日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

世知辛い世の中 2019初夏

2019-06-12 22:47:14 | 旅日記
モノクロフィルムの再発売が巷で話題になる一方、人知れず行われたのがリバーサルフィルムの値上げです。一本あたりの出費がついに二千円を超えたことについては、昨秋嘆いた通りですが、今回はさらに二割の大幅値上げです。大幅値上げが繰り返され、元の値段がいくらだったか分からなくなりつつあります。
ここまで上がると無闇に撮るわけにもいきません。露出を変えて段階的に撮るなどということはなくなり、デジタルを主としつつ、これはと思うものはフィルムでも撮るというのが最近の使い分けです。とはいえこれもあながち悪くはありません。一枚一枚大切に撮るという姿勢を、より意識するようになったからです。

現在主力にしているEOS-1D Xに乗り換えてからというもの、写真の撮り方が明らかに変わりました。その傾向は列車を撮る場合において特に顕著です。秒間12駒の連続撮影のおかげで、手当たり次第に連写すれば、狙い通りの画をほぼ仕損じることなく撮れるようになりました。本音をいえば、機材に頼り、安易に無駄打ちしたくはないのです。しかし、ファインダーの追従性がフィルム時代に比べて劣り、一瞬を捉えるのが難しくなってしまいました。その結果、早めに切り始めてひたすら連写し、その中の一駒が当たってくれればそれでよいという撮り方に変わったわけです。
これは取りも直さず、シャッターチャンスを意識しなくなったということでもあります。機材を構え、ファインダー越しに迫ってくる列車を捉えつつ、狙った位置でシャッターを切った後、走り去るのを見送るという、緊張感から安堵感への移り変わりが、デジタル化によって全く希薄になってしまいました。「撮る」というより「記録する」かのようだというのが、同じく写真を愛好するディーラーの担当者の御仁による表現です。言い得て妙と思います。

夜桜を始めとして、デジタル化されたからこそ撮れるようになったものはいくつもあります。その効用を否定するつもりはありません。しかし、写真を撮るという楽しみの真髄を、より直に感じられるのはフィルムという考えには変わりがなく、むしろ年々強まってきました。
今やデジタル一眼レフでさえ、後発のミラーレスとやらに取って代わられようとする現状は、携帯端末に役目を譲りつつあるCDと重なります。しかし、そのような時代であってもなお、レコードに根強い愛好者が存在するのと同様、フィルム写真には何物にも代えがたい価値があるものです。その文化を維持していくための出費と思えば、多少の値上げは致し方ありません。当分このまま撮り続けていくつもりです。
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