笑顔のMOTO

日々の生活で感じた色んなことを、綴っていきます。

ヘルメットをかぶろう。

2007-05-30 10:15:47 | バイク・交通ネタ
ビエンチャンで最初の発見。
それは、たいした交通量じゃないにも関らず、
バイク運転手の90%はヘルメットをかぶっていたこと!!

通訳の方が言うには、ヘルメット規制は、5ヶ月前に
実施されたものらしい(未確認情報)。

ぜひ、ベトナムに見習ってほしい!!

(後日追記)

ヘルメット規制について、友人のブログ"Kanet"で、
「去年から規制があったのでは?」
というコメントをもらった(トラックバック参照)ので、
追加調査を実施。

ヘルメット着用ルール自体は前からあったが、
取締りが厳しくなったのは今年から。
罰金が取られるようになり、ヘルメット着用率も
高くなったようだ。

ただ、この取締りがいつから厳しくなったのかまでは
把握できておらず。。。

なんにしても、未確認情報をブログに載せるときは、
気をつけないといけないですね。

ビエンチャンを訪れて。

2007-05-27 17:26:37 | アジアの話
ビエンチャン4日間の滞在を終え、次の国へ。
色々ネタを見つけてきたので、時間差でちょっとづつ
書いていこうと思う。

ラオス。
本州とほぼ同じ面積の国土に、全人口は600万人。
その首都ビエンチャンは、話に聞いていたとおり
静かなこじんまりした町だった。

ビエンチャン県の人口が60万、うち都市人口は
40万人ぐらいらしい。
日本の40万地方都市を考えるよりは、地方の
人口10万人ぐらいの観光都市という印象だった。

町の中心部は、500m四方ぐらいの区域におさまる。
ちょっとしたスーパーや、電気屋、本屋、食堂が並び、
メコン河に近い区域には、観光客むけのレストランや
雑貨屋さんもあった。
その外側は、田舎道が広がっていた。

一国の首都とは思えないこじんまりさだ。
夜20時を過ぎると、大抵のお店が閉まってしまう。
町のはずれにあるホテルに帰る道々は、
ほんとに田舎の道を歩いているような気分だ。

一緒に来ていたハノイの人が、
「30年前のハノイに似ている」
と言っていた。

このビエンチャンも、開発の波がおとずれ、
市内には工事現場がたくさんあった。
ほんとに、数十年後にはハノイのように、
なるのかもしれない。

それでも、こののんびりした町の雰囲気を
残しておいてほしいなあ、と思うのは、
外国人のエゴなのかなあ。

写真は、夕暮れ時のビエンチャンの中心部のメコン河沿いの通り。
観光客が集まり、一番交通量が多いと思われる通り。
のんびりしたビエンチャンの雰囲気が伝わるでしょうか。

夕日にかかる虹@プノンペン

2007-05-24 23:11:28 | アジアの話
プノンペンに3日ほど滞在した後、ラオスに移動している。

プノンペン最後の夜に訪れたリバーサイドのカフェ。
目の前に広がる河に、びっくりするぐらい綺麗な虹が
夕日に映えていた。

トンレサップ河の西側に広がるプノンペンの街。
この写真は東側を向いているはずなのだけど、
なぜか綺麗な夕焼けが広がっていた。

プノンペンのリバーサイドはきれいな遊歩道が整備されていて、
外国人むけのカフェが立ち並ぶ。
堤防らしきものがほとんどないから、洪水を引起す
ような河じゃないんだろう。

昼間は暑すぎて、遊歩道を歩く気なんて、1ミリも
おきなかったけど、夕方になると夕涼みを楽しむ人で
あふれていた。

この写真を撮ったカフェ、FCC(Foreign Correspondents Club)は
内戦時代の外国人特派員クラブが、カフェとして改造されたもの。
店内には、内戦時代を物語る写真が多く飾られていた。

内戦のさなかにプノンペンに滞在していた人々は、
こんな夕日に心を和まされることがあったのかなあ。。

家族5人でドライブ。

2007-05-23 09:00:29 | バイク・交通ネタ
プノンペンですれ違った5人乗りバイク。
後ろの男の子が隠れちゃってるのだが、
5人見えるだろうか?
前の二人は、ほとんど立っているという感じだけど、
これで曲がったりしたら落ちちゃったりしないのかな。
夕方だったので、まわりぼけてしまったのだが、
逆に雰囲気が出たかな?

プノンペンの街には、バスが走っていない。
公共交通といえるものは、バイクタクシーと、
バイクの後ろに荷台がついたトゥクトゥクの
ようなものだけ。

そのせいか、ベトナムよりもバイク一台に乗っている
人の数が多い気がする(あくまで印象ですが)。

ところで、今年の1月にプノンペンに来たときにも、
バイクのことを書いたのですが、
どこの町に行っても、バイクの写真や、
公共交通、交通問題らしきものを写真に納めて
しまいます。一種の、職業病かな。。。

荷物がこない!!

