ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【地震予知】難波先生より

2017-09-19 12:29:11 | 難波紘二先生
【地震予知】これについて9/1日経コラム「春秋」が取り上げていた。
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO20634800R00C17A9MM8000/
出だしは<学界の敗北宣言――。口さがない向きからはこんな声も上がっている。>とある。
差し詰め小生など、「口さがない向き」のひとりだろう。

 8/29の夜、書庫の仕事場にいると突然、南の方で「ドン」という微かな地鳴りがした。「あ、これは地震だな」と思い、注意していると2秒ほど後に軽い上下動があった。立って動いていたらたぶん気づかなかっただろう。これが初期微動で、本格的な横揺れが来たら危ないかも知れないな、としばらく警戒したが、それ以上は何事もなかった。よって、当地の震度は1、震源地は南側で呉市沖の瀬戸内海だろうと推定した。日本海側が震源地の場合、まず北側の山に地鳴りが生じる。
翌日の新聞を見ると「呉市震度2」とあった。震源は安芸灘でM3.2、深さは20Kmだそうだ。
http://www.excite.co.jp/News/society_g/20170829/Hazardlab_21708.html
 ほぼ予期したとおりだ。このように地震学の素人でも、注意深く観察すれば震度と震源方向くらいは察知できる。

 それでも地震の予知はできない。出来ないものを出来るといい、多額の国費を投入させておいて、今さら「地震予知は不可能」だという「専門家」が私には理解できない。
 出来もしない地震予知よりも、地震につよいインフラを備えた防災都市作りの方がよほど重要だと私は思う。関東大震災にしろ、東京大空襲にしろ、墨東の木造住宅密集地帯の都市計画を実行していたら、10万人単位の死者を出すことは防げていた。「朝鮮人が井戸に毒を投じた」という流言飛語の発生地も山手ではなく、下町や横浜方面の被災者側からであることはほぼ確定している。

〔9/7付記〕9/7「毎日」で【中村◯◯】記者が小池百合子都知事の、関東大震災・朝鮮人虐殺犠牲者への追悼文送付取り止めをトピックスに、長文記事を書いている。参考書として吉村昭「関東大震災」(文春文庫)しか挙げてないのに驚いた。

 田中貢太郎『貢太郎見聞録』(中公文庫)の「死体の匂い」や田山花袋『東京震災記』のような、この地震体験者の一次資料があるのに、名作とはいえ地震を体験していない吉村昭の二次資料に依拠して記事を書くとは、太い神経だ。
 おまけに<毎日新聞の前身「東京日日新聞」>と書いてある。「東京日日」は本山彦一社長の「大阪毎日新聞」により明治44年に買収されている。「東京日日」の名が消えて「毎日」に一本化されたのが、昭和18年元旦のことだ。自分の会社の社史くらい、ちゃんと勉強しておいてもらいたいものだ。本山彦一はモースの大森貝塚を顕彰する石碑建立の発起人となっている。

 花袋の「東京震災記」に、安政大地震を体験した80余歳の老人からの聞き書きが出て来る(p.231)。やはり下町の本所・深川が大火事で大勢の焼死者が出たという。二度も大震災に見舞われながら、何ら根本的対策を施すことなく、東京は昭和20年の3・10大空襲で同じ下町の大惨事を繰り返したのである。

 永井荷風は日記『断腸亭日乗(上)』(岩波文庫)の大正12年10月3日の条に以下のように記している。(地震後32日目)
 <帝都荒廃の光景哀れというも愚かなり。されどつらつら明治以降、大正現代の帝都を見れば、いわゆる山師の玄関に異ならず。愚民を欺くいかさま物に過ぎざれば、灰燼になりしとてさして惜しむには及ばず。… 外観のみを修飾して、百年の計をなさざる国家の末路はすなわちかくの如し。自業自得、天罰覿面(てきめん)というべきのみ。>
 言葉は厳しいが、理においては荷風の主張が正しいと私は思う。ライフラインの地下埋設とか、延焼を防ぐための道路幅の拡張とか、木造密集住宅の禁止などは、明治の時代に当然やっておくべきことだったのだ。

 「外観のみを修飾して、百年の計をなさざる国家の末路はすなわちかくの如し」という荷風の言葉は、北朝鮮の核ミサイルのリハーサルと称して、小学校の窓のない廊下を避難所として利用するとか、軽井沢で廃線になった鉄道トンネルを核シェルターとしてりようする計画だというメディア報道を見ても同じように当てはまる。北朝鮮が核開発に乗り出した時から、それに対する核シェルターをスイスのように整備しておかなければならなかったのだ。
 今になって「核廃絶の願いも空しく…」などと書いたり言ったりするのは、しょせん空念仏にすぎない。

 花袋の記録によると都内の新聞は9/2から休刊でわずかに「報知」と「日日」の号外ビラが電柱に貼り付けてあったという。しかしそこには「不逞鮮人」の記事はなく、伝言により自警団が組織され、花袋もその一員に組み込まれている。新聞は9/5までいっさい配達不能だった。田中貢太郎は9/2から街路の自警団に立っている。「不逞鮮人の陰謀」という流言にもとづくものだ。東京市に戒厳令が敷かれたのは翌3日のことだ。
 大震災時に殺害された朝鮮人の数は政府調査では231名、在日朝鮮人学生団による調査では2613名である。間違って殺された日本人が57名、中国人が4名である。(吉村昭「関東大震災」p.162-63)花袋も貢太郎も殺戮場面には遭遇していない。この記者、本当に吉村昭の本を読んだのかなあ?
 一次資料に依拠しない、こんなやっつけ仕事みたいな記事を掲載するとは、「毎日」のチェック体制も相当ずさんだなと思う。


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