【文春6月号】
「毎日」と「産経」に4段ぶち抜きの大広告が載っていて、「立花隆、私は性善説に立ちたい」と大きな活字で印刷されていたので、てっきり独立した論文が掲載されたものと思ったが、毎号連載の巻頭随筆だけだった。
「疑惑の細胞のこと」と題して2頁半の随筆が載っている。「羊頭狗肉」だ。
<私は実はそれほど倫理における厳格主義者ではない。>
<私はもともとが文学畑出身の人間であるから、過ちを犯す人間を糾弾するより、そういう人間の心の内側をさぐるほうに興味がある。>
<性善説に立てば、彼女(小保方)のそれなりの弁解もギリギリ通用する。>
もう、「語るに落ちた人」というしかない。
性善説という言葉は、不注意で他人に欺かれた人間が弁解するときに持ち出す常套句である。考古学者佐原真(故人)も「旧石器遺跡捏造」が明るみに出たとき性善説で弁解した。実際は中野益男の「脂肪酸分析」を考古学に持ち込み無批判に信用した彼の責任はきわめて重い。性善説を持ち出すような人物は脇が甘い。これで立花隆の「バイオサイエンス」に関する本は今後読む気がしなくなった。
そういえば米本昌平は「中央公論」四月号の小保方支持論文でつまずいたし、「体細胞が生殖幹細胞になるという説」がルイセンコ学説の亜流だということにも気づかなかった。
脳死批判や生殖医療批判であれだけ本を出していた日本の生命倫理学者は誰も発言しなかった。まさかの際に役に立たない学問は、どこかおかしい。
その点、日本分子生物学会副理事長の中山敬一(九州大教授・分子病理学)「小保方捏造を生んだ科学界の病理」論文は非常に読み応えがある。10頁もあり、買うに値する。
<いまだかつて科学的な話題が、これほどまでにTV, 新聞, 雑誌等のメディアを騒がせたことがあっただろうか。>
<いくら小保方氏が「STAP細胞はありまぁす」と強弁しても論文が正しい方法に基づいていない以上、そこから得られる結論はゼロ(白紙)というのが、科学の掟である。>
<STAP細胞があるかないかを議論することは、UFOがあるかないかを議論することと等しい。>
<STAP論文事件は、わが国における史上最大の捏造事件である。
…最も世間を騒がせ、世界の中でわが国科学の名誉と信用を地に墜とした点で、過去のいずれの捏造事件よりも罪深い。>
ネットでの「クラウド査読」に触れて、<(クラウド査読には)基本的に反論の機会は与えられていない。もし間違いであっても名誉回復は困難だ。>と指摘し、
<クラウド査読が捏造を暴くのに果たしてきた役割はあるものの、いつ自分が標的になるのかというネット私刑の恐怖は誰もが持っている。>と率直な懸念を表明している。
理研の調査委についても批判的で、
<「悪意はなかったので不正には当たらない」という調査委員会の報告を聞いて、ちゃぶ台をひっくり返しそうになったa)のは私だけではあるまい。>
<科学における捏造とは一般社会における窃盗のようなものである。おまけに小保方氏は前の論文でも同じようなことをしている“常習犯”だ。>
<理研は「大宣伝」で始まり、「強弁」で逃げ続けたが、結果的にこれが世の批判を招くことになる。「結果は揺るがない」として、1ヶ月にわたって国民を欺き続けた罪は重い。>
<どんな組織も創業者が引退し、次の世代に引き継ぐときがもっとも難しい。
笹井芳樹氏はそんな第二世代のリーダー格であり、創業者達の高い理想ではなく、その方法としての一種独裁的なシステムだけを引き継いでしまったのだろう。
こうして天下のCDBは高転びに転んだのである。>と述べている。
日本の生命科学では、毎年のように大規模な捏造事件が発生している現状を指摘し、「研究不正事故調査委員会」を文科省内部に設置することを提唱している。「日本版ORI」だろう。メディアでもぜひこうした議論を活性化してほしいと思う。
<実は、多くの生命科学系の論文は再現性の低さを指摘されており、その原因の一つとして捏造があることも捨てきれない。>
