gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

伊佐庭如矢の道後これから

2007-01-02 21:16:59 | 日記・エッセイ・コラム

Img_0321_edited_1  正月恒例の初風呂。観光客気分で道後温泉「神の湯」へ。近代和風建築・道後温泉本館が建設されたのは明治27年。国の重要文化財の建物の中で湯を楽しめる場所は、全国広しと言えどもここしかない。日本唯一の皇室用「又新殿」の湯と庶民の湯が同じだったというのが、いかにも道後らしい。

Img_0322_edited  この道後温泉本館を建設したのが、道後湯之町初代町長・伊佐庭如矢。明治の合併で町長に迎えられた伊佐庭は、安政11(1828)年、道後の医家の三男に生まれた。石鉄県から愛媛県ができる過程で県庁へ出仕し、高松中学校長・琴平宮禰宜を歴任したという。激しい反対に抗した信念の人の顔。

Img_0212_edited_1  昨年11月末、一遍上人ゆかりの宝厳寺・本堂で開催された「松山道後シンポジウム」。テーマは、本館修復工事が今後10年以上かかるもとで、道後のまちづくりに求められるものは何か、松山東雲短大・犬伏武彦教授をはじめ各パネラーから熱心な意見が出された。゛道後温泉本館頼み゛からの脱却とは・・。

 そもそも河野氏・中世伊予の中心であった「道後の市」。遍路道の交流や猿能楽・狂言・俳諧・茶の湯などの文化も栄えた。宝厳寺・時宗の僧たちは阿弥号を名乗り、連歌の興隆を担ったと伝えられている。正岡子規を生んだ俳句の伝統は、この道後から生まれた。 

 伊佐庭如矢の近代の偉業から110年。えひめ地域づくり研究会議・松山シンポの会場を伊佐爾波崗・宝厳寺に選んだ理由は、ここにあった。黄金色に映えるイチョウの彩り。本堂を舞台にした詩人・森原直子さんたちによる「詩と尺八・ダンスのコラボレーション」。宝厳寺を不思議な文化空間に変えた。