安婦として多数戦線に動員されているが、(前掲の)14〜15万の中には入っていないはずであり、もし前記32万(注1)とすればこの中に包含されると推定できる。」という文言である。「内数」分は17〜18万人となり、丸めれば20万人となる。
 注1:著者は前頁の表で「ミスプリントの可能性がある」と説明している。これくらい「朝鮮人強制連行数」に関する研究書にはずさんなものが多い。

 千田夏光(せんだ・なつみつ、本名、貞晴:元毎日記者。元広島県令・男爵千田貞暁の曾孫)は「従軍慰安婦: “声なき女”八万人の告発」(双葉社、1973/10)で、「朝鮮において組織的に大量の女性が集められたのは昭和18(1943)年からだった。… “挺身隊”という名のもとに彼女らは集められた」(p.106)と書いている。
また「”挺身隊”員の資格は12歳以上40歳未満の未婚女性を対象とするものだった。ただし、総計20万人(韓国側の推計)が集められたうち“慰安婦”にされたのは“5万人ないし7万人”とされている」(p.108)と書いている。この数値はp.94に既出の「ソウル新聞」記事の切り抜きを元にした数値である。「朝鮮人女性挺身隊総数20万人、うち慰安婦5〜7万人」というのは韓国の新聞記事切り抜きが根拠となっている。
 千田は「続・従軍慰安婦:償われざる女8万人の慟哭」(双葉社、1974/7)という本も出しているが、人名の多くが仮名で所属部隊や出身地の記載もなく、巻末に出典の記載もない。第三者による検証が不可能なことが、まことしやかに書かれている。
 「従軍慰安婦の総数は推定8万余人、うち朝鮮人が約8割」(p. 1, 5)と書いているが、根拠となる資料や計算法の実際を明示していない。

 千田夏光の曾祖父千田貞暁は県令として軍港としての宇品築港を行った。デルタの砂州の南部は埋め立てられ、軍用地や学校用地、住宅地となった。山陽本線から宇品線が引かれ、宇品の港まで列車が走るようになった。こうして呉が海軍の軍都、広島が陸軍の軍都として発展した。
 広島には千田町、東千田町、南千田町という地名が残っているし、千田男爵の銅像が建っている千田公園というのもある。千田県令は広島市南部の干拓事業を推進し、軍都広島の基盤をつくった人物である。

 広島市は元が太田川砂州に土砂が堆積した土地だから、北は太田川を境に東西に高い山がある。東には元、島だった比治山、元、仁保島の黄金山が境をなしている。また南はすぐ前に似島がある。不整三角形をなす山に取り囲まれた広島市の旧市街は、史上初の原子爆弾の威力を試すには最適の地形をしていた。軍司令部の近くには「相生橋(あいおいばし)」という橋の真ん中から中島町(現平和公園)に通じる橋が分岐し、T字形のユニークな橋があり、高々度で侵入したB29爆撃機にとって絶対に間違えない目標となった。
 これを目標にノルデン照準機を用いて投下したものの、少し東にそれて島病院上空500mで爆発した。しかし軍事目的としては広島師団司令部、中国憲兵隊司令部は壊滅し、第二軍管区司令部にも大損害を与えたので、十分だった。

「ブックサーフィン」について書いている。ネット情報は匿名がほとんどで、裏づけの証拠が提示されていない。烏賀陽弘道が「フェイクニュースの見分け方」(新潮新書, 2017/6)でネットどころか「終わったメディア」(新聞、雑誌、テレビ)もfake newsを流していると指摘している。分別ある顔をしたTVコメンテーターにも、ショーン川上のように学歴・経歴がすべてフェイクだった人物がいる。(中野信子「サイコパス」文春新書、p.187)サイコパスだとカミングアウトした人はまだ知らないが、ADHD(注意欠如・多動性障害)なら、医師の村上智彦「最強の地域医療」(ベスト新書、p.79)、経済評論家の勝間和代(「文藝春秋10月号」記事:<発達障害>医師と患者の対話)がいる。

今日9/14も食事後はベランダで、届いたばかりの烏賀陽弘道「報道の脳死」(新潮新書, 2012/4)を読みながら過ごした。樹の上でアマガエルが盛んに鳴いている。雨になるのだろうか? (後にこの1匹を書庫前で見つけた。よく似たアオガエルにシュレーゲル・アオガエルがいるが、これはアマガエルだと思う。)(Fig.5)
(Fig.5=アマガエル)

 烏賀陽氏は1963年生まれ、京大経済を卒業後、朝日新聞社に入り、2003年に朝日に見切りをつけて退社している。一気に目を通し、「旧大メディア(全国紙、テレビ)の脳死」という概念がよくわかった。この本には著者の体験を通じて、新聞紙面製作の過程、財政状況などが具体的によく書かれている。新聞社の組織構造の分析を通して、内在的なメディア批判を展開した好著だと思う。

 特に印象深かったのは、福島第一原発の水素爆発を当時の民主党内閣・枝野幸男官房長官が「爆発的事象」と呼び、それをメディアがそのまま流したということだ。同規模のチェルノブイリ事故では「死の灰」という用語をメディアは報じたが、福島第一では「放射性降下物」と報じたという。ダブルスタンダードもよいところだ。

 私は毎日「あまり読むところがないな…」と口の中で呟きながら四紙に目を通しているが、なぜ新聞に「読むところがない」のか、烏賀陽氏の「カレンダー記事」、「えくぼ記事」、「予定稿」などの説明を読んで納得が行った。「死の灰」を別の言葉に置き換えたり、「輪番停電」(実際には東京23区以外の、千葉、神奈川、埼玉などの県で停電)を「計画停電」と言い替えたりという政府・東電のポリシーを大メディアはそのまま無批判に受け入れた。
 大本営が日本軍のガダルカナルからの撤退を「転進」と発表し、当時のメディアがそのまま報じたのと同じ構図だ。「退却」という言葉がタブーになっていたからだ。
 この本を読むと新聞が「脳死状態」に陥っており、それがネット以上に面白い調査解説記事が書けない理由だとよくわかる。

 ブックサーフィンをしていると、思いがけない点と点が線としてふいに繋がってくるのが面白い。そこでたいてい5冊くらいの本を同時並行で読んでいる。ある疑問を感じて関連本を取り出し、解明のために読むからこうなる。頭の疲れを休めるには途中で別の本を読むのがよい。
 そこでハタと困るのが、文系の本にはたいてい索引がついていないことだ。キンドルなら目的の用語を瞬時に本文中から探せるが、紙本で索引がないとこれができず、時間のロスがおびただしい。重要箇所に付箋をつけるから、読み終えたら付箋だらけになる。
 それとこれも主に文系の新書・文庫だが、索引がなく目次の小項目に該当ページ数が印刷してないものが多い。二度目に目を通すために、小項目に頁番号を鉛筆で書き込んでおくのだが、手間ひま取られるので、これにも困惑する。東京には「エディター・スクール」もあるが、編集者の問題ではなく、執筆者の心がけの問題だと思われる。理系でも「サイコパス」は小項目へのページ番号がなく、村上智彦の本は死期を悟った著者が遺著として書いたもので、小項目までちゃんと頁番号がある。ただし索引はない。

 グーテンベルグが印刷本を出した時は章目次しかなかった。ダーウィンが「種の起源」を出した時は各章の冒頭に「内容目次」が出現した。英語専門書に索引(インデックス)が初登場するのが19世紀後半である。
 どうも日本の文系本は200年も時代遅れのまま、電子本に駆逐されるのではないかと危惧している。



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