久し振りに読み応えのある本格的な評論に出逢った。
表現にも面白味がある。
A. の「ちゃぶ台」はもう日本の住宅から姿を消して久しい。「激怒」を表す表現だが、誰かが実際にひっくり返すところを見ていないと使うのは難しいだろう。
B. は宣教師ルイス・フロイスが信長の将来を予言した言葉で、辻邦生「安土往還記」(1968)中に引用されて有名になった。笹井氏は信長になぞらえられている。
近藤誠が昨年の4月から「セカンドオピニオン外来」を始めたが、その後が気にかかっていた。年間に延べ2000人の訪問患者があったそうだから、日に8人だ。大成功といえるだろう。ジャーナリスト森省歩との対談「近藤先生、私の受けたがん治療(東大病院)は正しかったでしょうか」という記事がある。渋谷の高台(南平台か?)にあるマンションの9階に「近藤誠がん研究所・セカンドオピニオン外来」を開設したとある。
森氏自身が3期のS状結腸がんで腸の切除とリンパ節廓清術を受けたものの、化学療法を拒否している患者だから質問内容に切実感がある。
<「知性とは知識を得るための力、理性とは知識を材料として合理的に考える力のこと。…とにかく知性と理性の二つが揃わなければ理にかなった(がん)治療法は見つからないでしょう」>という近藤氏の言葉には含蓄がある。
「知の巨人」にぜひとも読んでもらいたいものだ。
最後に近藤氏が口にした「結局、人は生きたようにしか死んでいけない」という言葉には余韻があった。
桐山秀樹(NF作家)「医師が体験した<糖質制限ダイエット>」は自らも糖尿病で、糖質制限食を実践しており、これを実行している医師10人の名前、年齢、所属を挙げ、彼らの意見を紹介している。名づけて「糖質制限医」、これは腎移植移植と違い急速に普及しそうである。
「糖質以外のものをたくさん食べ、お腹を膨らますのがコツ」と医師のひとりが述べているが、まったく同感だ。
「毎日」と「産経」に4段ぶち抜きの大広告が載っていて、「立花隆、私は性善説に立ちたい」と大きな活字で印刷されていたので、てっきり独立した論文が掲載されたものと思ったが、毎号連載の巻頭随筆だけだった。
「疑惑の細胞のこと」と題して2頁半の随筆が載っている。「羊頭狗肉」だ。
<私は実はそれほど倫理における厳格主義者ではない。>
<私はもともとが文学畑出身の人間であるから、過ちを犯す人間を糾弾するより、そういう人間の心の内側をさぐるほうに興味がある。>
<性善説に立てば、彼女(小保方)のそれなりの弁解もギリギリ通用する。>
もう、「語るに落ちた人」というしかない。
性善説という言葉は、不注意で他人に欺かれた人間が弁解するときに持ち出す常套句である。考古学者佐原真(故人)も「旧石器遺跡捏造」が明るみに出たとき性善説で弁解した。実際は中野益男の「脂肪酸分析」を考古学に持ち込み無批判に信用した彼の責任はきわめて重い。性善説を持ち出すような人物は脇が甘い。これで立花隆の「バイオサイエンス」に関する本は今後読む気がしなくなった。
そういえば米本昌平は「中央公論」四月号の小保方支持論文でつまずいたし、「体細胞が生殖幹細胞になるという説」がルイセンコ学説の亜流だということにも気づかなかった。
脳死批判や生殖医療批判であれだけ本を出していた日本の生命倫理学者は誰も発言しなかった。まさかの際に役に立たない学問は、どこかおかしい。
その点、日本分子生物学会副理事長の中山敬一(九州大教授・分子病理学)「小保方捏造を生んだ科学界の病理」論文は非常に読み応えがある。10頁もあり、買うに値する。
<いまだかつて科学的な話題が、これほどまでにTV, 新聞, 雑誌等のメディアを騒がせたことがあっただろうか。>
<いくら小保方氏が「STAP細胞はありまぁす」と強弁しても論文が正しい方法に基づいていない以上、そこから得られる結論はゼロ(白紙)というのが、科学の掟である。>
