【脳死】は「人格としての人間の死だ」と理詰めでいわれても、なかなか納得する人がすくない。
キリスト教でもアメリカの「大統領委員会」ではダメで、ローマ法皇が脳死を人の死と認めてから、欧米で脳死体からの臓器提供者が増えた。旧教も新教もない。法皇はキリスト教全体のシンボルなのである。
宗教がはじめから「脳が死ねば、人は死ぬ」と説いていたら、状況はずいぶん違っただろうなと思っていた。
古代インド関係の書籍の目録を作成していたら、ソーマデーヴァ『屍鬼二十五話:インド伝奇集』(東洋文庫)が出てきた。10年くらい前に買って、書棚で積ん読になっていた本だ。
これはヒンズー教の「説話集」なのだが、日本の「今昔物語」や「古今著聞集」と異なり、「アラビアンナイト形式」の物語で一続きになっていて、全体の物語(ある王子の遍歴譚)の中に、いくつも短い物語が挿入されている。11世紀というと日本の平安時代だが、その頃にインド北部の地方語で書かれ、後にサンスクリット語に翻訳されている。
手許にとって目次を見ていると「第六話:すげかえられた首」という話があった。「首をすげかえる」というと、いまでは何か不始末のあった役人や会社の担当者を左遷して、別な人事を行うことを意味するが、直感的に「これは脳移植の話だ!」と思ったので読んでみた。
「死鬼」というのは、死体を生き返らせる「悪霊」のことである。
(サンスクリット語でヴェータラVetahlaという。「悪の神」はMara、閻魔は冥府の王YamaがなまってYenmaになったものなので、仏教やバラモン教以前の土俗信仰の悪霊であろう。)
で、話は宮殿に現れた行者が王に、定められた日の夜に大墓地に来るように告げる。約束通り墓地に行くと、行者が「墓地の外れの樹にぶら下がっている死体をここまで運ぶように」と命令し、王がそのようにすると悪霊が入って、背中の死体が蘇って屍鬼となり、物語をする。一話終わると、屍鬼が王に問を投げかけ、正解すると消えてしまう。しかたがないので、また死体を取りに行くと第二話が始まり、結局これを25回繰り返すという構造になっている。「並行ポケット方式」で、物語としては比較的単純である。アラビアンナイト形式ではもっともっと構造が複雑になる。
で、その第二話だが、さる王国の都にある湖で若い男が若い娘を見初めて首尾よく結婚した。幸せな家庭を築いて暮らしていたところへ、娘の兄が訪ねてきて、「父が女神の供養を行うので、二人を招くように言われてきました」という。男と妻とその兄の三人が連れ添って行く途中に、女神の神殿のそばを通った。二人が「供物もなしで参詣できない」といので、男だけが参った。
女神にわが身の幸せを感謝しているうちに、男は何か犠牲を捧げなければという強迫観念にとらわれて、奉納品を剣を取りあげ、自分の首を切って奉納してしまう。
帰りが遅いので心配になり様子を見に来た義兄は、首を刎ねて横たわっている義弟を見ると、気が動転して自分もその剣で首を刎ねてしまう。二人が戻らないので心配してやってきた妻(妹)は、夫と兄が首のない死体になっているのを見つけて、自分も後を追おうとするが、制止する女神の声で思いとどまる。女神が「首はくっつければ元どおりになる」というので、首を抱えて切り口に接合したが、気が動転していて夫の首を兄の胴に、兄の首を夫の胴につないでしまう。
また三人が歩き始めたところで、妻は胴と首を間違えてくっつけたことに気づくが、もうどうにもならない。
そこで、死鬼が質問する。
「どっちが夫でどっちが兄か。正しく答えられなければお前の命はないものと思え。正しく答えられたらわしは消えてやろう」
王が答える。
「夫の頭がついている方が、女の夫である。頭は身体のうちで最も重要なもので、自己の認識は頭に依存しているのだから」
