大船観音に関するブログを書いた後で、以前にもこのブログに大船観音について書いたことを思い出した。
その年の鎌倉淡青会の忘年会が大船で開かれた日に、会の前に催された「歴史探索の会月例会」で、大船観音と大船の常楽寺に詣った時のものである。
今更のように時間の経過の早いのに驚く。
正面から撮影した大船観音の写真が掲載されている。日付を見ると2009年の年末になっている。
あ . . . 本文を読む
先日、妻をエスコートして大船のF眼科に行って来た。
いつもながら、F先生以下、検査技師他事務の皆さんの行き届いた対応に心が暖まる思いであった。
カメラを持参していたので、帰路横須賀線で乗車する大船駅に戻る跨線橋の上から、大船観音をカメラにおさめた。
妻の歩行の扶けになるように腕を組んで歩いていたが、妻と寸時はなれてカメラを観音様に向けたのである。
思いがけずよく撮れていたので、このブログに . . . 本文を読む
森戸神社の「ご由緒」である。
森戸神社はこの地に源頼朝もおとずれ、三島神社の分社として祭事をしており、神社となって明治以降に、御用邸にご滞在中の両陛下も参拝されている伝統のある神社とのことである。
相模湾、江ノ島、富士山を見渡せる地に位置し、社殿は小さいながらも、お詣りしたと納得できるような神社である。
次に、鎌倉八幡宮に参拝すれば、初詣はまあ一応完成と言えようが、混雑を想像しただけで、たじ . . . 本文を読む
3月末に京都に行った時に京都御所のすぐ近くにあるホテルに泊まった。
すぐ近くに御所に通ずる門があり、それが幕末に有名な「禁門の変」のあった蛤御門であった。
幕末にこの門を突破し御所に入ろうとする長州藩とそうさせじとこの門を守る会津藩、薩摩藩の間の有名な戦闘は会津藩配下の新選組の動きとともに幕末史には欠かせないものである。
長州藩は敗北しその後朝敵としてあつかわれるが、やがて有名な薩長密約によ . . . 本文を読む
浦賀には西叶(にしかのう)神社と東叶(ひがしかのう)神社がある。
先回述べたティールーム・アカンサスは東叶神社の本殿(画像)の向かって左側にある。
東叶神社は浦賀湾の東側の東浦賀にある。(西叶神社は浦賀湾の西にある。)
この神社の祭神は応神天皇で、京都の神護寺の文覚上人が源氏の再興を願って石清水八幡宮からご神霊勧請し、源氏の再興がかなったので叶大明神と命名して西叶神社を創建した。(1186年 . . . 本文を読む
去る10月24日、鎌倉淡青会の歴史探索に参加した。もう82回になるのだそうだ。
今回は場所は逗子。 逗子葉山はほとんど30年住んでいる土地であるが、私はきちんと歴史探索をしたことがない。
丁寧なよい説明をして下さる。有難いよい機会である。
この日は工学部出身のITさんが詳細に説明して下さった。
私は六代御前の墓という史跡の前に行くのは初めてであった。
六代御前は平清盛の曾孫、平重盛の孫。 . . . 本文を読む
先週、鎌倉淡青会の催しで、深大寺に行って来た。そして「神代植物公園」にも行って来た。桜はまだだったが、園内の河津桜は咲いていた。
直接の目的地は三鷹の国立天文台であるが途中深大寺とそして近藤勇の葬られている龍源寺に寄って行くという行程であった。昼食は深大寺そばだった。
深大寺、深大寺公園(昔はこう呼んでいたようだ。)は、私にとっては「めっちゃ」懐かしいところである。
私は大学の教養課程のころ . . . 本文を読む
2月の中旬、神奈川SGGクラブの実地研修に参加した。外国語によるボランティアガイドのための実地研修である。 場所は鎌倉。
丁度この日は、同じ神奈川SGGクラブのフランス語クラスの勉強会のある日であったが、私は何カ月か前にすでに実地研修に申し込んでいた。日にちが重なっていることに気がついていなかった。
フランス語クラブの世話役の女性会員のHさんに欠席のお詫びのメールを入れて実地研修の方に参加した . . . 本文を読む
玉蔵院とほぼ隣あわせにある森山神社も参拝した。
この神社の祭神は櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)(スサノオノミコトノの妃)なのだそうである。
伝によれば、この神社も天宝勝宝年間(749-756)の良弁僧正の勧請によるものだとのことである。
葉山町一色地区の総鎮守の神社である。
画像:葉山 森山神社 およびその説明書 (筆者撮影)
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1月3日に、葉山の玉蔵院も参拝した。 逗子葉山七福神での恵比寿様も祀られているお寺である。
東大寺の良弁僧正の開基で1200年以上の歴史のある、葉山の最古の古刹だとのことである。
高野山 真言宗のお寺である。
画像:玉蔵院本堂 筆者撮影
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私は毎年、除夜の鐘の鳴るころ、近くの下山神社に初詣でをする。
参拝した後、お神酒を頂き甘酒も頂く。
そして、二日の日に、森戸神社にお参りする。
今年も同じだった。
天気がよいと森戸神社から、富士山がきれいに見える。江の島もすぐ前のように見える。
今年は二日の日はあいにく富士山は見えなかった。
画 . . . 本文を読む
岩谷久生先輩にお願いし、「私の鎌倉掃苔録」(鎌倉淡青会三金会での講演)の際のレジュメも頂いた。
同先輩の御承諾を得て掲載させて頂くことにした。(本来であれば、順序として「岩谷久生 鎌倉掃苔録」の
最初に位置すべきものであった。)
「私の鎌倉掃苔録」(三金会スピーチメモ) 平成23年8月19日
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#745「岩谷久生 鎌倉掃苔録3」よりつづく
は行
1.畠山重保 (1205) 由比ガ浜・一の鳥居脇 畠山重忠長男。幕府と戦って戦死
約束3.5mの宝篋印塔
2.林 房雄 (1975) 浄明寺・報国寺 作家
3.林 不忘 (1935) 大町・妙本寺 作家。本名は長谷川海太郎。他に牧逸 . . . 本文を読む
#744「岩谷久生 鎌倉掃苔録2より続く」
か行
1.開高 健 (1989) 山之内・円覚寺松嶺院 作家
2.加来止男 (1947) 大町・妙本寺 海軍少将。ミッドウエイ海戦で空母飛
龍艦長として艦に残り戦死
3.覚賢 (1306) 扇ガ谷・浄光明寺裏山 多宝寺長老。326センチの大五輪塔
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