2007-05-21 23:12:30 | バイク・交通ネタ
今週よりカンボジア-ラオス-ミャンマーを巡る旅に出ている。
ASEANの中でも、最も開発が遅れた国々。

まずはプノンペン。
これで3度目だけど、最初は1泊、2度目は通過のみだったので、
まともに滞在するのは今回が初めてだ。

早速、初日早々にトラブル発生。
なんと、同じ日にホーチミン経由でプノンペン入りした
Iさんの荷物が、ホーチミンの空港に取り残されてしまったのだ。
次の日の便に乗せてくるから、午後まで荷物は届かないとのこと。
さらに、航空会社がホテルまで運んできてくれるのかと
思いきや、空港まで取りに行かなくちゃいけないみたいだ。
結局、なんの謝罪も、補償もなかったらしい。
日本じゃ考えられない。。

なんでも、荷物が届かなかったのは、彼一人ではなく、
10人近くいたそうだ。それも、外国人ばかり。
Iさん曰く、非常に小さい機体(プロペラ機)で、乗客も満席に
近かったから、荷物がキャパシティオーバーになって、意図的に
置いてきたんじゃないか、と。
もし、そうだとしたら、チェックインの時点で、
遅れても大丈夫な荷物を特定すべきだろう。
外国人や観光客の荷物は、もっとも優先順位は高いだろうに。。

Iさんは、プノンペンに滞在する予定だったし、コンタクトして
なかったし、洋服を取り替えられないことさえ我慢すれば、
なんとかなった。
(会議にジーンズで出席することになって、言い訳してたけど)

でも、もし、すぐアンコールワットに移動する予定だったり、
次の日には、違う国に移動する予定だったら、一体、
どうしてくれるんだろうか。

数日後には、ここから、ビエンチャンに移動する予定。
Iさんが言うには、ホーチミンルートと同じ機体らしい。

万が一を考え、洋服一セットと、洗面用具と、コンタクトの液と、
機内に持ち込もうかな。と思う。
あ。でも、液体は持ち込めないんだっけ。
没収されたら困るから、液体は持ち込まないようにしようっと。

写真は、数年前にホーチミンからプノンペンへ向かう飛行機から
撮った写真。プロペラがかぶっちゃってるけど、下に見えるのは
メコン河(たぶん)。そして、ありんこのように群がっているのは船です。

初めて降り立ったときの記憶。

2007-05-16 22:32:30 | アジアの話
初めての国に降り立ったときの印象は、
その後のその国のイメージを大きく左右する。
自分が初めてマニラに降り立ったときのことを
考えるたびに、本当にそう思う。

私にとって、マニラは初めての途上国だった。
今でも、マニラに到着した時の衝撃は忘れられない。

空港から町に出る途中、壊している建物ばっかりが
並んでいると思っていたら、それは、建設中のもので
あることを知ったのは、いつごろだったかな。

スラム地区へ調査視察に行ったとき、スラムの奥で見た
ビリヤードの風景。その奥にあったテレビ。
こんなスラムでもテレビが映るのか。。
マニラのスラムの奥深さを知った。

そんな初めてのマニラで初めて食べたものも、
今でも覚えている。
フードコートで食べた"Kare-Kare"。
(写真は、ちゃんとしたレストランのKare-Kare)
この名前とその見た目から、カレーらしきものを期待して
注文した。ところが、一口食べた瞬間、想像との違いに
びっくりして吐き出しそうになってしまった。
というのは大げさだけど、期待とのあまりのギャップに、
フィリピン料理が苦手になってしまった瞬間だった。

フィリピンのKARE-KAREは、ピーナッツベースで
作られた甘いシチューなのだ。なんて紛らわしい名前。。
甘い料理として認識した今では、普通に食べることが
できるのだけど。

マニラで初めて泊まったホテルは、高級ホテルだった。
でも、そんな高級ホテルでカードで支払ったら、
一緒にいた人みんなそろってカードを偽造されたことが、
帰国した後判明した。
マニラは危ない所だ、って確信してしまった瞬間だった。

最初に持ったイメージはなかなか消えないもので、私はきっと、
マニラに対して必要以上に警戒感と不信感を持っていると思う。
でもそのおかげで、途上国では、常に緊張感が保てて
いるのかもしれない。

来週、初めての国を訪問する。
どんなイメージを持って帰ってこられるかな。

消えてなくなったスラム街。

2007-05-11 21:47:18 | アジアの話
最近、マニラのフィリピン国鉄線路沿いにあるスラム街が、
ある一区画だけ、ばっさりすっきり移転された。
先月マニラに行った際に、写真を撮ってきた。

