ねずみと猫

2005-10-07 05:13:14 | Weblog
 宮沢賢治の童話に、ねずみを扱った3作がある。「ツェねず
み」「鳥箱とフゥねずみ」「クンねずみ」の三つ。アメリカのねず
みキャラは、チコっと引用しただけでとてつもないお金とられる、
ある意味シャレになんないキャラであるが(インスパイアされて
別キャラ作ったらそれこそ大変)、宮沢賢治のねずみも負けて
はいない。人間の、しかもだれにでもある嫌な部分を、誇張し
て描いているからだ。

 特にツェねずみの、読んでるだけでムカムカしてくる性格の
歪みようといったらない。二言目には「わたしのような弱いも
の」と自称する卑屈さ。その卑屈さは、過大な被害者意識と
もつながり、他者に対して理不尽な因縁をつける行動と直結
している。決して自らに対して原因を求めず、そしてきめ台詞
の「まどうてください」。「うわ~、たまにいるよこんなやつ」と
思わず膝をたたいてしまう。宮沢賢治、善意一辺倒の人畜無
害な聖人作家(ちなみに生涯童貞というのは定説)とだけ思っ
ていると大間違い。結構、こころの中にいろいろなものを抱え
込んでいるひとだったようである。

 不快なことがあった時、「その原因を他者に求めて償いを求
める」のは、時として正当なこともあるだろう。だがどう考えて
も変、というのもある。いや、例の殺人予告まで出たのま猫の
騒動とか。

 「モナー」や「ギコ猫」というのは、いまさら著作者をたしかめ
るのが無意味なほど、ネットにおいては広く認知されている。
要するに、「モナー、またはギコ猫自体に著作権者は存在せず、
どう使おうと自由」というのが共通認識であったはず。だから、
だれがそれ利用して宣材に使おうと、だれにも口を挟める筋の
モノではない。その点においては、大会社であろうと四畳半に引
きこもってる30才無職であろうと区別はないはずだ。

 問題になったのは、例のフラッシュの猫を商標登録したことだ
ろうが、あれを行きすぎとするのは心情的にはわからんでもない。
だが、「モナーやギコ猫とは別キャラ」とエイベックス自体が言っ
ているのだから、「登録以降モナーやギコ猫が自由に使えなくな
る」わけでもない。また、例のフラッシュについては、それなりの
「創作性」がある。(この「創作性」に関する定義の幅が、ひとによ
って大きくズレるのかもしれないが) 田中圭一の手塚パロディの
漫画と同じくらいの「創作性」が。

 他人のキャラをパクって自由な「創作性」を駆使し、作品を創造
するというのは、なによりネットの得意技であったはずなのだが。
エイベックスを糾弾している人間というのは、結局は「モナーの著
作権者の気分」にひたり、「権利侵害された」と思い込んでる浅は
かなひとたちなのではないか。あまり著作権に関してグジグジ言
うことは、結局パロディ作品書いてる同人さんたちの首を絞めるこ
とにもなりかねない。

 「他人の金儲けには敏感すぎ」というのが今の風潮なのか。電車
男のときも、「あれは実話なんかでなく創作」と口角泡とばして主張
する人間ほど、「印税がだれにはいるのか」に対して敏感だったよう
に思う。