ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【金星の和名】難波先生より

2015-12-21 15:59:09 | 難波紘二先生
【金星の和名】
<Unknown (Unknown):2015-12-15 10:17
>平安王朝の宮廷人は朝寝坊だったのか?
冬はつとめて >

 古語辞典を引くと「豆止女天。日初めて出時也」(「新撰字鏡」)とある。日が昇るとともに、「朝星」は消えてしまうだろう。江戸時代には日昇と日没で1日を二分割し、昼と夜をそれぞれ6分割する「不定時法」が用いられていた。一刻(いっとき)が約2時間だが、夏至の頃と冬至の頃では一刻の長さが違う。
 これに対して平安時代には太陽の南中時を「午(うま)」の正刻(正午)とする「定時法」が(少なくとも宮中では)用いられていた。(「岩波古語辞典・解説」)

 推古帝の時代に「水時計」(漏刻)が導入され、「漏刻(ろうこく)博士」という時計係の技官がいた。彼の指示に基づいて、2時間おきに太鼓か鐘を鳴らしたのが「時守(ときもり)」という役人。(但し夜間はどうしたのか知らない。)(和田秀松「官職要解」,講談社学術文庫)
 冬至の頃の「明け六つ」は今の6時36分だから、叡山東にはすでに朝日が射していたが、平安京からはまだ「明けの明星」が見えた可能性はある。
 「枕草子」には異本がいろいろあり、「星は」の段には、「能因本」では「夕づつ」の前に「みゃう星」、「前田本」では「あかぼし」という名前が書かれているそうだ。(「枕草子」角川文庫の注記)
 「古語辞典」には「みゃうじゃう」はないが、「あかほし」(明星)があり、「明星の」は「明ける」「飽かぬ」にかかる枕詞として万葉集で使用されている、とあった。
 「万葉集」(角川文庫版)を見ると「ゆうつつ(夕星)」はあったが、「あかほし(明星)」は載っていなかった。
 ニーダム「中国の科学」を読みなおしてみないと、確認がとれない(目下本書が行方不明)が、中国では別名で知られていた可能性もある。
 明治24年刊、大槻文彦「言海」(ちくま学芸文庫)には「金星」の項があり現代的な天文学的説明がある。古名を「太白」、明け方に見えるものを古名「あかぼし」、夕方に見えるものを古名「ゆうつつ」という、とある。平安時代人は二つの違う星だと考えていたのだと思う。

 <12/16付記=「広辞苑」に「太白」について<「きわめて白い」という意味で「太白星」の略であり、初出は「平家物語6」の「太白昴星(ぼうせい)ををかす(侵す)」だ>とあった。
 岩波文庫の箱入り4冊本には索引がない。巻六の頁を繰ると、清盛死後の「横田河原合戦」(源氏の木曾義仲と平家の城四郎長茂が信濃篠井横田(千曲川左岸の川原)で行った合戦)の章(文庫2、p.328)に養和2(1182)年(この年は5/27に寿永と改元)2月21日(旧暦)に「太白、昴星(すばる)を侵す。(唐書の)『天文要録』に云う、<太白、昴星を侵せば、四夷起こる>と言えり」とある。この日にすばるが金星により食に入ったということであろう。
 この「天文要録」の著者、陳卓撰については関西大の前原あやの氏による詳しい研究がある。
http://kuir.jm.kansai-u.ac.jp/dspace/bitstream/10112/9168/3/KU-0400-20150331-20.pdf
 要するに随の「太子令」という天文担当省の長官であったらしい。
 この書は随代あるいは唐代に日本に伝来していたと思われるが、「太白星」という名称は一般には普及していなかったものかと思われる。

 「香炉峯の雪」(284段)で中宮定子のかけた謎を見事に解いて、御簾を掲げた清少納言も、天文書までは読んでいなかったのであろう。それにしても唐代の町の生活については、
石田幹之助「長安の春」(講談社学術文庫,1979/7)という名著があるのに、平安時代の庶民、宮廷人の日常の暮らしについて書いた文化史がないなあ。日本史の学者は何をやっているのだろう。

