この懐かしき本たちよ!

まだ私の手元に残っている懐かしい本とそれにまつわるいろいろな思い出、その他、とりとめのない思いを書き綴りたい。

# 332 山口瞳 「血族」

2006年11月06日 | 日本文学
これはすごい。執念の作品である。あの映画解説の淀川長治さんなら、「こわいですね。こわいですね。」という言葉を発するであろう。自分の血族に何か自分に隠されているものがあることに気付く。そしてそれをいろいろな手段で調べ上げる。そしてなるほどそうだったのかと納得する。この作者の執念が感じられる。

作者の母親に対する愛情はすごいものがある。しかし母親には息子の自分が理解できないような面がある。それはどこから来ているものなのだろう、と作者は考える。

自分の性格と全く違っている父親をこの作者の「江分利満氏の優雅な生活」で軽妙に描いているが、父親に批判的ではあるが読者には父親に対する愛情が伝わってくる。

作者が旧制松本高校への受験に一緒に行った父母が作者が受験している間、松本の浅間温泉に東京から連れて行った芸人3人ほどと一緒に地元の芸者をあげてドンチャン騒ぎをする父母のハチャメチャな行動。

家に遊びに来た客に風呂をすすめ、自分も一緒に入るという天衣無縫の母の行動。

子供のころから父母が何か自分に隠しているのではないかと感じながらあえてそれを聞かずに終えてしまったことを、父母が死んだ後で執念をもって調べ、そして書き上げる。それにしてもよくぞここまで書いているものだと思う。

島崎藤村が「新生」で親類の反対をおしきってあえて自分の姪との関係を書き、兄に義絶されたということを読んだのを思い出した。

この作品「血族」はずいぶん前にNHKでドラマにもなったような気がする。なかなかの秀作であったという記憶がある。

私はこの本を単行本で読んだ。誰かに借りて読んだのだろう。文庫本が出たときに私はやはり持っておきたいと思ってこの文庫本を買ったのだろう。

この本は51章からなっている。
そして最後の章の51章はただ次のような文章だけで成り立っている。

「私は大正15年1月15日に東京都荏原郡入新井町大字不入斗836番地で生まれた。
 しかし、私の誕生日は同年11月3日である。母が私にそう言ったのである。」

見事な終わり方である。


画像:山口瞳著「血族」文春文庫 1982年2月25日 第1刷



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1 コメント

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何故かふっと、、 (Mizuho)
2014-07-24 01:29:43
数十年前になるのかな一気に読んだ夜を思い出した。何故か「山口瞳」を、思い出し「血族」を再び読んで見たいと思った。
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