goo blog サービス終了のお知らせ 

ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【右心症】難波先生より

2013-04-05 12:14:07 | 難波紘二先生
【右心症】ずうっと抱いていた疑問が、ある日忽然と氷解し納得できるだけでなく、山の頂に立ったようにそこから新たな地平が見えてくるのは楽しいものだ。引退して終日、本を読みふけることができて「ハッピー」と思う瞬間だ。


 人間が左右対称だというのはおおざっぱな話で、顔を見ればわかるように右側と左側は違う。典型的なのはサッチャー元英首相の顔で、右側だけあるいは左側だけで構成した顔は全く別人だった。あれが公人としての「鉄の女」と私人としての「普通のおばさん」と関係があったかどうかは、知らない。
 ともかく1982年にはアルゼンチンと「フォークランド戦争(紛争)」を起こし、アルゼンチン海軍を殲滅し、英領フォークランド島を防衛した。「英国病」にかかった国民にカツをいれ、英国経済を立て直した。大した女性だ。


 顔は例外だが、人体はほぼ左右差がない。しかしそれは外表の話で内臓は違う。肺は右が3葉で左が2葉。心臓は左にあり、大動脈弓は右から左に湾曲している。肝臓は右側にあり、胃は左にある。脾臓も膵臓も左側にある。
 「病気は自然の実験」だから、当たり前と思っていることが狂っている場合がある。「全内臓逆位症(Situs Invertus Totalis=SIT)がそうだ。内臓がすべて左右反対に存在している。きわめて稀な先天異常だ。


 1969年頃、大学院生でアルバイトに行っていた内科病院のことだ。外来患者の青年の胸に聴診器をあてようとしたら、「先生、私の心臓は右にあります」と驚くべきことを言った。確か慢性気管支炎で受診中の患者だった。聴けば確かに心音が右胸部でする。弟があって、同じ状態だという。これがSITの生きた人に出会った最初で最後である。その後、病理解剖室で死人とは出会ったことがある。
 この記憶も澱のように、海馬のどこかに沈殿していた。


 私はその頃、「松果体の電子顕微鏡的研究」をやっていた。きっかけは米紙「Scientific American」誌に松果体ホルモン「メラトニン」を発見し、ノーベル賞をもらったA.B.ラーナーの記事が載っていて、「松果体は明暗に反応する体内時計」だと書かれていたことと、抄読会に出ていた解剖学教室のF教授にその話をしたら、「デカルトは松果体を精神の座と考えた。ひとつ研究してみたらどうか」と勧めてくれたからだ。その頃、胸腺はほぼ機能が解明されたが、松果体は残された謎の器官だった。


 いろいろな動物を調べたが、本格的な研究はマウスの生後発達に伴う松果体微細構造の変化と明暗環境での構造の違いにしぼった。不思議だったのは、生後すぐは松果体細胞はさかんに細胞分裂して数が増えるが、ある時期からは増えた細胞がバラバラに死んで行き、数が減少し細胞が肥大して大人の松果体になる、という現象だった。
 その頃はまだ「アポトーシス」という概念がないから、説明がつかなかったが、病理解剖された幼児の小脳を調べると、やはり細胞が密にひしめいている時期と、減って行く時期があった。(後に免疫細胞にも同じ現象が起こることを知った。)


 この時に撮影したマウス松果体の電顕写真は、藤田・藤田『標準組織学各論 第4版』(医学書院, 2010)にまだ2枚載っている。
 その時に、もう一つ不思議な発見をした。発達途中の松果体細胞には「線毛(Cilium)」が細胞表面に生えているのである。神経細胞に線毛が生えているなんて聞いたこともないし、誰に聞いても知らなかったので、「不思議だなあ」と思ったきりになった。


 AMAZONから届いた神谷律『太古からの9+2構造:繊毛の不思議』(岩波科学ライブラリー, 2012/2)にすぐ眼を通したのは、ひょっとして大学院生の頃の疑問に手がかりがありはしまいか、と思ったからだ。「繊毛」は医学畑ではいま「線毛」と書く。藤田恒夫先生は医学用語をできるだけ平易にと主張されて、表記を変えた教科書をつくられ、これがいま「標準」になった。


 ちなみに神谷律氏は1947年生まれ、東大教養部卒で名大理学部大学院で細胞生物学を研究し、現在は東大理学部教授だ。この前取りあげた『新しいウイルス入門』の著者武村政春氏が1969年生まれの名大理学部卒なので、22歳先輩になる。


 この本を読んで大いなる発見があった。松果体細胞の線毛=全内臓逆位症が結びついたのだ。それだけではない。子宮外妊娠や人工透析の導入要因として多い多発性嚢胞腎とも結びついた。


