磐城高校の校歌は、私がこの高校に入学したときに、明治生まれで同じ学校の卒業生であった私の父からも教えてもらったことは前に述べた。ところが、父が歌ってくれた校歌の一部分が私が高校で習った時にはなくなっていた。校歌の何番目かに終戦後の平和日本にはふさわしくないものがあり、それが削除されたのである。
旧制磐城中学の場合は、父の歌った校歌には次のような一節があった。3番であったろうか。
あやにかしこしすめらぎの
詔(みこと)畏(かしこ)み海ゆかば
水漬く屍 山行けば
草むす屍 ○○○○○
一旦天皇のお召しがあれば、いつでも戦場に赴いて死のう という意味の歌である。
終戦後、どこの学校でもそういうことがあったのだろう。
この歌詞は最後の○○○○○のところは私は今は覚えていない。ほかの部分は父が歌ったのを聞いただけなのだが今でもちゃんと覚えている。高校に入ってから、この削除された部分についての話は学校でも一切聞いたことがなかった。
そういえば、旧制磐城中学には、試合に勝った時に歌う「凱歌」という歌があるのを、同じ磐城中学出身の年の行った先生に聞いたことがある。私の父もその頃すでに50歳に近い年齢であったが、磐城中学の「凱歌」をよく覚えていて私に歌って聞かせてくれた。
「欣喜雀躍かちどきの声磐陽に轟きて・・・ やがて響かん満天下。」などという文句があったような記憶がある。このように歌の文句は軍歌のような感じで、たしかに終戦後歌うのは適さなかったのであろう。曲もどこかで聞いたことのあるような曲で創作の曲ではなかった。
歌っていい歌、歌ってはいけない歌。戦時中の厳しい言論統制の中、そして一転して時代に即さないとか占領米軍に気兼ねをしないといけないとかいう歌があって私達の世代は目まぐるしい思いをしたのだった。
校歌の話をしたついでに、磐城高校校歌の2番、3番も書き記しておこう。
(2番)
真鋼(まがね)や溶けん 夏の日も
肌(はだえ)や裂けん 冬の夜も
自覚の眼(まなこ) 生きるとき
勤めはげみて われはたゆまじ
(3番)
鍛えや腕(かいな) この山に
濯(すす)げや心 この水に
理想の空は 高くとも
北斗はあかし 理想の光
画像:筆者撮影
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