今年は桜の開花も早い上、寒の戻りもなさそうなので
あっという間に満開になって散ってしまいそうです。
廃校桜を目指して訪れたのは茨城県牛久市。
牛久市のイメージといえば100人中90人ぐらいは大仏とワインだと思われますが、
前々から気になっていた「女化」という地名にもそそられます。
分校跡の近くにある「女化稲荷神社」も何やらいわくありげな伝承があるようですよ。
そんな女化分校ですが、
戦前に建てられたという木造校舎が地元の方によって大切に保存されていました。
残念ながら桜には一週間早かったようですが、
校舎の周りにはハナニラや水仙が沢山咲いていました。
かなり地元の方が手を入れて管理されているようです。
廃校時から残る遺構は木造の校舎だけのようで、
二宮像や閉校記念碑、当時の遊具等は確認できませんでした。
滑り台が残っていますが後からのもののようです。
女化分校は、明治31年私立尋常小学校として開校し、明治40年10月1日付けで、岡田村立女化尋常小学校として認可。
昭和47年3月31日に本校である岡田小学校へ統合のため閉校。
現在国の有形文化財に指定される動きがあるようです。
分校近くの女化稲荷神社の桜は咲いていました。
あっという間に満開になって散ってしまいそうです。
廃校桜を目指して訪れたのは茨城県牛久市。
牛久市のイメージといえば100人中90人ぐらいは大仏とワインだと思われますが、
前々から気になっていた「女化」という地名にもそそられます。
分校跡の近くにある「女化稲荷神社」も何やらいわくありげな伝承があるようですよ。
そんな女化分校ですが、
戦前に建てられたという木造校舎が地元の方によって大切に保存されていました。
残念ながら桜には一週間早かったようですが、
校舎の周りにはハナニラや水仙が沢山咲いていました。
かなり地元の方が手を入れて管理されているようです。
廃校時から残る遺構は木造の校舎だけのようで、
二宮像や閉校記念碑、当時の遊具等は確認できませんでした。
滑り台が残っていますが後からのもののようです。
女化分校は、明治31年私立尋常小学校として開校し、明治40年10月1日付けで、岡田村立女化尋常小学校として認可。
昭和47年3月31日に本校である岡田小学校へ統合のため閉校。
現在国の有形文化財に指定される動きがあるようです。
分校近くの女化稲荷神社の桜は咲いていました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます