ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【裁判傍聴記への反響】難波先生より

2014-03-26 09:01:51 | 難波紘二先生
【裁判傍聴記への反響】
 松山地裁での裁判報告に二、三レスがあった。
 傍聴の常連からの電話:
 「被告席にいつもの弁護士と並んで、見かけない男がきょときょと落ちつきなく坐っていた。あれは一体誰だったのすか」
 「あれが傍聴記に書いておいた高原理事長ですよ」
 「へー、あれだと道を歩いていても挙動不審と思われますよ」
 市民の口に蓋はできない。率直な感想をありがとう存じます。

これは東京の病理学関係の友人からのもの:
 <ご苦労様でした。良識で考えれば圧倒的な勝利です!!>
 判決でそうなればよいのですが…、陪審制なら間違いなく勝訴ですが。

 難波塾の塾生で通称セーヤンからもの:
 セーヤンは生粋の土木技術者で各地の現場をまわって、国内国外の体験もある人。読むと彼の人生のまとめ、広島への愛憎が込められていて、一種の短編小説になっていると思いました。
 脳梗塞後の不自由な手で、おそらくこういう長文を初めて書かれたのではないかと思います。
 ご本人の了承をえて、転載します。
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 お疲れ様でした!

 小生も出掛けて裁判を傍聴したかったのですが、肝心な時にギックリ腰が出て、歩行困難の有様で失礼をいたしました。申し訳なく思っています。

 それと道中の途中に難波先生のお話が聴けるのを楽しみにしていましたので、とても残念です。
 「鹿鳴荘便り」を毎回愛読させて貰って居ますので、STAP細胞騒動をこの小娘が巻き起こすのか興味津々でありました。
 結果は見ての通りで、報道もいい加減なものだなあ~、と『裏を取らない』ではしゃぎ過ぎる世の中に、『それ見よ!』の気持ちです。難波先生の知識をお借りしろ!
『オ~・ソ~レ・ミ~オ~!』

 韓国や、中国共産党政権の我利我利亡者には『それなりの』防衛戦力を持って対応しなければ、『弱いと見ればつけあがるだけ』です。日本国内の自虐学者や彼の国の傀儡の如き『似非平和主義者』による、売国奴と間違いを受けるような言動がいつまでも赦される訳がないでしょう。

 広島に住んでいる人たちは『広島の乞食か』と言われた事はありませんか?
 『広島がイッチ(一番)ええ!』と言っている小生に、難癖をつける者が居るのです。
本社が東京にある友人が言うには、『広島』『ヒロシマ』『似非平和主義者』『被団協』『原水協』『ユスリ』『タカリ』・・『乞食』となるのだそうです。
 「東京をはじめ各都市は皆大空襲で被災しているのに、なぜ原爆被災だけがコジキになるのか? 考えたか!」と。

 震源は霞が関のお役人らしいのですが、ゴロツキまがいの政治家をバックに『陳情』されると、『ヒロシマ人』=『乞食陳情』=『コジキ』が、脳に定着してしまい、『広島』と聞くと『あっ、嫌らしいコジキ』が連想されるらしいのです。そういえば、現松井市長の取り巻きの或る御仁も、そう言っていたようだと記憶します。

 昭和57年まで東区の戸坂(へさか)の社宅に住んでいましたから、市会議員の任都栗司氏も存じています。また、被爆したのを恥ずかしがる故義母は、『原爆手帳のからくり』も、「こんな御仁がいたからか、同類とみなされたくない」と、頑固に手帳を持つのに反対していました。紛れもなく千田町で被爆した、故義母が手帳を持たない理由を考えると、牛田地区にも顧客を持つ社会保険労務士だったので、不正入手した原爆手帳を持つ人たちを知っていたものでしょう。

 傍聴に行かなくて、申し訳なく思いますが、難波先生には、ブログより数々の教えをいただいています。
 お詫びのつもりが、なんたら河内・理研の小娘と立て続けに広島人が世間を騒がすので、むかついた記事になりましたことをお詫びします。

 日本全国を回りますと、広島・岡山が気候温暖・海あり山ありの最も生活のしやすい地方だと思います。こんな『広島県』を汚す者は許したくありません。『恥を知れ!』が絶えてなくなってしまったのか、と思います。

 小生の郷里は豊後水道の佐伯湾に面した『浪太(なぶと)』と言う漁村です。『海がきれい』という以外に誇ることは有りません。それは年何回も襲来する『台風』のおかげです? その度に浪に打ち上げられた砂利除去の苦役に出される中学生の悲鳴でした。
 子供ながらに『何でご先祖様はこんな所に住み着いたのだろう?』と考えてもみました。
 大人の答えは『そりゃあ、ここが一番良かったからじゃあ~』です。
リアス式海岸とは聞こえが良いだけで、それだけ平地がありません。巾着網の船で漁をしていた民は、陸に上がって親方・子方のグループで土木事業に儲け口を探したのです。

 『あかり現場』よりも『くらやみ現場』の方が稼ぎになります。こうしてトンネル工事について財を成しました。儲け話は伝播します。県南地方より全県に広がったのです。これが『豊後土方(ぶんごどっこ)』の始まりです。
 祖父母も丹那トンネルの親方衆で儲けたようで、佐伯の蔓(かずら)港に基地を構え蒲江・佐賀関から四国宇和島・土佐までテリトリーとして活動していました。出稼ぎでも『分限者』衆が続出しました。

 小生もゼネコン職員として九州天草から青森竜飛岬まで廻りました。昭和40年代から日本列島の至る所でトンネルが掘られましたが、どこの現場でも『大分弁』がまかり通っていました。
 日本全国を旅した土方が言うのに、『盆・正月の故郷は良い、じゃが、広島はエエで!』と聞いては居ましたが、まさか矢野町に58年から住むとは考えてもみなかったのです。広島の住み心地は、最高です!
 毎年の台風も有りません。襲来前の準備労務、襲来時の警戒・見回り・停電対策、後の被害処理片付け等何もしないで済むのですから! 極楽です。

 天気予報で今度のは四国山脈を越えそうだ!と準備(庭の植木鉢や飛散物の整理)を始めると女房殿の失笑を買う始末。
『来りゃあしませんよ』と。
『ホンにお前は平和ボケだ!』と口論の種になる位です。

 気候温暖・風光明媚・人情細やか・スキー・山岳トレッキング・マッタケ・キノコ・・・・海・瀬戸内海・牡蠣・鯛・・・とこんなに恵まれた地方は滅多にありません!
 良い所に住まわして貰っているのです。感謝しています。せっかく住まわせてもらっているのに、なんぞお役に立てないか?と念じているつもりが、肝心の時には役立たずになって仕舞いました。

 9日に風邪をひいたらしく『バカは風邪をひかん』と痩せ我慢をしていたらこじらせてしまい、地震で治ったと思って起き上ったら、15日土曜日の夜にギックリ腰をやってしまったのです。
 やっと昨日の朝から10分掛けて公園に上り、やっとでも1周出来ました。今朝は3周。10日散歩を休んだ事になります。
 面目も何もありません! 難波先生・中川原さん・Wさん、ごめんなさいでした。
 暇人のたわ言にお付き合いをして頂きまして有難うございました。では、みなさまもご自愛のほどを!
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(私の駄弁): 佐村河内は広島市の出身ですが、小保方は千葉県柏市の出身と思います。

 広島市は太田川河口デルタの町で坂がなく平坦で、南は広島湾に面し、東西と北は山に囲まれ、そこを北西から太田川が北側の山を回り込むように流れ込むので、冬の北風も遮られ、気候も温暖です。
 台風も来ないし、地震もない。市内の川はすべて汽水域で、干潮と満潮で淡水と塩水が入れ替わる。広島湾には南方に似島、金輪島などが浮かんでいて、高潮に襲われることもない。
 大火も起こったことがない。だから広島市の民家はすべて木造だった。
 まあ、およそ災害とは縁遠い、セーヤンが言う「極楽」みたいなところでした。
 それが最初の原爆投下目標として広島市が選ばれた理由です。

 1945年、広島市の真ん中にある広島城には師団司令部が置かれており、付近に相生橋というT字形の特徴的な橋があり、ねらいを外す恐れがなく、強烈な爆弾を投下した場合、爆風が周囲の山に反射して、最大限の破壊効果を発揮できる。まさに米軍のねらいどおりになったわけです。

 被爆者に対する批判は心して受けとめるべきだと思います。私が佐村河内に義憤を感じたのは「被曝二世を売り物にしている」と感じたからです。
 ゲジゲジ眉毛の県被団協理事長のTという男が、テレビに出て来る度に私は嫌な気持ちになります。スティーヴン・ウォーカー「カウントダウン・ゼロ」(早川書房)を読むと、この人は当時「広島工業専門学校」(広島大学工学部の前身)の学生で、「市の中心部に近い下宿宿」にいて、朝食をしないで朝7時台に下宿を出て、「学校のそばの食堂に向かって」、「町を南に下って行った」とある。路面電車やバスの混雑に沿って歩いたとあるから、これは「広電宇品線」のことだと思われる。「橋を渡って」、学校の近くの横丁にある食堂で「朝食をとった」とある。そこで「学校の仲間」3人と会っている。
 広電宇品線には、紙屋町=御幸橋間に橋はない。学校は御幸橋の北西にあったので、「橋を渡った」という記載はおかしい。
 そして「爆心地から1200メートル離れた市役所のそば」で、原爆に遭っている。
 広島市の地理をよく知っているものなら、この記載が事実に合わないことに気づくだろう。
 食事後、「通りを渡って校舎を目指した」学生が、8時15分に(北1.5キロにある)「市役所のそばにいた」というのは、タイムスリップしないかぎり不可能である。
 こういうふうに自称被爆者の証言には矛盾したところがある。
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