<STAP細胞があるかないかを議論することは、UFOがあるかないかを議論することと等しい。>
<STAP論文事件は、わが国における史上最大の捏造事件である。
…最も世間を騒がせ、世界の中でわが国科学の名誉と信用を地に墜とした点で、過去のいずれの捏造事件よりも罪深い。>
ネットでの「クラウド査読」に触れて、<(クラウド査読には)基本的に反論の機会は与えられていない。もし間違いであっても名誉回復は困難だ。>と指摘し、
<クラウド査読が捏造を暴くのに果たしてきた役割はあるものの、いつ自分が標的になるのかというネット私刑の恐怖は誰もが持っている。>と率直な懸念を表明している。
理研の調査委についても批判的で、
<「悪意はなかったので不正には当たらない」という調査委員会の報告を聞いて、ちゃぶ台をひっくり返しそうになったa)のは私だけではあるまい。>
<科学における捏造とは一般社会における窃盗のようなものである。おまけに小保方氏は前の論文でも同じようなことをしている“常習犯”だ。>
<理研は「大宣伝」で始まり、「強弁」で逃げ続けたが、結果的にこれが世の批判を招くことになる。「結果は揺るがない」として、1ヶ月にわたって国民を欺き続けた罪は重い。>
<どんな組織も創業者が引退し、次の世代に引き継ぐときがもっとも難しい。
笹井芳樹氏はそんな第二世代のリーダー格であり、創業者達の高い理想ではなく、その方法としての一種独裁的なシステムだけを引き継いでしまったのだろう。
こうして天下のCDBは高転びに転んだのである。>と述べている。
日本の生命科学では、毎年のように大規模な捏造事件が発生している現状を指摘し、「研究不正事故調査委員会」を文科省内部に設置することを提唱している。「日本版ORI」だろう。メディアでもぜひこうした議論を活性化してほしいと思う。
<実は、多くの生命科学系の論文は再現性の低さを指摘されており、その原因の一つとして捏造があることも捨てきれない。>
久し振りに読み応えのある本格的な評論に出逢った。
表現にも面白味がある。
A. の「ちゃぶ台」はもう日本の住宅から姿を消して久しい。「激怒」を表す表現だが、誰かが実際にひっくり返すところを見ていないと使うのは難しいだろう。
B. は宣教師ルイス・フロイスが信長の将来を予言した言葉で、辻邦生「安土往還記」(1968)中に引用されて有名になった。笹井氏は信長になぞらえられている。
近藤誠が昨年の4月から「セカンドオピニオン外来」を始めたが、その後が気にかかっていた。年間に延べ2000人の訪問患者があったそうだから、日に8人だ。大成功といえるだろう。ジャーナリスト森省歩との対談「近藤先生、私の受けたがん治療(東大病院)は正しかったでしょうか」という記事がある。渋谷の高台(南平台か?)にあるマンションの9階に「近藤誠がん研究所・セカンドオピニオン外来」を開設したとある。
森氏自身が3期のS状結腸がんで腸の切除とリンパ節廓清術を受けたものの、化学療法を拒否している患者だから質問内容に切実感がある。
<「知性とは知識を得るための力、理性とは知識を材料として合理的に考える力のこと。…とにかく知性と理性の二つが揃わなければ理にかなった(がん)治療法は見つからないでしょう」>という近藤氏の言葉には含蓄がある。
「知の巨人」にぜひとも読んでもらいたいものだ。
最後に近藤氏が口にした「結局、人は生きたようにしか死んでいけない」という言葉には余韻があった。
桐山秀樹(NF作家)「医師が体験した<糖質制限ダイエット>」は自らも糖尿病で、糖質制限食を実践しており、これを実行している医師10人の名前、年齢、所属を挙げ、彼らの意見を紹介している。名づけて「糖質制限医」、これは腎移植移植と違い急速に普及しそうである。
「糖質以外のものをたくさん食べ、お腹を膨らますのがコツ」と医師のひとりが述べているが、まったく同感だ。