 動物の身体に生えている毛(人の頭髪も含め)は、「毛包」という玉ねぎの根っこみたいなものから生えてきて、何層もの細胞からなり立っているもの(体毛)と、細胞から直接生える「細胞小器官」としての「線毛」がある。このうち細菌(単細胞)がもつものを慣例的に「鞭毛(Flagellum)」といい、真核細胞や多細胞動物の体内の細胞に生えるものを「線毛」という。(動物学に古い名称が残っている。)本質的には同じものだ。


 線毛のうち運動性を持たないものをPrimary ciliumといい、日本語では「一次線毛」という訳語を動物学者(上記神谷など)は当てているが、正しくは「基本線毛」と訳すべきだと思う。(山科正平『細胞発見物語』, 講談社ブルーバックス、では「線毛」で統一している。)
 神谷ら動物学者のいう「一次線毛」を医学では運動性がないので「静線毛(Stereocilia)」といい、運動性のある線毛を「動線毛(Kinocilia)」という。静線毛は成人では網膜、蝸牛、嗅粘膜などに見られ、光や音や臭いに対するレセプターとして機能している。
動線毛は代表的なものは精子に見られ、副鼻腔、呼吸上皮、卵管にもみられる。


 動きのあるなしは線毛内を長軸にそって貫く「9+2」(Nine plus Two)の微小管(ミクロチュブル)ユニットのうち、中心部の「2本」がある(運動性)かない(静止性)かによって決まっている。レセプターとして働くだけの線毛には、中心部の2本の微小管がなく、外側の9対の微小管からなる筒状のユニットだけがある。


 線毛の微小管は、筋肉のアクチン=ミオシン系と同じように、ATPを分解することで得られるエネルギーを使って、「滑り運動」により「振り子状」運動あるいは「らせん」運動をすることができる。このため気道から痰を排出したり、卵管から卵子を子宮に運ぶことができるし、精子が泳げるのである。


 微小管は線毛の中だけでなく、ごく普通の細胞の細胞質内や神経線維の中にも存在する。細胞質内では「細胞骨格」として細胞のかたちを支えているし、原形質流動をおこす要因である。神経線維では「軸索流」を起こし、シナプス前後にある化学物質の代謝を促進している。繊毛の中にも線毛の先端に向かう流れと、先端から基底部に向かう原形質流動がある。レセプターとして働く静止線毛はこれを刺激伝達に利用している。


 細胞分裂をしている増殖期の細胞は線毛をもたない。線毛の基底部にあった「基底小体」が核の周辺に移動し、「中心体(中心子)」となり、染色体を等分する「紡錘糸」(微小管一種)の形成に関与するからである。種なしスイカを作るのに利用されるコルヒチンはこの紡錘糸のチュブリン・タンパク質と結合し、不稔性のスイカのタネを作り出す。コルヒチンは同様に線毛の運動をブロックする。


 線毛の構造形成には約600種のタンパク質が必要で、うち微小管の形成には約40種のタンパク質が関与しているという。
 このタンパク質をつくる遺伝子に欠陥があると、線毛の運動性が失われる。これには線毛から「そよぎ」が失われる場合と線毛内部の原形質流動が失われる場合とがある。


 長い前置きだったが、これが冒頭の全内臓逆位症や子宮外妊娠や多発性腎嚢胞の原因となるのである。
 まず卵管の内面には運動性の線毛をもった上皮細胞があり、線毛は絶えず子宮の方向にむけて、波打っている。卵管のふくれた部分(膨大部)で受精した卵子は、線毛の運動により子宮に送られて、子宮の後側の壁に着床する。
 もし遺伝的欠陥により受精卵が子宮に移動できなければ卵管内で発育する。つまり子宮外妊娠である。(すべての子宮外妊娠が線毛運動の異常によるわけではない。)


 他方、腎臓の尿細管表面にはセンサーとして働く静線毛(一次線毛)があり、尿からの水分再吸収に関与している。この線毛に遺伝子異常があると、再吸収が上手く働かず、水分の溜まった微小嚢胞が多発性に形成され、次第に大きくなる。つまり「多発性腎嚢胞症」である。この病気が「常染色体性劣性遺伝」をすることはよく知られているが、その遺伝子異常は多様であり、すべてが線毛遺伝子異常によるかどうかはまだ不明だ。


 気道を被う粘膜細胞にも可動性の線毛がある。線毛の動きにより、微細異物や細菌などは鼻汁や痰として排出されている。遺伝的に繊毛運動の欠除があれば、副鼻腔炎や気管支炎が起こり、炎症のある気管支に「気管支拡張症」が起こってくるのは説明できる。しかし、「全内臓逆位症」が発生してくる仕組みは、奇妙奇天烈というほかない。


