茨城県大子から久慈川沿いを下りながらの廃校巡り。
今回は現在の常陸大宮市の旧山方町を中心に見てきました。
このエリアも久慈川を挟んで両側には山並が迫り、
廃校が多いエリアです。
山間部の道はどこも狭く、片側1車線どころか両側1車線。
へたすると両側2/3車線ほどの狭い道が続きます。
山間の集落は山肌にへばりつき、何となくミャンマーなどの山岳高地の集落を思わせます。
最初に訪れたのは大子町上小川小学校 滝倉分校。
多くの木造の校舎が残る大子町ですが、
滝倉分校を紹介するHPは少なくweb上でもあまり情報がありません。
閉校は昭和56年。
本校である上小川小学校へ統合されています。
近くにはハイキングで有名な男体山があり、
この日も春の陽気に誘われたハイカーがたくさんいました。
閉校記念碑は確認できませんでしたが、
きれいに管理された校舎に遊具類が残っています。
木造と思われますがサイディングに覆われているのでビジュアルは今ひとつ。
窓から覗いた廊下には、児童たちが作った「新しい校舎ありがとう」のパネルと旧校舎の写真が飾ってありました。
新しい校舎になって間もなく閉校したのかもしれません。
サクラのつぼみは大きく膨らんでいましたがまだ咲いてはいませんでした。
1週間ほど早かったようです。
山の分校跡で満開のサクラを見ながら1日のんびりするのも良いかもしれませんね。








今回は現在の常陸大宮市の旧山方町を中心に見てきました。
このエリアも久慈川を挟んで両側には山並が迫り、
廃校が多いエリアです。
山間部の道はどこも狭く、片側1車線どころか両側1車線。
へたすると両側2/3車線ほどの狭い道が続きます。
山間の集落は山肌にへばりつき、何となくミャンマーなどの山岳高地の集落を思わせます。
最初に訪れたのは大子町上小川小学校 滝倉分校。
多くの木造の校舎が残る大子町ですが、
滝倉分校を紹介するHPは少なくweb上でもあまり情報がありません。
閉校は昭和56年。
本校である上小川小学校へ統合されています。
近くにはハイキングで有名な男体山があり、
この日も春の陽気に誘われたハイカーがたくさんいました。
閉校記念碑は確認できませんでしたが、
きれいに管理された校舎に遊具類が残っています。
木造と思われますがサイディングに覆われているのでビジュアルは今ひとつ。
窓から覗いた廊下には、児童たちが作った「新しい校舎ありがとう」のパネルと旧校舎の写真が飾ってありました。
新しい校舎になって間もなく閉校したのかもしれません。
サクラのつぼみは大きく膨らんでいましたがまだ咲いてはいませんでした。
1週間ほど早かったようです。
山の分校跡で満開のサクラを見ながら1日のんびりするのも良いかもしれませんね。









当時は不便な所で、村の方々は、町まで映画を見に行くことが大変でした。
水戸の茨城高校のJRCは、映写機やスクリーンを持って滝倉分校に行きました。
日曜日なので、分校の校庭を開放して頂きました。むしろを敷いて、地元の方々は喜んで映画を見に来てくれました。
子供たちとはドッチボールをした記憶があります。今思えば、重いものをもち山道をよく登ったもんだと思います。
誰かおぼえてくれていた人がいるとうれしいですね。
確か、岡田先生?が協力頂きました。
お元気でしょうか?
機会があれば伺いたいですね。
50年前の貴重なお話ありがとうございます。JRCとは赤十字の事でしょうか?映画の上演のボランティアとの事ですが、当時の映写機とかは相当重かったのではないかと思います。当時は何人ぐらいの児童がいたのでしょうか?分校なのでかなり少ないと思いますが、子供たちだけでなく地域全体のイベントだったのでしょうね。当時の面影があるうちに訪れてみてください。
博愛と奉仕活動を、指導を受けながら活動してました。
上小川でキャンプ等も楽しみました。
大学卒業後も上小川までは行ったものの、滝倉分校までは足が伸びませんでした。
映写機は重かったですが、若かったのでしょうね。苦に成りませんでした。
今ならダウンですね。
何とか機会を作り伺いたいですね。
土日、祝日は休みですか?