美事に正答されると、死鬼はかき消すようにいなくなった。(これで話は振り出しに戻る)
「脳移植」は現代でも実現していないし、11世紀には「夢物語」でしかなかったのだが、空想はやがて現実となる。もちろん養老孟司が『唯脳論』で指摘したように、ニワトリの脳を移植されたウズラははじめ「ピヨピヨ」と鳴くが、やがてウズラの免疫系が作動しはじめ、脳が拒絶され、それとともにウズラの身体が死ぬ。だが、機能しているかぎり脳が(頭が)身体を支配しており、ウズラの身体をもつニワトリの自己意識はニワトリのそれであることは間違いない。
これはつまり「脳死」はその肉体の死であることを意味している。はるか11世紀に、ここまで認識を深化させたインド人とその文明には驚かざるをえない。インドではBC6世紀以前にすでに造鼻手術がおこなわれていた。「鼻削ぎの刑」があったので、鼻腔が外をむくようになった人に、金属で鼻梁をつくり、皮膚を自家移植したのである。(添付1)
6世紀までに成立したヒンドゥー教の「社会階層別行動規範(ヴァルナ・アシュラマ・ダルマ)」という教典によれば、1)人体の解剖学的用語がやたら出てくる、2)女性が性行為を行っても、妊娠しない月のうちの日数が14日と明示してある。新潟大学病理学教室で研究した荻野久作が「荻野式避妊法」を発見したのが1924年だから、恐るべき話だ。(『ヤージュニャヴァルキャ』,東洋文庫)
そこで思うのだが、どうして日本移植学会とか「臓器移植ネットワーク」は、この「首のすげかえ」の話をリライトして普及しないのだろうか?
解説によれば、ゲーテは「パリア」という小説にこの話を取り入れているそうだし、トーマス・マンも「すげ替えられた首」という短編小説を書いているそうだ。首の持ち主が本来の人格をもつことがわかれば、「脳死」が人の死であることは、はるかに容易に受け入れられるであろうに。
キリスト教でもアメリカの「大統領委員会」ではダメで、ローマ法皇が脳死を人の死と認めてから、欧米で脳死体からの臓器提供者が増えた。旧教も新教もない。法皇はキリスト教全体のシンボルなのである。
宗教がはじめから「脳が死ねば、人は死ぬ」と説いていたら、状況はずいぶん違っただろうなと思っていた。
古代インド関係の書籍の目録を作成していたら、ソーマデーヴァ『屍鬼二十五話:インド伝奇集』(東洋文庫)が出てきた。10年くらい前に買って、書棚で積ん読になっていた本だ。
これはヒンズー教の「説話集」なのだが、日本の「今昔物語」や「古今著聞集」と異なり、「アラビアンナイト形式」の物語で一続きになっていて、全体の物語(ある王子の遍歴譚)の中に、いくつも短い物語が挿入されている。11世紀というと日本の平安時代だが、その頃にインド北部の地方語で書かれ、後にサンスクリット語に翻訳されている。
手許にとって目次を見ていると「第六話:すげかえられた首」という話があった。「首をすげかえる」というと、いまでは何か不始末のあった役人や会社の担当者を左遷して、別な人事を行うことを意味するが、直感的に「これは脳移植の話だ!」と思ったので読んでみた。
「死鬼」というのは、死体を生き返らせる「悪霊」のことである。
(サンスクリット語でヴェータラVetahlaという。「悪の神」はMara、閻魔は冥府の王YamaがなまってYenmaになったものなので、仏教やバラモン教以前の土俗信仰の悪霊であろう。)
で、話は宮殿に現れた行者が王に、定められた日の夜に大墓地に来るように告げる。約束通り墓地に行くと、行者が「墓地の外れの樹にぶら下がっている死体をここまで運ぶように」と命令し、王がそのようにすると悪霊が入って、背中の死体が蘇って屍鬼となり、物語をする。一話終わると、屍鬼が王に問を投げかけ、正解すると消えてしまう。しかたがないので、また死体を取りに行くと第二話が始まり、結局これを25回繰り返すという構造になっている。「並行ポケット方式」で、物語としては比較的単純である。アラビアンナイト形式ではもっともっと構造が複雑になる。
