ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【6000冊目】難波先生より

2016-03-07 12:51:43 | 難波紘二先生
【6000冊目】
 「蔵書目録」への入力がやっと6000冊に到達した。南側のテーブルに山積みになっている本の中から、「入力すみ」という記入のない本2冊を取り上げ、仕事机に運んだ。
 6000冊目が里見「極楽とんぼ・他一篇」(岩波文庫)という書だった。「極楽とんぼ」はもう読んだが、「他一篇」というのが気になり、目次を開いたら「かね」とある。女の名前なのか、「金」のことなのか意味がわからない。解説の秋山駿も「極楽とんぼ」には10ページを費やしながら、「かね」には2行しか触れておらず、どんな内容なのかがわからない。

「署名目録」には里見「極楽とんぼ+かね」と入力しておかないと、「かね」を検索できない。入力するには「かね」の要旨を把握しておかないと、メモ記入もできない。
読み始めたら止められなくなった。それほど変わった物語だ。

 土佐の片田舎の水呑み百姓の子が友人と2人で家出し、大阪で丁稚奉公をし、遊廓の女郎となじみになり、3人で示し合わせて、逐電する。女郎と一緒になった年上の谷口平三郎は松山の銀行の用務員として働く。二人の間に一子他吉ができるが、女房には早死にされてしまう。
 物語は平三郎と他吉という父子が、二代にわたりひたすら「かね」を貯める話だ。昭和12(1937)年1月に発表された作品だが、「」入りの会話がまったくなく、地の文の中に会話が組み込まれている。

 明治の終わり頃に72歳で死んだ平三郎は、一生掛けて溜めた7,240円という預金通帳を他吉に残した。父の仕事を引き継いで他吉は銀行の住み込み用務員として働くが、出来心で支店に届ける現金1万円を持ち逃げして、「渡り奉公」の生活に入り、大阪・名古屋・東京・朝鮮・満州まで転々とする。父親から受け継いだ貯金は12年間に8,096円に増えていて、勤め先の銀行に預けてあるから、差額は2000円に満たない。それでも他吉は奉公先で盗みを繰り返した。
 関東大震災(大正12=1923年)の時に東京にいて、300円を横領して新潟に逃れた。そこで8年を過ごし、最高学府の用務員になった。そして金庫のダイアル番号を知り、教職員の月給7,250円を盗みだし、鳥取県三朝温泉に逃亡した。
 最後に米子の禅寺の寺男として66歳で死んだ時には、小型の手さげ金庫に現金1万3,150円、鞄の中に7,200円つまり合計で2万円以上の金が残されていた。

 他吉が死んだのは1931(昭和6)年頃ということになる。モデルがあるのかどうかは知らない。
「物価の文化史事典」によると、昭和6年の東京都知事の年俸が5,300円だから、ほぼその4年分の金が残されていたことになる。
 それにしても昭和1ケタ時代なのに、電話も電報もラジオ放送も出て来ず、「戸籍照会」もないのに驚いた。結局、他吉は本籍地不明のままである。

 金を貯めること以外は、女性の下着(腰巻き)を集めることしか趣味がない他吉は、まるで野坂昭如「エロ事師たち」のスブやんを彷彿とさせる。会話と地の文が溶け込んでいる点も似ている。
 「きっと常造(他吉)にとっちゃア、札は、使うためのかねじゃなかったんだ。…絵や字のついている札(ふだ)だったんだ。…切手やペーパーなんか集めるのとおんなじで、札(さつ)の蒐集なんだよ。」という、巻末の「遺聞」に収められた作者のコメントが面白い。

 1冊入力するのに結局、小半日かかったが、ユニークな作品に触れることができた。6001冊目は、清岡卓行「アカシアの大連・朝の悲しみ」(講談社、1970)になりそうだ。先は長い。
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