1年ほど前までは、線路ぎりぎりまで家が立ち並び、
家の前に立っていたら、電車に引かれてしまう、
電車がくるたびに、家の隙間に入らないといけない、
ってぐらいだった地域だ。
空港からマカティに行く途中に通る道路沿いにあったので、
マニラに行ったことのある方なら、一度は見ている光景だと思う。

こんなにも綺麗に移転されたことに驚いたのだが、
さらにびっくりするのは、新たなスラムが作られずに、
更地が維持されていること。今年の1月にマニラに行ったときに
すでに更地になっていたから、少なくとも3ヶ月以上は
維持されている。

これ、フィリピン国鉄の事業による移転なのだが、
現段階では、マカティ地区の4.5kmだけしか実施されておらず、
ちょっと先に行くと、相変わらずのスラムが広がっている。

この移転事業の事前調査を、自分の会社が携わっていたため、
事業の内容を聞くことが出来た(Beforeの写真も頂いた)

North-South Rail Linkage Project。
フィリピン国鉄の、軌道改善、複線化、駅施設改善、
車庫施設整備を含んだ総合的な改善事業。
対象地域は、マニラからルソン島南部までに及び、総延長65.9km。

このプロジェクト全体の想定移転住民は、47,985世帯。
総延長65.9kmだから、平均すると10mあたり7世帯もの人が
住んでいることになる。

鉄道用地内の中でも、線路から5m以内に含まれる世帯を、
プライオリティエリアと指定し、優先的に移転に取り組んでいる。
そこに住んでいる世帯は、Phase1の延長40kmで、20,221世帯。

たった5mの幅なのに、10mで5世帯。。
両脇に住んでいると考えても、1世帯あたりの面積は
20m2しかない?!
生活環境の悪さは、容易に想像がつく。

これらの世帯の大半は、ミンダナオやビサヤといった
地方から出てきた人々。彼らは、この事業に伴って、
政府が準備する移転住宅に移るか、自分の故郷へ帰るか
のどちらかを選択することになる。

移転に伴い支給される補償は、合計203,000ペソ(約52万円)。
低金利で購入できる家、食料補助、水道や電気
生活援助の無利子ローン、移転補償費、等々、、が含まれる。
平均月給1万円といわれるこの国で、この補償費用は、金額だけ
みると充分といえるかもしれない。

インタビュー結果によると、移転に反対する人はあまりおらず、
むしろ住環境の改善、生活水準の向上のいい機会として
受け止めている人が多いようだ。

ただ、移転住宅にはインフラは充分に整備されるが、
マニラの隣の県にあることを考えると、小規模なビジネスで
生計を立てていた人は、雇用機会を失ってしまい、
移転後の生活を維持していくのは、大変になるだろう。
実際、移転先が遠すぎたため、みんなすぐに戻ってきてしまい、
スラムが復活してしまった、という話を聞いたことがある。

現段階では、新たな移転予定地の建設は、充分には行われておらず、
マカティ地区以外では移転は進んでいないようだ。

計画通り他の地域でも移転が進み、スラムが再生することもなく、
フィリピン鉄道が通勤鉄道として機能する日が来るのだろうか。
数年、いや数十年先、のことかな。

空からみつけた場所。

2007-05-07 19:12:52 | うつくしい風景
ジャカルタへ向かう途中、ふと窓の外を見た時の風景。

特徴のある地形だったので、ついつい写真に撮ってしまった。

後から、地図で調べたら、ブルネイの近くにある
マレーシア SalawakのMiriというところみたいだ。

空から見た地形から、地図上で場所が判別できるなんて、
滅多にあることじゃないですよね~。

ロマンスグレー社交クラブ

2007-05-02 21:25:38 | 色んなひと
ジャカルタからはすでに脱出し、ゴールデンウィーク準備万全
なのですが、引き続きジャカルタのお話。

ジャズを趣味とする方の招待で、週末の夜のジャズコンサートに
行く機会があった。

ジャズコンサート?!と聞き、フォーマルなものを想像したのだが、
実際は、ワルツあり、サルサあり、ポップありの何でもありで、
音楽に合わせて、おば様方が楽しそうに踊っていた。
さながら、社交ダンスクラブ、といった感じ。

写真の左端、サックス奏者が、招待をしてくれた方。
役人を長年勤め、定年後はコンサルタントに転身されている。

「色々職場は変わったけど、Musicianという職業は一貫してたんだ」

とおっしゃるとおり、片手間にやっているとは思えない腕前。
(あくまで素人目なのですが。)
オーボエも演奏するマルチぶりだった。

仕事とは関係のない趣味を持つ人生、格好いいなぁ、と思う。
ヴァイオリン、ゴルフ、乗馬、ヨット、石収集、お茶、、、、

こういう方々に感化され、自分も唯一の趣味と言えるものを、
再開することにした。
これで「趣味は?」と聞かれたときの答えに困らなくてすむ。かな?