 <
>すべて人名
 神だと思っていたが。>

 一神教の神と多神教の神は、まったく異なります。スサノオだって、ものを食ったり酒を飲んだり、セックスしたり、小便したりクソしたりします。アメノウズメなんか、ストリップをした。エホバもイエスもアラーもそういうことは全然ない。
 「人格」という言葉は、明治の哲学者井上哲次郎がPersona(英:person)の訳語として作った。(岩波「キリスト教辞典」)
 私はギリシア・ローマと日本の神々は人間的な性格・構造・生理をもっており、限りなく人間に近い「人格神」だと考えている。これに対して一神教の神は、まだユダヤ教では具象性をもっているが、キリスト教(旧教)>新教>イスラム教の順に抽象性が高くなり、非人格化が進むと考えている。「神にもいろいろ」だ。
 イスラム原理主義が恐いのは、神を一種の「宇宙原理」のようなものとして捉えており、まるで特攻隊が「悠久の大義に生きる、靖国で会おう」と考えて、敵艦に突っ込んだのと似ていると思われるからだ。帝政ロシアのナロードニキのニヒリズムとも似ている。


 >もっとも恐ろしい元素94のプルトニウムは地獄の神ネプツヌスに由来する。
うーん、校正ミスか?>
 はい、うっかりミスです。冥界の王プルートーにちなんで元素番号94の「プルトニウム」が命名されたのです。お詫びして訂正いたします。

<でも、ナンバクンも、「本当の教養とはそういうものではない。」って言われそうな事をたくさんしてるよ。注意しないと。>

 たぶん「教養」の定義が異なるのでしょうね。
 私は「教養(Culture、Kultur)」を、多分野にわたる細切れ知識の集積量だとは考えていません。
 1)構造(解剖学、病理解剖学)を微分したら
 2)機能(生理学、生化学、病態生化学)があらわれます。
 Function(機能)を数学では「関数」と訳しています。Z=f(x, y)という数式における「f」がfunctionの略号です。Differential(微分の)は機械工学では「差動、差動機」と訳されていますが、英語では自動車の変速機のことをいいますので、一般市民がこの言葉を知っています。
名詞のDifferentiationは区別・差別の意味ですが、生物学では「分化」、数学では「微分」と訳されています。同様に数学の積分(Integration))は「集積」「総合」という意味です。数学者が変な訳語を作ったから、日本では微積分と「構造・機能」まったく別の話と誤解されっぱなしです。
 3)それをもう一段下りると、分子レベルの化学反応があらわれ、さらに掘り下げると、
 4)原子レベルの動きが関与します。その先は、
 5)素粒子の世界であり、クォークやレプトンが作用する次元です。

 「複雑系」の理論によれば5〜6段階の人を介すれば、世界中の人とつながります。5段階掘り下げれば、素粒子の世界に行くのと同じことです。
 現に、片岡勝子さん(広島大名誉教授、解剖学)からメールがあり、愛馬ウラヌスに乗ってオリンピックで金メダルを獲得したバロン・西は、彼女の高校(旧制岩国中学)の先輩だと教えていただきました。これで西竹一は身近な存在になりました。
 (ただ西の父西徳二郎は薩摩藩士で男爵。日露戦に備えてロシア留学。帰国時に騎馬でシベリア横断をした最初の陸軍軍人。1999年「清国駐在特命全権公使」として義和団事件の処理にあたっている。息子竹一の出生地は東京。彼がなぜ岩国中学に在学したのか、日本人名事典からは見えてこない。西中佐が戦死後7日目に、後を追うように東京で愛馬ウラヌスが病死したという記載が痛ましい。
 スピルバーグの映画「硫黄島からの手紙」では、伊原剛志がバロン・西を演じていて、印象的でした。栗林中将を演じた渡辺謙は、ずいぶん前に白血病のため骨髄移植を受けていますが、すっかり元気になりました。
 世界は複雑系であり、縦にも横にもからみあって、つながっています。まったく無関係と思われたものが、突然つながってしまう。ちょうどコーヒーを入れるフィルターで最初はなかなか液が落ちないのに、ある時点からドボドボと落ち始める。あの現象(パーコレーション現象)と同じことが「理解する」ということだと思います。
 その瞬間が面白くて、私は研究や実験をしているのです。

<たのしみは そぞろ読みゆく 書の中に 我とひとしき 人をみし時>(「橘曙覧全歌集」、岩波文庫)
 物事のつながりをどこまで深く理解しているかが、「教養」の物差しだと私は理解しています。これはもちろん、私個人の解釈ですから、他人に押しつけるつもりはありません。
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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2015-12-25 02:26:47
>推古帝の時代に「水時計」(漏刻)が導入され

粗探しが目的じゃないけど、漏刻を作ったのは中大兄皇子、制度化したのは即位後(671年)。その日をグレゴリオ暦に換算した日が今の時の記念日(6月10日)。
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