廃校を巡る

風雪に耐えた美しい木造校舎。小さな空き地にポツンと二宮尊徳。
錆びたブランコに、朽ちかけた百葉箱。廃校ノスタルジア…。

茨城県 旧山方町 北富田小学校

2016年04月01日 11時08分54秒 | 茨城の廃校
茨城県 大子町~旧山方町の廃校ツアー。
先に訪れた滝倉分校から細い山道を南下。
次に目指すは山方町北富田小学校。

対向車が来たらイヤだなーと思いつつも1台も出会うことも無く、
細くくねった山道を進みます。
細い道から更に細い山道に入る辻に「山方町立北富田小学校入口」の石碑を発見。
この案内が無ければまずクルマで進もうとは思わない山道ですよ。

細く、杉木立で薄暗い九十九折の道をしばらく進むと視界が開け、
意外に明るい学校跡が現れました。
現在は北富田集会場として使われていますが、建物は後世の物のようです。
遊具や閉校記念碑、二宮像は残っていませんが、
昭和48年建立の創立100周年の記念碑が残っています。
逆算すると創立は明治6年頃。学制発布の明治5年から1年後の歴史ある学校のようです。

北富田小学校の歴史を調べていますが、統合先や閉校の時期もはっきりしません。
昭和54年発行の地形図にはまだ文マークが見えるので、
昭和の終わり頃の閉校でしょうか。

学校の裏手に1軒家がありますが周囲に人家は少なく児童数もかなり少なかったと思われます。

web上で北富田小学校を調べていたら、
昭和30年代国会の場でも審議される「北富田小学校事件」とでも言う様な事件が起きていたのです。

事件のあらましは進歩的な思想を持つ教師に対して校長が
思想的本を焼き捨てたり、特定の進歩的な人との交流を禁止させるなどの
焚書事件の舞台だったようです。
当時の国会の議事録には児童数約80名、住民300名ほどの集落だったとあります。
村には電気も無くランプ生活。
教員資格は校長のみで残りは高卒程度の臨時教員だったとありますが、
戦後の昭和30年代でもそんな感じだったとは驚きです。

事件の詳しい内容・国会の議事録はこちら

大子町の小生瀬村の虐殺や
長倉町の首なし事件など、なかなかディープな事件が多いエリアですね。

でも、まったくオカルティックではありませんよ。
サクラが咲く今頃はさしずめ桃源郷のような風景が広がっていることでしょう。


この石碑が無ければたどり着けなかったでしょう


門柱は現存。





創立100周年記念碑



サクラは古木の味わい



アプローチが狭い山道に比べ意外に広い校庭









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