で、その第二話だが、さる王国の都にある湖で若い男が若い娘を見初めて首尾よく結婚した。幸せな家庭を築いて暮らしていたところへ、娘の兄が訪ねてきて、「父が女神の供養を行うので、二人を招くように言われてきました」という。男と妻とその兄の三人が連れ添って行く途中に、女神の神殿のそばを通った。二人が「供物もなしで参詣できない」といので、男だけが参った。
女神にわが身の幸せを感謝しているうちに、男は何か犠牲を捧げなければという強迫観念にとらわれて、奉納品を剣を取りあげ、自分の首を切って奉納してしまう。
帰りが遅いので心配になり様子を見に来た義兄は、首を刎ねて横たわっている義弟を見ると、気が動転して自分もその剣で首を刎ねてしまう。二人が戻らないので心配してやってきた妻(妹)は、夫と兄が首のない死体になっているのを見つけて、自分も後を追おうとするが、制止する女神の声で思いとどまる。女神が「首はくっつければ元どおりになる」というので、首を抱えて切り口に接合したが、気が動転していて夫の首を兄の胴に、兄の首を夫の胴につないでしまう。
また三人が歩き始めたところで、妻は胴と首を間違えてくっつけたことに気づくが、もうどうにもならない。
そこで、死鬼が質問する。
「どっちが夫でどっちが兄か。正しく答えられなければお前の命はないものと思え。正しく答えられたらわしは消えてやろう」
王が答える。
「夫の頭がついている方が、女の夫である。頭は身体のうちで最も重要なもので、自己の認識は頭に依存しているのだから」
美事に正答されると、死鬼はかき消すようにいなくなった。(これで話は振り出しに戻る)
「脳移植」は現代でも実現していないし、11世紀には「夢物語」でしかなかったのだが、空想はやがて現実となる。もちろん養老孟司が『唯脳論』で指摘したように、ニワトリの脳を移植されたウズラははじめ「ピヨピヨ」と鳴くが、やがてウズラの免疫系が作動しはじめ、脳が拒絶され、それとともにウズラの身体が死ぬ。だが、機能しているかぎり脳が(頭が)身体を支配しており、ウズラの身体をもつニワトリの自己意識はニワトリのそれであることは間違いない。
これはつまり「脳死」はその肉体の死であることを意味している。はるか11世紀に、ここまで認識を深化させたインド人とその文明には驚かざるをえない。インドではBC6世紀以前にすでに造鼻手術がおこなわれていた。「鼻削ぎの刑」があったので、鼻腔が外をむくようになった人に、金属で鼻梁をつくり、皮膚を自家移植したのである。(添付1)
6世紀までに成立したヒンドゥー教の「社会階層別行動規範(ヴァルナ・アシュラマ・ダルマ)」という教典によれば、1)人体の解剖学的用語がやたら出てくる、2)女性が性行為を行っても、妊娠しない月のうちの日数が14日と明示してある。新潟大学病理学教室で研究した荻野久作が「荻野式避妊法」を発見したのが1924年だから、恐るべき話だ。(『ヤージュニャヴァルキャ』,東洋文庫)
そこで思うのだが、どうして日本移植学会とか「臓器移植ネットワーク」は、この「首のすげかえ」の話をリライトして普及しないのだろうか?
解説によれば、ゲーテは「パリア」という小説にこの話を取り入れているそうだし、トーマス・マンも「すげ替えられた首」という短編小説を書いているそうだ。首の持ち主が本来の人格をもつことがわかれば、「脳死」が人の死であることは、はるかに容易に受け入れられるであろうに。
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