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阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【母子手帳】難波先生より

2014-09-30 09:41:22 | 難波紘二先生
【母子手帳】
 8/5-6「朝日」誤報の訂正事件以来、前よりも新聞記事を疑って読むようになった。
 この「毎日」9/27の母子手帳に関する記事を誤報というかどうか…。
 http://mainichi.jp/search/index.html?q=%E6%AF%8D%E5%AD%90%E6%89%8B%E5%B8%B3
 記事は「母子手帳」は1948年、日本で生まれた…母子手帳は日本独自のシステムだ」としている。
 「母子手帳」はWIKIにはこうある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E5%AD%90%E5%81%A5%E5%BA%B7%E6%89%8B%E5%B8%B3

 「毎日」の記事はWIKIの記載とも私の理解とも、ちと違う。
 厚生省が設立されたのは1938年1月1日で、東大産婦人科の医師から厚生省の技官になり母子衛生業務に携わった瀬木三雄が1942年7月、厚生労働省令「妊産婦手帳規定」に基づき母子手帳の原型を作った。これが1947年、彼が母子衛生課長の時に成立した「児童福祉法」(施行1948/1)第20条において、「妊産婦手帳」から「母子手帳」に名称変更された。さらに1965年成立の「母子保健法」(施行1966/1)において、同法第16条に移行され「母子健康手帳」と名称変更された1)。
 ところで厚労省の設置に先立って、瀬木は白木教授から命じられて、文部省在外研究員として、全ドイツ26箇所の大学病院産婦人科の診療実態と母子衛生の実情を見学して回っている。第二次大戦勃発の直前に帰国した瀬木は、教授に命じられるまま厚生省に入省し、母子衛生行政に取り組んだ。
 もともと厚生省の内務省からの分離は、ナチスドイツの医療・健康政策に倣ったもので、瀬木も「妊産婦手帳は、ハンブルグ市で実施されていた妊産婦健康記録の携行システムにヒントをえた」と記している1)。
 当時、青年の結核死亡率と乳幼児の死亡率は極めて高く、戦争遂行上、早急に克服することが望まれていた3)。
 現行の「母子健康手帳」は狭義にいうと1966年の「母子健康法」の裏付けにより生まれた。その前は「児童福祉法」による「母子手帳」であり、さらに戦争中の「妊産婦手帳」にさかのぼる1)。
 さてこれが「日本オリジナル」かというと、制度設計者の瀬木三雄が「ドイツのものをまねた」と述べているのだから、日本におけるまったくの独創とは言い難いのではなかろうか。
 瀬木三雄はその後、厚生省統計疫学部に移り、がん統計の国際比較を可能にする「世界人口」という概念を編み出した後、1950年東北大学医学部の初代公衆衛生学教授として赴任している。
 ヒトラーが首相になったのは1933年1月で、以後、「国家のための健康」というナチスの健康政策が優生学と結びついて強力に展開された。「断種法」(1933)、「結婚保険法」(1936)、「T4計画(不治の遺伝性・精神性疾患患者の安楽死)
(1939)などがそれである2)。
 日本では「厚労省の設置」(1938)、「国家総動員法」施行(1938)、「国民優性法」(1941)とドイツの後追いをしたが、とうていドイツほど徹底して行われなかった。逆に、徹底して行われなかったから、戦争中の厚生行政のうち、医学的にも倫理的にも価値のあるものが生き残った。それが「母子手帳」である。
 母子手帳の源流はナチスの健康政策にあると知ると、愉快ではなかろうが、事実は事実としてちゃんと理解しておく必要がある。今は世界中の先進国が「少子化」に悩んでいるが、1930年代の世界は人口爆発に悩んでいた。そこで産児制限(家族計画)が大問題であり、「優秀なアーリア人」のレーベンス・ラウム(生存空間)を東ヨーロッパに求めるヒトラーの人種政策が生まれたのである。
 このことは現在の日本の母子手帳をおとしめるものでも、それが世界の発展途上国のモデルとされていることを否定するものでもない。「母子手帳が日本オリジナル」という記事に違和感を覚えたので、私見を述べたに過ぎない。
参考文献:
1)瀬木三雄・編:「学恩:Segi’s Capの再発見」, 学校法人瀬木学園, 1980/11(私家版)
2)R.N.プロクター:「健康帝国ナチス」, 草思社, 2003
3)藤野豊:「強制された健康:日本ファシズム下の生命と身体」,吉川弘文館, 2000
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E6%9C%A8%E4%B8%89%E9%9B%84

 これは「毎日」の報道に限った話ではないが「御嶽山噴火」に関して、メディアが
<長野県警によると、山頂付近で登山者ら31人が心肺停止になっているのを確認した。>、<長野県警によると、心肺停止の31人のうち4人については陸路でふもとの木曽町に向けて搬送しているが、残る27人については噴火に伴う有毒ガスの影響で、同日中の搬送は困難とみられる。>と報じている。
 http://mainichi.jp/select/news/20140928k0000e040175000c.html
 これを「警察発表の垂れ流し」という。心肺停止とは自発呼吸がなくて、心臓が止まっているということ、換言すれば「死んでいる」ということではないか。医師が立ち会っていないから「心肺停止」という用語でごまかしているのではないか。自発呼吸が止まれば20分程度で心臓も停止するし、心臓が止まれば脳の呼吸中枢がやられるので、やはり20分程度で自発呼吸も止まる。心停止後、通常の気温なら2~3時間で顎関節から死後硬直が始まる。死後硬直が始まればもう蘇生の機会はない。
 結局、ふもとの木曽町に搬送された4人だけが「死亡を確認」と警察発表された。つまり警察は死亡確認のゲタを医者に預けたわけだろう。またメディアはこれをそのまま報じるだけという芸のなさ…。
 先日「心肺停止」82分後に回復した62歳の男性例が、愛媛県・八幡浜市立病院から発表された(8/10「産経」)。だが、これは心筋梗塞のため救急車で搬送中に9:47に心肺停止、車内と病院で心肺蘇生術を受け、11:09に心拍が再開したものの、意識が戻らないので愛媛大病院に搬送し、そこで低体温療法を受け、翌日に意識が戻ったもの。今回の状況とはまったく違う。
 警察がそういう発表をするのは致し方ないが、メディアは真実を報道し、いたずらな生存幻想を振りまくべきではない。なぜ取材記者は「心肺停止」の定義を警察に尋ねないのだろうか。メディア報道の質の劣化を痛感する。これでは金を払って新聞を読む人が減るのは当たり前だろう。
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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2014-09-30 22:51:31
「心肺停止」の語法についてこんな記事があったよ。
http://www.j-cast.com/2014/09/29217057.html
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Unknown (Mr.S)
2014-09-30 12:39:39
私も「心肺停止」という記事文字には違和感を感じた。
なぜ「死亡」と書かないのか。
これは東北震災において、マスコミが意味不明な煽動
を続ける「絆」という言葉とよく似ている。
それから朝日の記事にもうひとつ、変なものが最近会った。
広島の土砂崩れ被害に遭った新婚夫婦の野球グローブを探す云々という記事だ。
紙面に大きく掲載されたウエディングドレス姿の被害者の写真を観て感動しろとでも言うのか。
人の不幸をネタにしているだけじゃないか。
これは朝日だけに限ってではない事ではあるが。
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