 話は受胎のごく初期にさかのぼる。受精卵は受精後1週間程度で子宮に着床する。この段階ですでに胎盤の部分と将来胎児になる部分は分かれているが、胎児部分は「胚盤」と呼ばれる楕円形の円盤状の細胞塊にすぎない。


 ウニの胚では「原口」と呼ばれる、将来において尾部になる部分の胚盤に、細胞分裂がさかんになり、2週目から「原始線条」が形成される。細胞供給センターとしての原始線条の働きの結果、胚盤は前後に伸び、それとともに線条の元にある「原始結節」は前に移動し、尾部つまり後ろに向かって「原始線条の溝」つまり「原始溝」が伸びることになる。この溝からはすでに形成されている「中胚葉」細胞群のなかに、「間葉細胞」が引き続き供給される。
 「分化誘導因子」も原始結節から分泌されるらしい。


 この時、原始溝の細胞には線毛があり、いっせいに同期して右から左への水流を作っている。間葉細胞から心臓や大動脈ができるし、脾臓もできる。この時、左側により多くの間葉細胞が送られ、心臓の分化誘導因子も高濃度に作用することが、内臓における「左右差」の起原である。


 もしこの時、線毛に運動性がなければ、左へ向かう水流は起こらない。従って、心臓が右にできるか、左にできるかはランダムに決まる。もし心臓が右にできれば、大動脈は左から出て右に湾曲し、胃と脾臓は右に、肝臓は左にできるだろう。血管支配の関係からそうならざるをえない。たかが「毛一本あるかないか」で、内臓の右と左が逆転するわけだ。


 これで「全内臓逆位症」の病理発生は説明がつくし、「線毛不動症」という遺伝子病のなかに、「正常位内臓」をもつ人があることも説明がつく。「丁か半か」の博打のように、50%の確率で右になったり左になったりするのである。
 全内臓逆位症は1万人に1人といわれ、かなり稀である。著名人ではスーパーのダイエー故中内功がいる。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/内臓逆位


 昔、わたしが診た青年の場合、この「線毛不動症」だったのだ。おそらく「常染色体劣性」遺伝をしたので、彼が引き当てた遺伝子のクジは1/4の確率、弟も同じく「全内臓逆位症」である確率は1/16だっただろう。そう考えればすべて説明がつく。



 電子顕微鏡でマウスの松果体細胞に認めた線毛も、生後発生のこの時期にはまだ上頸部神経節に由来する交感神経線維が松果体に進入してきておらず、松果体細胞は腺細胞の特徴である極性(血管極と自由端極)をもっていることを考えれば、線毛=運動性と考える必要はなく、感覚線毛だと考えれば説明がつく。


 ともかく「目から鱗が落ちる」読書体験だった。病理学ことに「病理学総論」という分野は、全内臓逆位症、子宮外妊娠、多発性嚢胞腎というようなまったく関係のない病気を、このように「線毛異常」というレベルで統一的に理解することを可能にしてくれる点で、魅力がつきない学問である。


 それはともかく、全内臓逆位症に副鼻腔炎、気管支拡張症を伴う症例を、神谷本、山科本ともに「カルタゲナー症候群」と書いているが、英語でのスペルがわからないと英語WIKIを検索できない。初めから横書きで英語表記を付けておいてくれれば手間はかからないのに、「Kartagener」というスペルを探すのに苦労した。というも古のカルタゴのことを英語では「Carthage」というので、それと関連のある名称かと思ったからだ。
 「最初に報告したスウェーデン医師の名前に因んで」と書いておくべきだ。
 この「線毛不動症候群」の遺伝子はフィンランドに多いという。これも不思議な話だ。


 なお、この件に関する追加情報は日本語WIKIにはほとんどなく、英語WIKIでえた。
 http://en.wikipedia.org/wiki/Kartagener%27s_syndrome
 https://mail.google.com/mail/?hl=ja&shva=1#drafts

【他の参考文献】

1)Moore & Persaud:「受精卵からヒトになるまで:基礎的発生学と先天異常 第4版」, 医歯薬出版 1998
2)藤田尚男、藤田恒夫:「標準組織学・総論 第4版」, 医学書院, 2002
3) G.M. Cooper & R.T. Hausman:「The Cell: A Molecular Approach.4th ed.」
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 4月4日(木)のつぶやき | トップ | 【本のバーゲン】難波先生より »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

難波紘二先生」カテゴリの最新記事